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倒壊した塩狩温泉ユースホステル(2012~2014年)

塩狩温泉倒壊

 

塩狩温泉観光ホテルおよび併設の塩狩温泉ユースホステル(以下YH)の建物が倒壊した写真をここに公開します。

同施設は2005年10月1日より休館、2006年6月30日で正式に閉館となりましたが、ここで公開する写真は2012年~2014年に撮影されたものです。

その後建物は2015年秋に解体撤去されています。

 

本記事の写真はかつて塩狩温泉YHでヘルパーとしてご活躍された以下の両名様からのご厚意で頂きました。

・浜のヨースケ 様
塩狩温泉YHの第1期ヘルパー(1974年)としてご活躍。

・悠楽士 様
晩年の塩狩温泉を引き継いだ故入江社長と同級の方。

お二人には心より感謝申し上げます。

 

本記事の写真については事前に以下を記しておきます。

すべての写真は一切の無断使用禁止です。たとえ引用元(本サイト)を明記するにせよ必ず当サイト管理人に事前連絡・許可を得るようにお願いします。

連絡は当サイト上部のタイトル直下にある「お問合わせ」をご利用下さい。個人情報も守られます。
このお願いは当サイト内の他の記事のすべての写真も含みます。

頂いた写真で一部ファイル名からは日付がはっきりしないものがありましたが、それらは写真のExif情報からの日付を利用させて頂きました。

一部携帯電話で撮影されたファイル(表示)サイズの小さいものがいくつかありました。
表示サイズが小さかったものは当方で画素補間+高画質化ソフトを使ってより大きいサイズで見れるように変換させて頂きました。

写真の撮影者はどなたかはっきりしていないのですが、故入江社長がその場にいたというお話しは伺っております。
このような倒壊現場を見て社長はどのようにお感じになったのかと思うと胸が詰まる思いです。

すべての写真はクリックで拡大します。

2012年撮影の写真

↓2012年5月18日撮影↓

↓社長宅を国道側から。右手奥が駅に行く道。

↓社長宅正面より


↓2012年7月21日撮影↓

 

↓この3枚はホテル2階部分





2013年撮影の写真

↓2013年3月26日撮影↓

2014年撮影の写真

↓2014年7月7日撮影(解体撤去前年)↓

↓最初の1枚は国道側から

↓「スキ」は「スキー」の文字


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塩狩温泉ユースホステル(北海道)

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塩狩温泉ユースホステル跡(2020年7月5日現在)

塩狩温泉ユースホステル発足時の写真(1969~1974年)

 

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6 Responses to “倒壊した塩狩温泉ユースホステル(2012~2014年)”

  1. 悠楽子 より:

    私一人が持っているよりも多くの方が塩狩温泉観光ホテルの栄枯盛衰を感じて頂ければ、今は亡き入江君の供養になると思います。正に盆の時期。有難うございました。

    • kaikoshumi より:

      悠楽子様
      コメントありがとうございます。
      こちらこそ貴重なお写真ありがとうございました。
      今後もよろしくお願いいたします。

  2. しみじみ3あほ より:

    閉校した学校校舎を徘徊してると、校舎・屋体の再利用が決まらぬまま2~3年経つと、
    大概が雪の重みで壊れてしまう事例が多いです。
    校舎と屋体をつなぐ渡り廊下なんかは、建物よりも簡易に作られてるためか、
    ユースと旅館をつなぐ部分は、使われていなければまず初めに圧壊してたと思います。
    玄関のひさし(屋根)部分も、2階に積もる雪の量を見れば、きっと早々に崩れていたでしょう。
    関係者さんにとってみれば、いたたまれない倒壊寸前の現場ですが、
    このような現場を記録し、何某かの教材・基礎研究のデータになれば…と思ったりもします。
    ・・・木造・モルタル・鉄筋などの経年別耐久性などの資料になりうる…はじめっち

    池の横にあった倉庫の「スキー」のテープ文字、クロカンスキーが置いてあったとも、
    塩狩スキー場があった時の貸しスキーだったという話も、だれの話か知らないっすが、
    諸説あったように思うっす。おそらく、「むかしは池のカモをツブして、
    『名物カモなべ』ってのがあった」
    というくらい、マユツバな伝説だったに違いなかったっす。
    ・・・どやってカモ捕まえるかが謎だったっすし…ゆたか

    あたいはむかしのことはよくわかんないけんども、
    階段上って左に行くと、ユース用の和室・ベット室があって、
    右に行くと、(多客の時に相部屋で使ったかもなのだ)「欅」って和室があったかもなのだ。
    ・・・階段ところから倒壊してたんだ…つるみん

    • kaikoshumi より:

      しみじみ3あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      >大概が雪の重みで壊れてしまう・・・
      確かにおっしゃる通りですね。雪国はこのように雪でつぶれてしまう放置された家屋がたくさんありますね。
      いつも見て思うのは雪の重みのすごさよりも「人が住まなくなった家の成れの果てのむなしさ」を感じます。
      人が住まなくなる、いなくなるというのはこういう事だと。特に夕張はあまりにも廃墟が多すぎて泣きたくなります。

      >倉庫の「スキー」のテープ文字・・・
      私も真意は判りないのですが、私が通い始めた時にはすでに塩狩に泊まってスキーを楽しむという客は殆どいなくてジジババの湯治客ばかりでした。

      >(多客の時に相部屋で使ったかもなのだ)・・・
      塩狩に限らずYH全盛時代の北海道は多客期はどこでもあちこちの部屋に無理に詰め込んでいましたね。
      しまいには廊下や食堂でミーティングが終わったらテーブルなどを片付けて布団を敷き始めるとか。
      こういう場所で寝ると300円割引とかのYHもありましたが、割引なしでガッポリというところもあったっけ。

      でも当時のYHって定員に対して一体何組布団を余計に持っているんだよ!と不思議でした。

  3. んにゃ より:

    こちらの建物って確か和寒町の手で解体されたんですよね。何故、元の経営者の手で解体しなかったのでしょう?。
    土地建物のオーナーさんの手で解体できなかった何か理由でもあったのでしょうか。

    • kaikoshumi より:

      んにゃ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      和寒町によって取り壊された、という部分の詳細は知らないのですが恐らく状況から察してそうだと思います。

      取り壊されて撤去されたのは2015年のようですが、その前から社長は難病を患い大変な闘病生活をされていらっしゃいました。

      建物撤去の段階で閉館から既に約10年経っていますがその間も社長は闘病生活をされていたのではと思います。

      その社長も2017年に他界されてしまいました。

      このことはこちらの記事のコメント欄に情報を寄せてくださった方がいらっしゃいますのでご覧頂ければ幸いです。
      (コメント数がかなり多いのですが順でお読みください。)

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管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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