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子どもの時に親から言われて恐かったこと・・

子どもには怒られた方がマシという事もある

 

子どもにつきものは「怒られる」という事です。
これは時代年代性別問わずすべての子ども経験者に当てはまり、時には先生、時には親戚や近所のおじさん/おばさん、そして一番多かったのは親から怒られるということでしょう。

でも時として「怒られた方がよほどマシだった。」という事が子どもにはあるはずなのです。

どういうことなのでしょうか?
私も急に思い出した事なので記憶を辿りながら書いてみます。
(なお本記事ではトラウマであっても重大深刻なものには触れません。)

子どもも恐ろしいトラウマになる事がある

トラウマは誰だってあります。年齢関係なく、そしてトラウマという言葉が世間に浸透する遥か昔からあるのです。

子どもにとってのトラウマはもちろん人によって内容や、その深刻さもピンキリですが、たいていは「いたずらをした」、「ウソをついた」、「日常の言動について」などではと思います。

思い出した範囲で書いてみますね。

 

いたずら①
いたずらばかりしていて、自分がされたらどうする?困らないのか?
そんな事ばかりしていると、学校中の生徒や先生、それどころか街ですれ違う人もお前にいたずらを仕掛けてくるかもしれないぞ。

学校に行ってさあ授業だという時に、ランドセル開けたら何も入っていないかもしれない。
昨夜か朝確かめた時には時間割どおりに教科書やノート入れたのに・・・。

給食の時間になって自分の分だけなかったらどうする?悲しいどころの苦しさではないはず。

それにもしかしたら日本中どこ行ってもお前にいたずらや嫌がらせをするかもしれない。
まともに暮らせなくなるぞ。

→(自分の気持ち)ごめんなさい! もういたずらはしません。だから僕にもみんないたずらをしないで!  自分もいたずらされて困る事は嫌です!

いたずら②
いたずらをして人を困らせて楽しいのか?人にいたずらをするだけでなくお前は校庭の木や校舎にいたずら書きをしただろう!
どうなるか分かるか? 木や校舎とかには「主(ぬし)」が住んでいるんだよ!
この「主」が「よくも俺にいたずら書きしたな! 恐い思いをさせてやる!いつも後ろから付いて行ったり、夢の中に出て泣かせてやる!」と「主」から恨まれるんだよ!←親や先生からの忠告。

→(自分の気持ち)低学年だった私は震え上がり、心中で「ごめんなさい、ごめんなさい。消せるだけ消しますから許してください。特に夢の中には絶対に出ないで下さい。」と何度も何度も謝った。

追記:本件に限らず恐いことは夢の中だけは勘弁だと思いますよね。現実よりも夢の中の方が何故か遥かに恐怖心を強く感じます。

ウソをつくこと
ウソをついたな。その場で「冗談だよ!」と笑って済むくらいならばいいが、今回は度が過ぎている。

ウソをついて黙っていれば、さらにそのウソを隠すために新しいウソをつかなくてはいけない。
そして更にそのウソを隠すために・・・、と何重にもウソを上書きしていくことになる。
こんなこと直ぐに見破られてしまうし、多くの人を困らせて悲しませることになる。

ウソをつき続けると舌を抜かれる事はなくても、今度はお前のまわりの人、見ず知らずの人までもがお前にウソをつくようになるぞ。道に迷ってどうしようもない時にウソの道を教えられて、その先が崖になっていたらどうする? 足を踏み外して谷底に落ちるかもしれない。

ウソは軽い気持ちから始まるかもしれないが、人を悲しみと苦しみに突き落とすこともある。
だからウソはついてはいけない。ウソをつくと一生ウソをつき続けないと生きていけなくなってしまい、周りからも相手にされなくなり友だちもなくし、ひっそりと一生家にこもっていなくてはならなくなるぞ!

→(自分の気持ち)わぁー! ごめんなさい! こんなに〇〇君が困るとは思わなかった。本当にごめんなさい、ごめんなさい。もうウソはつきません。正直に生きます。だから許してください!




日常の言動
人の悪口や困らせたりすることを例え陰であっても言ってはいけない。
必ず自分に戻って来てしまう。例えば、

 

・あんな奴学校来なければいいのに
→きっと「あんな奴」も自分に対して同じことを思っている。お互いのどちらかが本当にそうなってしまったらどうするのか? 冷静に考えればそんな結果はお互いにとても悲しいことだと分かるはず。

・お菓子のごみを捨てたってバレなければいいじゃん!
→絶対にバレる。その場でバレなくても後日とか「お前が捨てたんだろう!」とそのごみを恐い人や警官が持って家に来るかもしれない。(自分の親、友人の親からも言われた。)

→(自分の気持ち)お、恐ろしい、恐い! 恐い人が家に上がって来たらどうしよう?しっかり鍵をかけておいてもガラスを割って入って来るかも? 警官だったら間違いなく逮捕だ。すぐに手錠をはめられて警察に連れて行かれて刑務所行きだ。明日からは学校にも行けない。宿題をやる時間もくれないだろう。何年間刑務所に入るのか・・・。

・どんなに嫌いな人にでも「転べばいいのに」とか「死んじゃえ!」なんて絶対に言ってはいけない(心中でも)

→自分に降りかからなくても、そう思っていると相手が本当に転んだり死んじゃったりすることになるかもしれない。そうなったらどうするの? 「僕が思い続けたから」なんて言わなければバレないかもしれないけど、君は一生この事を思い続けて苦しみながら毎日暮らすんだよ!

→(自分の気持ち)絶対に言ったり思ったりしません。本当にごめんなさい。嫌いでも出来るだけ仲良くします。お友達だから。

 

これらはどんな人でも経験はあると思います。
大人になると(特に社会人)もっともっと過酷な経験をたくさんする筈ですが、人間の人格形成は幼少期に作られると言われますので、やはり幼少期はまっとうな生活・行動をするべきですね。
当たり前だけど。

大人になって本人自身が人から嫌われることになる人もたくさんいます。
でもその反面私の周りにも「子どもがそのまま大人になったようなピュアな人」もたくさんいます。

社会人になると自分一人ではどうしようもないことがたくさんありますが、その時は深呼吸をして幼少期を振り返ってみてはいかがでしょうか?

何か新しい発見、対処法が見つかるかもしれませんよ。

 

それにしても恐い夢、というのはいくつになっても見たくないですね。

まるで現実に起きているような恐怖感が!

 

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2 Responses to “子どもの時に親から言われて恐かったこと・・”

  1. 浜のヨースケ より:

    子ども時代に怒られたことは僕にも数多ありますが、都合のいいことに、ほとんど記憶に残っていません。
    ただ、母から怒られた事件が心の奥に引っかかっています。

    それは、僕が小学5~6年生のころの母の日でした。
    その日は、ちょうど小学校の目の前に露天商が出ていて、いろいろな小物を売っていました。
    僕は一旦家に帰り、貯金箱の金を握りしめて露天商から母へのプレゼントとして財布を買ったンです。母が、きっと喜ぶだろう、と思って。

    ところが、その思いはコテンパンに潰されました。
    母は「何で、こんな物を買って来たのッ!」と怒り、「すぐに返して来なさいッ!」と。

    それがトラウマとなり、今では女房にも何もプレゼントをしないため、「結婚以来、私には花一本も買ってくれないッ!」と怒鳴られ続けています。

    そんな経験とは別に、怒られたことを教訓としていることがあります。

    学生時代、「平凡パンチ」という雑誌の編集の下請けをしていた時のことです。
    仕事場は出版社のある銀座ではなく、少し離れた青山のビルの一室でした。レイアウトの作業が遅れて深夜になり、編集部からの催促電話には「もうじき出来あがります」という返事を繰り返していましたが、結局、銀座へ入稿したのは朝方になってしまいました。
    その時、編集担当のお偉いさんから「この時間になるなら、昨夜のうちに言ってくれれば、我々は終電で帰宅出来たのにッ!」と、ひどく怒られました。

    以来、これをキモに、社会人になってからは「迷惑をかける言い訳はするな」と心に誓った次第です。

    • kaikoshumi より:

      浜のヨースケ様
      コメントありがとうございます。
      私にも似たような経験があります。プレゼントではないのですが、自分自身に買ったものです。
      露天商かどうか覚えていませんが、小学校3~4年生の時に小遣いで駄菓子とかを買ったのです。
      ともかくスーパーとかの普通のお店ではなかったと思います。

      それを知った母が「不潔極まりない!おなか壊すかもしれない。返してこい」と言ったのです。
      当時でも生ものとかではなかったのでそんなに怒らなくても、と思いました。
      でも子供に返してこい!はあまりにも無謀でしたので「無理」と言い張り、結局別のお菓子を
      買ってもらいました。これが良かったことなのかどうかは今でも分かりません。

      ただ昔は親もこういう側面もあって、子どもを心配していた、実際怪しい露天商も多くあったのは事実です。
      小学校の裏で下校時の子どもを待ち構えていた業者もいました。

      ビジネスで時間を守る、守ることが困難であれば早めに伝えるは新卒で入った会社で叩き込まれましたので
      時間で迷惑を掛けたことはないのですが、その分自分へのプレッシャーは大きかったですね。

      妻へのプレゼントは可能な限りやっています。
      妻は人生最大のパートナーですのでどんな理由があれ大切にしたいと思っています。

      以前妻への最大のプレゼントは「ありがとう」という言葉だ、とTVで誰かが言っていて納得しました。
      このTVを見る前から「ありがとう」は言っていましたが、これをきっかけにさらに「ありがとう」の
      言葉を増やしたのですが、言いすぎると妻から「あまり言わなくてよい。なんか『今までありがとう』に聞こえて来て最後の別れかよ!」と言われてしまいました。
      こういう事を返されるのもきっと【愛】なのでしょうね。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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