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表参道・同潤会青山アパート

同潤会青山アパート

 

東京・表参道沿いにあった同潤会青山アパートをご存じでしょうか?
(同潤会=どうじゅんかい、と読みます。)

行ったことのない人、東京のことを殆ど知らない人でもTVなどで多く取り上げられたので、もしかしたらアパートの外観くらいは見たことがあるかもしれません。

非常に古いツタで覆われたアパートです。

特記事項(引用元)の記載のない以下及び当記事内の同アパートの写真は、残存していた1999年4月4日に私が撮影したものです。

↓クリックで拡大します。

このアパートは1926年(大正15年/昭和元年)に第一期完成となり、2003年(平成15年)に解体されてしまいました。

つまり77年間に渡って存在していたのです。
現在は表参道ヒルズになっています。

表参道ヒルズの場所はこちらです。

 

同潤会とは?

以下Wikipediaからの引用となります。

同潤会(どうじゅんかい、同潤會)は、内務省によって1924年(大正13年)に
設立された財団法人である。

その前年に発生した関東大震災の義捐金をもとに設立され、東京と横浜において
住宅供給を行った。集合住宅「同潤会アパート」(16か所)の建設で知られている。

これ↑以上に詳細を知りたい方はこちら(Wikipedia)をご覧下さい。

同潤会青山アパートと私の縁は?

この記事をご覧になった方はきっと、

「ブログ主はこの同潤会青山アパートに住んでいたのだろうな。きっと部屋の間取りや内部の詳細を書いてくれるに違いない。これほど古いアパートの事を知るのは大変に興味深い。」

とお考えになられていると思います。

でも結論を先に言っちゃいます。

私は同潤会青山アパートに住んでことも中に入ったことも一切ありません。

さらにおまけで言うと

ただ、一時期一月に1~2度ほど必ずこのアパートの前を歩いて通っていました。

理由は、

当時私は【おピアノ】を習っていてその先生のもとに通うためでした。

おピアノに関連した記事はこちら

・・・・。
皆さんはがっかりしたでしょうか?

でも私にとってはこのアパートの前を数えきれないほど歩いたというのは忘れられない事なのです。

ですのでこのアパートと周辺で覚えていることを書いてみたいと思ったのです。
がっかりしながらでも読んで頂ければ幸いです。

年代的には1973~1975年頃となります。

 

ではなぜこんな場所までピアノを習いに行っていたかというと、私が習っていた先生(女性)の教室は青山ではなくて先生のご自宅のある練馬区石神井公園でした。
当時は私も上石神井に住んでいたのです。

でもその先生がご結婚されることになり、その嫁ぎ先が青山だったのです。

先生は「この先の生活のイメージがはっきりしないので一度教室を閉めたい」と仰られて石神井公園のピアノ教室は閉鎖になりました。

そして私もほぼ同時期に新大久保に引っ越しをしたのですが、なぜか先生と私の母が繋がりが残っていて、先生の方から「新大久保ならば青山に通えるのでは?〇〇君(私)ももう中学生だし」とお声をかけて頂きまた先生のお世話になることになったのでした。

我が家には普通の(グランドではない)ピアノがありましたが、当時の各家庭の生活水準から言っても決して裕福で贅沢と言えるほどのものではありません。

だって家には自動車が無かったですしね(誰も免許持っていなかったし)。
当時家に自動車がある家は「やや裕福」か「それなりの裕福」だったと思います。

上記のおピアノに関する記事には私が写っているピアノの発表会とそのパンフレットの写真もあります。

 

しかしピアノ教室に通うルートで最も印象的だったのはこの同潤会青山アパートであり、なぜかここの前を通ると「ああ、いつもの通りの姿だね」と安心したのでした。

そして「部屋に入ってみたい。しかし知り合いはいないので部屋は無理でも階段とか敷地内を見学したい」という強い思いはありました。

でも人通りの多い場所ですし、当時であっても変に覗き込んだら通報されてしまうかもしれませんので、じーっと我慢しながら横を通り過ぎたものでした。

今でもあの神秘のベールに包まれたような外観にはとても心惹かれますし、同時に「もうあの場所に行ってもあのアパートはないんだな」と虚しくもなります。




通っていた経路と場所は?

当時私は新大久保に住んでいましたので山手線で原宿に出て、表参道をひたすら歩き同潤会青山アパートの前を通り、青山通りを左折して、現在も存在する「青山ケンネル」の少し先を左折した住宅に通っていたのです。

ストリートビューで見ると未だに青山ケンネルがあるのは驚きであり、うれしかったです。
しかも自分の記憶のとおりに町が残っているという事もでした。

原宿駅からはゆっくり歩いて徒歩20分弱くらいだったと思います。
雨の日はちょっと長いなと感じました。原宿駅前から目的地に直接向かうバス路線は無かったのです。

↓昭和初期の青山アパート。手前側が原宿駅方向。
私が通った時代もこの雰囲気はそのままだった。
(引用元:Wikipedia)

この道を歩きながら一番印象深かったのはやはりツタで覆われた同潤会青山アパートです。

これほどツタで覆われた建物は見たことがありませんでした。
しかも東京のど真ん中と言える場所なので大変貴重に思えたのでした。

以下の2枚も私が1999年4月4日に撮影したものです。当時も実際に居住者がいます。
クリックで拡大します。




同潤会青山アパート以外にいつも目に入っていたもの

大雑把にいうと「キディランド(おもちゃ屋)」、「シェーキーズ(ピザレストラン)」でしょうか?

特にキディランドは「これって何?若い人がたくさん入っているけど」とか思っていましたが、おもちゃやいわゆるファンシーショップだと知ると途端に興味が失せてしまいました。

キディランドは結婚するまで一度も店内に入ったことがありません。

ちょっと調べてみるとキディランド原宿店はなんと1950年(昭和25年)、つまり戦争が終わった僅か5年後に書店として開店しているのですね。

これは本記事を書くために調べて初めて知ったのですが驚きです。

 

シェーキーズは言わずと知れたお店ですが、実は1980~1982年頃に私はこの原宿のお店で中学校のクラス会をやっていて、味を知り始めたばかりのビールを飲み過ぎて泥酔する醜態をさらしたお店でした。

そういえばシェーキーズは新宿店でも飲み過ぎて痛い目に合った記憶があります。
ビールとピザは酔いやすいのか? そんなことはないでしょうが。

 

あとは原宿駅前の今と変わらない喧噪ですかね?

当時は竹下通りなんて全く興味なかったし、今みたいな雰囲気ではなかったかもしれない。
TVとかでも大して取り上げられていなかったので、現在のあのような通りになったのはその後の事なのでしょう。

 

ツタに覆われた似たような建物は恐らく全国各地に今でもあると思います。

このような建物は古いものが多く、耐震問題などでどうしても解体されがちです。

安全性、快適性を考えたら極端に古い建物を残すのは多額のお金がかかりますので困難であるとは思いますが、地元有志などでもうちょっとそのままの姿で一部でも残して欲しいなと思うのですが・・・。

以下は表参道ヒルズに保存された同潤会青山アパートの一部を再現(保存)したものだそうです。

あまりにも綺麗すぎ、ツタが無さすぎでがっかりです。
今後年数と共にツタで覆われる日が来るのでしょうか?
それにしてもなぁと思うのは私だけかな?

↓クリックで拡大します。(引用元Wikipedia)

 

 

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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