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1973年の北海道周遊券の写真

1973年(昭和48年)の北海道周遊券

 

当サイトの記事、「野中温泉ユースホステル(北海道 雌阿寒温泉)」にご訪問頂いたHORI様より1973年(昭和48年)夏の北海道周遊券のお写真をご提供頂きましたのでご紹介します。

HORI様には改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。


【2021年2月16日追記】
本日HORI様よりご提供頂いた写真を元に関連記事として「北海道・野中温泉ユースホステルの1976年の写真」をアップしましたのでこちらもぜひご覧下さい。


さて私が初めて北海道を訪れたのはその3年後の1976年なのですが、切符のデザインはまさに私が知っているそのものです。

本件はつまり北海道ワイド周遊券のことですが、昔は周遊券に表と裏の表紙が付いていたのです。

でもかなりうろ覚えの記憶になりますが途中からこの表紙が無くなって中身だけ渡された覚えがあります。
コストダウンのためでしょうか?

周遊券写真の中央上段にはB券片とありますが、ワイド周遊券は買うとA券とB券の2枚が付いていて、北海道ワイド周遊券であれば最初に道内で降りる駅でA券を渡し(駅で回収の意味)、道内を自由に回り、出発地に戻るまではB券を携行して使うのです。

写真左端に「C券片番号」とありますが、これはオプション券を購入した場合の番号です。
オプション券というのは例えば帰りに北海道以外のどこかに寄りたいなどの時に追加で購入する切符のことで、当時は十和田湖周辺の切符がC券として用意されていたようです。

 

では周遊券の写真をご覧下さい。
全ての写真はクリックで拡大します。また無断転用は一切禁止です。

↑この表裏表紙を覚えていらっしゃる方もいるでしょう。

周遊券は途中下車駅で写真のように駅のスタンプを押されるのですが、面倒なのか有効期限を確認するだけでスタンプを押さない駅員さんもいました。

このスタンプを集めている人はわざわざ「押してください!」という人もいましたね。

「でも出発地に戻ったら周遊券は回収されるのでしょう?」と思うでしょうが、出発地の下車駅改札で「記念に欲しいので無効印をお願いします」というと無効というスタンプを押されて持ち帰ることが出来ました。

立派な(少々大げさ?)表裏の表紙が切符についているなんて今じゃ考えられませんね。

また裏表紙の北海道路線図を見ると本当にあの時代はたくさんの路線があったのだな、と感慨深く思います。
今なんかスカスカになってしまい、さらに廃止の話しが出ているほどですからね。良き時代でしたね。




急行列車指定席券

HORI様からは同時に「急行すずらん」と「夜行急行狩勝」の指定席券のお写真もご提供頂きましたのでこちらもご紹介します。

すずらん」は今でも走っている列車ですが、札幌~室蘭間の特急電車の愛称です。
しかしご提供して頂いた「すずらん」は函館~札幌を苫小牧経由で結ぶ急行列車でした。

当時函館~札幌を結ぶ列車は(発着駅という意味。これより遠方に行く列車もあったが。)以下の4種類がありました。

特急 北斗  室蘭本線廻り。(苫小牧、千歳経由) 所要時間は4時間強。

特急 北海  函館本線廻り。(倶知安、小樽経由) 所要時間は5時間強。

急行すずらん 室蘭本線廻り。(苫小牧、千歳経由) 所要時間は5時間弱~強。

急行ニセコ 函館本線廻り。(倶知安、小樽経由) 所要時間は5時間半くらい。

 

参考特急 北海は一時期旭川行きもありました。
急行 ニセコは一時期(1975年頃)根室発函館行きなんて言うバカげた距離を走る列車もありました。
走行距離は816.6km、所要時間約14時間半だったようです。東京~広島の距離に匹敵しますね。

上記すべての列車を私は乗っていますが、急行は旧型客車(茶色の車体)や新型客車(青色)、気動車など何度も変革がありました。

また急行狩勝は札幌から富良野経由で釧路まで走る列車で、昼光と夜行がありました。
私は昼夜共に乗りましたが、1970年代の列車は8月とかだと夜行急行でもほぼ満員と言える盛況ぶりで、今のJRの赤字が信じられないほどでした。

また富良野経由というのは当時まだ石勝線が開通前だったので札幌を出た列車は函館本線を走り、滝川から根室本線に入って富良野を経由して道東に向かったのです。ですから距離もかなり長かったんですね。

以下の2枚もクリックで拡大します。発車時刻だけなぜ手書きなんでしょうかね?

切符に隠されたJNRマーク

別に隠されていたわけではなくて、ちょっと見れば全面に印刷されているのが分かるJNRマークの拡大を載せておきます。

JNRとはJapanese National Railways、つまり日本国有鉄道の事です。

以下の写真は上記の切符から抜粋したものですが、これを見て懐かしいと思われる方もたくさんいらっしゃることでしょう。

以下の写真もクリックで(少しだけ)拡大します。


いかがでしたでしょうか?

当時を知る人にはあの日の旅の感覚を久しぶりに思い浮かべ、知らない世代の方には驚きと新鮮味を感じることが出来たのではないでしょうか?

このように北海道鉄道旅の黄金期というのは想像以上に長い期間、そして濃い内容であったのです。

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8 Responses to “1973年の北海道周遊券の写真”

  1. 4あほ より:

    あらまぁ~、なんだかすげぇもんが出てきたっすね。
    「9300円・16日間有効」ってのも年代物っすが、
    急行指定席券も残ってたってのも、よくぞ回収されずに…っす。
    「狩勝」は夜行が全車指定席だったから、買わなきゃ乗れなかった(または「からまつ」乗れ)から、
    指定の需要はあったけど、「すずらん」は無理すりゃ自由席乗れたはずっすから、貴重?っす。
    ・・・表紙まで残ってるとは…ゆたか

    「+2100円で十和田方面を周遊できます(80年台当時)」って時刻表には書いてありますが、
    こいつ(C券)は見たことがありません。だから、そもそも「エリア内自由」なのか、「経由のみで後戻りとかできない」のか、
    うちらにはわからないところです。そいえば73年はまだ「道内特急」は乗れなかった時代…でしょうか?
    ・・・「エル特急」とかもなかったかも…はじめっちまさか小田急みたく「準急しれとこ」とかが走ってとか…

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、
    「北海」ってば、うちらじゃ「旭川行き」が普通で、季節によってばぁ
    「網走行き」になっていたりしたのだ。もしかして、志賀直哉って人も、
    特急じゃないけど、「(山線経由)網走行き」に乗ってたかもしれないのだ。
    あっ!でも石北線経由でなくって、名寄本線か網走本線経由かもなのだ。
    ・・・でもこの人は物書きだから北海道行ったことなくって城崎温泉止まりなのだつるみん城崎温泉ってばどっかの元兵庫県議(「西宮市議からガンバってやっと県議になれたんですぅ~(号泣)」)が行ったフリして交通費(税金)だまし取ってたのだ

    「下車印」とかいうのが、番号順でなくって適当なのが笑えますですぅ…。
    こんなんだったら、なして下車印とか押すのか、あたいには理解不明ですぅ…。
    今だったら、表紙とか「観光案内略図」とかなくっていいから、「下車印のしおり」
    とかいうの挟んで、スタンプラリーとかすれば、けっこうおもしろかったりするですぅ…。
    ・・・わかものの声ですぅ…みならいかのん

    • kaikoshumi より:

      4あほ様
      コメントありがとうございます。
      確かに表紙付き、これほどきれいな切符をご提供頂けるとは思いませんでした。約50年前ですから感激です!

      特急が乗れるようになったのは確か1982年頃でした。
      だからホステラーで別に特急券を買って周遊券で乗る人は「金持ち」と思っていました。

      北海の旭川行き、おおとりの網走行きなど今じゃあり得ないくらいの長距離特急が当たり前でしたね。
      また出来れば乗りたいです。

      下車印、これの意味が分かりませんね。記念にお持ち帰り用ですかね?押さない駅員多いのに。

      兵庫の議員、日本の恥でした。未だにあの会見の動画はYouTubeにあるようです。

      まあ今年のオリンピック絡みの例の件も世界中に大恥さらしましたが。

  2. キュア梅盛 より:

    札幌ー釧路間って、在来線の中では一番スピードアップを果たした区間ではないでしょうか?

    滝川・富良野経由だった頃は時間以上かかっていたのが、現在は4時間弱(JR北海道が石勝線内で火災事故をやらかす前は3時間50分台)で行けますし…そのお陰で釧路空港が霧で閉鎖されて帰れなくなりそうになった時に白糠(釧路空港の最寄り駅)から南千歳まで特急おおぞらに乗って新千歳から無事帰れたという事がありましたし・・・

    • kaikoshumi より:

      キュア梅盛様
      コメントありがとうございます。
      札幌~釧路間、その一つだと思いますが、やはり札幌~函館だと思います。個人的にですが。
      一時期は札幌~函館を2時間59分でしたからね。これは驚きました。
      当該列車に乗りましたが「こんなに飛ばすの!」と驚きました。
      曲線の出口、入口で車体を傾けるために「シュー」というエアの音がしていました。

      今は事故などの後遺症でスピードダウンしてしまい残念ですが新幹線に期待ですね。

      ところで帯広(だったと思うが)~釧路間と旭川~名寄間はJR北海道の所有線路ではないですね。
      北海道高速鉄道という第3セクターのものでJRが利用料払っています。だからこの区間は高速運転が可能であり、JRが単独で存続できる区間に指定したのですね。

  3. SUNDOWNER BILL より:

    1977年2月27日から社会人になる前の学生最後の長旅で北海道ワイド周遊券を使って一周しました 今は廃線になった所や閉館したYHが多く 想い出の中の夢の様な世界でした

    美幌駅前のボロ旅館に望洋台YHで知り合った同じ22歳の友と宿泊し JRバスにて屈斜路湖から摩周湖を巡り阿寒湖からはバスが無く ヒッチで大型トラックが止まってくれ 登山口から夕暮れの雪道を1時間程歩き やっと野中温泉YHに到着

    広い木造風呂 翌朝のオンネトーから望む雌阿寒岳の朝日 途中YHで会った女三人旅とも再会 楽しい星空の下の会話を楽しみました

    その後 社会人となり資金を貯め 念願の世界一周もしましたが 野中温泉はその中でも想い出探い場所です

    定年退職後 北海道7日間の鈍行独り旅をしましたが 昔の素朴な旅とは違うものを改めて感じました コロナで延期してる長期北海道車中泊旅をそろそろと!
    ※野中温泉に一緒に泊まった大阪の友は今でも繋がってます

    SUNDOWNER とは 夕日が沈む所が今日の我が家 と云う意味のオーストラリアの羊飼い(遊牧民)を指す言葉です

    • kaikoshumi より:

      SUNDOWNER BILL様
      コメントありがとうございます。
      ワイド周遊券、ミニ周遊券共に大変に便利でお得なきっぷでしたが無くなってしまいました。
      旅人にとっては素晴らしい切符でしたが、赤字のJRからすると「あまりうれしくない商品」なのかもしれませんね。
      雌阿寒岳のご来光登山とかもやりました。若さゆえに全然苦ではありませんでした。

      また北海道にお越しください。思い立ったら!が重要ですよ。

      • SUNDOWNER BILL より:

        この様な投稿は初めてしました 野中温泉YHの文字があったからでしょう 北海道は良く行ってますよ!既に100泊以上はしてます 世界旅行で知りあった札幌在住の二人とは今でも繋がっており 他にも知人がおります

        • kaikoshumi より:

          SUNDOWNER BILL様
          コメントありがとうございます。
          私も北海道は相当数行っており、結局「北海道の人と結婚し」、「北海道(札幌)に住むことになった」のでした。
          プロフィールにも書いていますが東京出身ですが今は札幌市におります。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
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