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紋別流氷の宿ユースホステル Ⅱ(懐かしい写真有)

●最初に以下の記事からお読みください。

紋別流氷の宿ユースホステル

●上記↑記事へコメントをくださったLONESTAR様へ。
LONESTAR様へご連絡したいとおっしゃる方がいらっしゃいます。
もし当記事をお読みであれば、当サイト上段(タイトル直下)にあります「お問合せ」からご一報頂ければ幸いです。
「お問合せ」からであれば完全にプライベートは守られます。

2021年2月19日追記
本日、紋別流氷の宿ユースホステルで使われた歌集という記事を書きましたのでご覧下さい。

紋別流氷の宿ユースホステルのスタッフの写真

 

当サイトのご訪問者様でおられる「ひっちゃん様」より1980年(昭和55年)の冬の写真をご提供頂きました。
どうもありがとうございます。

「ひっちゃん様」は当時ヘルパーをおやりになっていたそうです。

頂いたお写真には大変にお若いペアレントさん、ヘルパーさんらが写っています。
この中に「ひっちゃん様」もいらっしゃるそうですよ。おわかりの方いますか?

それとこのお写真を拝見して私はペアレントさん以外にはっきりと「この人と道内で何度もお会いしている。」という方も写っていて感激しました。41年もの時を超えての再会ですね。


おことわり:当サイトでは人物の写真のお顔には基本的にモザイクやぼかしを入れておりますが、極端に古い写真の場合は意図的にこれらの加工はしておりません。
年代が経ちすぎて個人特定がほぼ不可能であること、もちろん分かる方が見れば分かるかもしれませんが、サイトご訪問者様より「時間が経ったものは加工しない写真を載せて欲しい。知り合いの若い時の顔も見たい。」というご要望もありました。ですのでこれらの扱いにご理解下さいませ。どうしても問題があるのであれば、該当写真とその人物 (例:右端の人物 とか)を当サイト上段にあります「お問合せ」からご連絡下さい。


では1980年の若き皆様のお顔をご覧ください。
(クリックで拡大します。無断転用禁止です。)





1975年当時のガイドブックから見る紋別

以下は観光ガイドブック「ブルーガイドパック北海道 1975年版」の紋別に関するページの引用です。
このガイドブックは私が1976年8月に生まれて初めて北海道を訪れた時に持って行ったものです。

紋別に関する事はたった1ページだけで地図もありません。また紋別周辺地域も含めての紹介です。
これだけでもいかに紋別付近が観光面からはマイナーな土地であることが分かります。

しかし何もない、俗化されていないのが北海道らしい、というのが北海道の最大の魅力でもありますね。

紋別に関する記述は私が赤囲み、赤線で示しておきました。
クリックで拡大します。

紋別を前回訪問したのは記憶では26年くらい前となります。(2021年基準)

また何もない原野をボーっと眺め、名寄本線の廃線跡、紋別流氷の宿ユースホステル跡を訪れてみたいです。

訪問出来たらこのサイトでご紹介しますね。

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15 Responses to “紋別流氷の宿ユースホステル Ⅱ(懐かしい写真有)”

  1. 石松 居候 より:

    北海道へ一人旅したのは、もう40年前ですが、紋別のユースにも泊まりましたね。そのあと浜頓別行って稚内から礼文島。8時間コース歩いて。と、たまたま同じコースでたまにあった一人旅の女性が今の嫁さんです。
    船泊で5~6泊したことも、屈斜路湖ユースで二週間近く連泊して、町の電気屋さんでアルバイトしたり。(ほぼ準ヘルパーみたいな)これは手元不如意でしたので・・・アルバイト。この時は夏で北海道で40泊(夜行電車泊含む)くらいしてましたね。周遊券は20日でしたが、短期で帰る女の子と交換して持って伸ばした回ってましたね。(本当は反則ですが)
    屈斜路湖の13ばいは、元気かな?
    天売島ユースの、確か池田みさおおばあちゃんは可愛かったな。遥か遥か昔の思いです。
    是非もう一度行ってみたいですね。
    もうヒッチハイクはできないと思いますが。

    • kaikoshumi より:

      石松 居候様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      愛とロマンの・・・で奥様と出会われたのですか。
      素晴らしいですね。

      やはり昔のYHの旅は北海道、それも離島だと独特なものがありましたね。

      たとえ2泊くらいでも島を離れる時の寂しさは口で言い表すことが出来ないほど切なかったです。
      今思い出しても瞼が熱くなります。

      さてヒッチハイクは今の時代非常に危険ですね。
      やる人も皆無に等しいです。
      しかし札幌ではいまだにヒッチハイカーをたまに見かけます。

      私も2度ほどコンビニの駐車場で声を掛けられたことがありました。
      これからどちらへ?というので「ここから10分の家に帰る」と言ったら即座にあきらめていましたが。

      でも今の時代にもいるのかとかなり驚きました。

  2. 3あほ より:

    「受け付けは3時から8時まで」の下の文字が拡大しても読めなくって…。
    電話予約について書いてあるみたいですが…。おおむかし…?は往復ハガキが主(らしい…)で、
    そのことについて書いてある文言かなぁ…?っと。
    塩狩温泉は、どんなに空いていても、玄関先で「宿空いてて泊まれますかぁ?」ではなく、
    「国道の電話機で電話して予約して下さ~い」がルールだったみたいで…。
    うちらみたいな徘徊ふらふら散歩者は、ハガキとか使うなんてほとんどなくって…。
    ・・・YHってばそういう人が飛び込んで使うって感じの宿泊所だって感覚が多分抜けないですはじめっちホントは規則正しい計画を立てた旅行者の宿なんだって改めて考えたりします。

    老若男女みんな、基本的に同じファッションだったりする気がしますぅ。
    ・・・じーぱんとか多いですぅ…みならいかのん

    80年代ってば、ごく最近でね?っすか。というか、雪は降ってるみたいっすけど、
    冬っぽくないすし、もっちと紋別ってば豪雪かなって思ったりもしてたっす。
    ・・・釧路民にはわかんねぇっすけど…ゆたか

    • kaikoshumi より:

      3あほ様
      コメントありがとうございます。
      塩狩の話しですが、これはその時のヘルパーとかにもよるんじゃないでしょうか?
      ペアレントはそこまで言わなかったし、ヘルパーもほとんどは言いませんでした。
      でも塩狩以外でも「目の前の公衆電話で・・・」は聞いたことあります。

      変にYHの規則にうるさい所があったのは事実ですね。

  3. わこーる より:

    もんべつの駅前左手に、「大判焼き」のお店ありませんでしたか? ユースまで(いつも冬)歩いて行くとき、暖かい大判焼きを手に暖をとり歩いた思い出があります。r年泊してコムケ海岸を歩いた後などは、ホントにこの大判焼きが美味しかった。この宿で40年前に知り合った名古屋のS浦君とは、まだ年賀状のやりとりがあり、彼の年賀状を毎年見る度に、紋別の大判焼きを思い出しちゃうんです

    • kaikoshumi より:

      わこーる様
      コメントありがとうございます。
      駅左手に・・・は分かりませんが紋別で大判焼きの名前は何度か聞きました。
      でも私は食べていないんですが他のホステラーから聞いて「へぇー」くらいでした。
      もうそのお店もないのでしょうね。分からないけど。
      紋別は漁港として今も健在ですがやはり鉄道廃止の後は衰退していると思います。

  4. スズラン印 より:

    1980年ころ、自転車で北海道をまわりました。
    当時、山口の大学にいて実家が下関だったので
    下関まで走り彦島→小倉→神戸→陸送で舞鶴→小樽→
    早朝に着いたので神威岬まで走り夜のフェリーで礼文島と
    フェリーを4つ乗り継ぎ4泊したことがあります。
    礼文から浜頓別YHそして紋別流氷の宿その後はサロマ湖畔YHへと行き、知床、納沙布岬、釧路、摩周湖、阿寒湖、帯広、襟裳岬、支笏湖、札幌、小樽とぐるっと回りました。最初の北海道旅行でした。あーーまた行きたいなあ

    • kaikoshumi より:

      スズラン印様

      こんにちは。コメントありがとうございます。

      多分私とかなり近いご年令と察します。

      いくら若いときと言えども自転車でこのスケジュールはあまりにも過酷と感じました。

      でも素敵な旅だったんでしょうね。

      私は周遊券で列車でしたが、まるで夢のような旅でした。
      またいつか同じ旅程を辿りたいとおもっています。
      泊まったユースの殆どはなくなりましたけど。

      また当サイトにお越し下さいね。

  5. cha より:

    1980年代に周遊券で夏冬、自転車でも行きました。
    食事が美味しかった事、食器がプラスチックではなく陶器だった事、ペアレントさんはむっつりしているイメージでしたが、ミーテイングでは意外によく喋るんだなあ~と思った事、が思い出に残っています。
    ミーティングの時に教えて頂いた氷のトンネルと浮島湿原には当時は行けず、20年前に道内移住してから初めて行きました。
    その後、氷のトンネルは立ち入り禁止になりましたので、ギリギリ間に合ったのですが、
    浮島湿原はほとんど人が入っていない感じで、やぶ蚊とアブの天下でした(>_<)
    駅前に大判焼きの店はわかりませんでしたが、
    歩吾夢(ファーム?)という喫茶店がありました。
    今はありません。
    というか、駅もないですね。。
    廃線が多すぎますね、、

    • kaikoshumi より:

      cha様
      コメントありがとうございます。
      紋別の周辺は手付かずの自然と海以外何もありませんね。
      だからよいのですが。このYHのPさんは物静かでしたがとても親切な人でした。
      喫茶店は覚えていません。殺風景な街並みでもありました。
      道外から移住されたのですか。私と同じですね。
      今後も当サイトをよろしくお願いいたします。

    • ひっちゃん より:

      昭和55年にヘルパーをしていた者です。歩吾夢 懐かしいです。流氷のころは、なにもする事がなくて、ここよく行きました。ヘルパー時代 紋別マップ作ったりして、歩吾夢や名前を忘れましたが美味しいお寿司屋さんの案内文を作った記憶があります。紋別 その後も行きましたが、ユース無くなっていて更地になっていてガックシでした。

      • kaikoshumi より:

        ひっちゃん様
        こんにちは。コメントありがとうございます。
        何もすることがない・・・、確かに冬はそうでしたね。
        夏も本人が「よし!あそこに行こう!」とか決断しなければただただ時間が過ぎて
        行くだけでした。
        でもそれが最大の魅力だったとは思います。更地というのはショックですよね。

  6. どらごん より:

    懐かしくて読みふけってしまいました。
    昭和56年の8月、なんとか大学生になった高校時代の友人8人で、かねてからの夢であった北海道ツーリング(今読むと大袈裟ですが、当時は大まじめ。ちなみに我々は関東居住です。)を実行しました。苫小牧にフェリーで上陸し、反時計回りに約1周です。
    紋別に着いたのは、確か8/28でした。宿を予約してなかったのでまずYHに行ったのですが満員で泊まれず、確かYHの玄関から見て左方向にある民宿(?)を紹介してもらい、無事宿泊できました。夜は宿の窓から確かイカ釣り船の漁り火が見えたのをよく覚えています。この民宿(?)が自分の紋別思い出No.1なのですが、どうしても名前が思い出せません。それらしき宿をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。よろしくお願いします。

    • kaikoshumi より:

      どらごん様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      どらごん様は恐らく私より2つ年下でいらっしゃると思われます。

      私も当時は横浜市に住んでいました。

      当時の紋別は夏は満員が多く、空きがあっても数名分程度と驚くほどでした。

      今はユースもなくなり古くからの旅館、ホテルがある程度で観光客は非常に少ないです。
      飛行場あると言っても札幌などからだと凄く遠いですしね。

      その民宿の情報わかると良いですね。
      また当サイトへお越しくださいね。

  7. cha より:

    どらごん様
    その民宿はモペットではないですか?
    あんるるという喫茶店も併設してましたよね。
    つい先日、行きました。

    前から「とあんくる」という喫茶店が気になってました。たしか、流氷の宿だったよな~、と。
    私はモペットも、あんるるも入った事はありませんが、
    とあんくるの内装が、ユースの談話室そのもののような気がします。
    当時、ユースはSペアレントさんで、モペットとあんるるはペアレントさんのお父様がされてたと聞いたような気がします。

    とあんくるでホールを担当していた女性に「ここは、ユースホステルだった所ですか?」等きいてみました。「そうやって尋ねられる事がたまにあるんですよ。
    そのようですね、今はここのシェフ(外国人だそうです)が住んでいる位です。各部屋にはそれらしい名前が今でもありますよ」との事でした。
    私も86年夏はワイド周遊券で一人旅してます。
    どこかでお会いしているかもしれませんね。
    浜頓別から興浜北線で枝幸まで、そこから初ヒッチハイクで雄武、興浜南線で紋別へ初めていきました。
    女性1人でも危ない目にあったことがない平和な時代でした。
    ドライバーのお爺さんにはご馳走になるし、、お礼状書いてしばらく文通してましたよ。
    懐かしいなあ~

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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