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新大久保界隈の子どもの遊ぶ場所は?

大都会新宿の新大久保界隈で子どもが遊ぶ場所

 

当サイトのあちこちに私は「小学校5年2学期から中学2年2学期までを新宿区の新大久保で過ごした」と自分で暴露していますが、これを読んだ方は「あんな東京のど真ん中で子どもたちは何処で遊んでいたの?」と思われるのではないでしょうか?

(小学校5年のそれまでは東京都練馬区、中2の2学期以降は横浜市の日吉在住ですが、中学卒業までは電車で新大久保まで通っていました。)

特に東京でも郊外の方、地方都市の方は興味津々かもしれません。
小学校の時は教室から新宿西口の高層ビルを見ながら授業を受けていましたからね。

小学生の子供が歌舞伎町やその他飲食街に出入りしていた、なんて思った方はいないとは思いますが(いるかもしれませんが)、本記事をお読みになれば「へぇ~」と思う場所が出て来ると思います。

時代的には1970年代前半~後半にかけてくらいとなります。
まあおっさんの思い出話しにお付き合い下さいませ。

東京のど真ん中でも子どもが遊ぶ場所はたくさんある

小中学校、および住居は山手線の内側というまさに大都会だったのですが(実際は単なる住宅密集地だけど)、遊ぶ場所はたくさんありました。

以下の図は私が遊んでいた主な場所をGoogle mapに加筆したものです。
私の家、小中学校の場所は以下の地図の新大久保駅のやや右上の「大久保」という文字がある付近でした。

クリックで拡大し別ウィンドウ(タブ)で開きます。

1、戸山公園
当時は戸山交通公園と言っていました。当時の正式名称は分かりませんが、とにかく子どもたちを中心に「交通公園」で通じていたのです。

なぜ交通、というのかというと比較的広い土地の中に信号機や交差点、踏切などがありそこをゴーカートで走って交通ルールも学べるという事が体験できるからです。

このゴーカートは山手線の内側にある公園とは思えないほど距離が長く、結構本格的で休みの日は子どもたちで大賑わいでした。パトカーのゴーカートもあって、これは係の人が警官の格好をして不正運転をする子どもを取り締まるためでした。
しかもパトカーのゴーカートは明らかに子どもたちが乗る車と比較して早いんです。知っている方は皆同じ事を言います。
エンジンパワーも違ったんでしょうね。

またゴーカートに乗らなくてもとにかく広いので思い思いに楽しむことが出来て、日曜日にはお弁当を広げている人もいました。今はゴーカートは無くなりましたが面影はそのまま残っていて昔も今も子どもたちのパラダイスになっています。

以下の3枚の写真は私が2018年8月3日に撮影したものです。
昔の面影を感じますか? (すべてクリックで拡大し別ウィンドウで開きます。)

↓最南端の長い鉄棒やコンクリート製の山などの遊具や丘があった場所

↓旧ゴーカートコースの一部

↓東側入口の休憩所と事務所?(2022年現在は取壊されて後継の建物になっています。)

戸山公園の場所

当サイト内の記事
戸山交通公園(東京都新宿区)

戸山交通公園(東京都新宿区) 【その2】




2、 箱根山
この名前を聞いて「え? 温泉地の?」と思われるかもしれません。
でも東京のど真ん中にも「箱根山」はあるのです。

箱根山の場所はこちらです。

箱根山は標高44.6mで山手線内の土地でもっとも標高が高い山です。ちょっとした都心のオアシスです。
山と言っても江戸時代に作られた人工の山なのです。そしてこの箱根山のある場所は先述の戸山公園内という事になっています。

地図で見ると多くの住宅やビルを挟んで箱根山と先述の戸山公園は離れていますが、箱根山は戸山公園箱根山地区ということらしいです。

家からは自転車で10分くらいだったと思います。
歩いて行ったことは一度もありません。何回かクラスの男子数人と箱根山で合流して遊んだことがありました。

3、西戸山公園
戸山公園から見て山手線と西武新宿線を挟んで西側に位置する公園です。
ここは昔も今も野球場がメインで、一般の子どもたちにはやや肩身が狭い感じはします。

西戸山公園の場所はこちらです。

とは言っても都心では貴重な公園ですので野球をしなくても子どもたちでにぎわっていました。
戸山公園からほど近い場所ですが線路を挟んで反対側になるので使い分けもされていたと思います。

でも戸山公園は野球場とかが無いのに広く、しかもゴーカートをたっぷり乗れるという魅力があったので、付近の子どもたちには戸山公園の方が魅力的だったと思います。

以下の2枚の写真は1972年に私が実際に撮影したものです。
俯瞰のような写真の奥に団地群が写っていますが、これは国鉄アパートで現在は高層マンションが建っています。
写真左方向が高田馬場駅、国鉄アパートのすぐ手前に山手線と西武新宿線が走っています。

もう1枚のバックネットから写した写真の奥の方に一つ大きな建物が写っています。
屋根に小さな長方形の構造物が乗っかっている建物ですが、これは早稲田大学理工学部の建物で2022年4月も現存します。

写真は2枚ともクリックで拡大し別ウィンドウで開きます。

西戸山公園はやはり線路を越えるので家から歩くとちょっと距離がありましたから、行く時はいつも自転車でした。

またすぐ近くに都営アパートがいくつも建ち並んでいて、そこに中学1年生くらいの時にクラスメート数人でここに住んでいる美術の先生のお宅に遊びに行ったことがありました。

女性の独身の先生で、確か大学出たてくらいで小柄で細身、ショートカットでめちゃくちゃ可愛い先生でした。
個人的には私が行った学校と名の付く学校の先生(&幼稚園含む)、職員で彼女を超える可愛い人はいなかったと自信を持って断言できます! (だからどうした!と言われそうですが。)

男子からは憧れの的で性格も棘が無く優しく中坊ながら「結婚したい・・・」なんて密かに思っていました。
でも同行した数人のクラスメートのうち2人くらいは女子だったんですが。

先生が手料理を作ってくれるというのでお菓子などを持って訪問したのですが、結局私たちはガキンチョらしく大騒ぎして帰って来ました。この先生のお名前は忘れてしまいましたし、確か私が在学中に転勤になられたと記憶します。
そして地図やストリートビューを見ると今でも都営アパートはいくつもありますが、当時はもっと低層でボロかったので、現存のものは建て直した後のもののようです。ちょっとした淡い思い出でした・・・。




4、BIGBOX
高田馬場駅目の前にそびえる巨大な箱、まさにBIGBOXです。

BIGBOXの場所

ここはスポーツジムを中心に各種ショップ、飲食店が入った複合施設です。実はBIGBOXは私が中学に入ったころに出来た施設でした。建設は恐らく1972~1974年ごろと思われます。

何度か中にも入っていますが、ここのスポーツジムの会員になったことはありません。
特にそういう気持ちもなかったし、やはり高田馬場駅前という超一等地なので会費もそれなりだったのでは、と思います。
当時はスポーツジムに通う、なんていうのは一般庶民のすることではなかったという点もありますね。

でも同じ中学でジムに通っている人もいました。

それと理由が未だに不明なのですが、中学の時に先生から「BIGBOXの会員になっている人はいますか?」との発言があり、その場では誰も手を挙げなかった気がしますが、その後耳に挟んだ話しでは先生とPTAの話し合いで「行くのはあまり良くない」という発言が出たとか聞きました。

この理由はどう考えても全く分からないのですが、「ジムは会費が高いので行きたくても行けない子どもと差別が生まれる」、「中学生くらいであのようなスポーツジムに通う事自体あまり良くない」とかの当時の時代を反映した理由ではなかったのかな?と思います。

1960年代~1970年代前半くらいは東京でも経済格差が割とあったのです。
知る限り食事に困っているとか給食費が払えない(いたかもしれないが耳にしたことは無い)とかの話しは聞いたことはありませんが、例えば「車のない家が多い(今でも都内ならば不要でもあるが)」、「夏休みなども家族旅行には無縁」など細かい部分では色々とありました。

関連記事:東京都内での激しい経済格差

BIGBOXは現在は青を基調としたデザインですが、以前は赤でした。でも正面の巨大なBIGBOXの文字は建設当時そのままのようです。

また現在のBIGBOXを調べると飲食店がかなり多く入っているようで、昔と比べるとずいぶん形態が変わった気もします。

5、諏訪神社
都心の神社にしては敷地は広い方だと思います。正式名称は「新宿諏訪神社」と言いますが、知る限り皆「諏訪神社」と言っていました。277段もの階段があることでも有名です。

場所はこちらです。

戸山小学校、中学校界隈では戸山公園の次に行っていたかな?と思います。
遊具などはありませんが比較的広い境内と静かな環境で子どもたちには人気のスポットでした。

神社前には東西方向に延びる諏訪通という道がありますが、この道は今でこそ片側2車線の比較的広い道ですが、私が遊んでいた頃の諏訪通は片側1車線で、歩道も殆ど無いような狭い道でした。

でもいつの間にかこんなに広い道になってしまい驚き以外の言葉がありません。
だって山手線の内側で、かつ何か高層ビルや高速道路が出来るなどの大規模プロジェクトがあるわけでもないのにこれほど道幅を拡張した、いや出来たというのはすごい事です。

諏訪神社側の方は昔のままなので南側の住民に立ち退きをお願いして拡張したようです。

この南側にはクラスメートが二人いて、その二人とも親が商店をやっていました。
付近の商店は少ないので業種を言うとバレるのでこれは秘密にしておきますね。

でも南側の商店でクラスメートとは無縁のお店で天ぷら屋さんがあり、いつも諏訪神社で遊んだ時にここで天ぷらを買って食べました。

ひとつづつ紙に包んでそのまま手で持って食べれるようにしてくれたんです。お惣菜やさんでしたからね。

私はいつも「ごぼうの天ぷら」を好んで食べていました。サツマイモが好きなんですが何故か「ごぼう」にはまったんです。

また諏訪神社には一つだけ強烈な思い出があります。

こちらの記事の「非常にショックを受けた見世物」の部分をお読み頂ければ幸いです。




6、ぶんけん
これは新大久保にあった模型屋です。
間口も小さく夫婦二人でおやりになっていましたが、いつも子どもたちで大盛況でした。

住宅地の中にぽつんとあり、大通りに面していたり大きな看板があったわけではありません。

でも私の目から見た範囲では大繁盛という感じでした。
ネットなど無い時代でしたので子どもたちの口コミなのか、はたまた模型誌に広告が出ていたのか分かりませんが、電車に乗って遠隔地からやってくる子どもも多くいたようです。

(私は家から徒歩10分以内だった)

本格的なエンジン式のラジコンもたくさん置いてあったので、子どもだけではなくある程度財力のある高校生、大学生、社会人なども多く訪れていました。

お金のない子どもたちはせいぜい安いプラモデルを買うくらいだったと思いますが、買わなくてもこの店の中の多くの商品を眺めるだけで幸せな時を過ごすことが出来たのです。ほぼ男子限定ですが。

私はここで買うものの99%は電子部品で、ラジオやアンプなどを作るのが好きでした。
新大久保に住んでいれば秋葉原も近いですが、家からお手軽に買いに行けるのが魅力でしたね。

ぶんけんについてはこちらの記事をご参照ください。

7、代々木公園
全国的にも知名度は高いと思いますが、敷地に隣接して明治神宮や渋谷公会堂(今は建替えて形態も変わったが)、NHK放送センターなど著名な施設のある都内でも有数の広大な公園です。

代々木公園の場所はこちら

ここも新大久保辺りに住んでいると小学生でも(特に高学年ならば)遊びに行く場所の一つとなります。
最寄り駅は山手線の原宿です。

新大久保からは3駅ですが、やはり少額とは言え電車賃がかかること、平日の放課後だと時間的に遊ぶ時間が短くなるので行く時は土曜日の午後や日曜日でした。

公園自体は入場料は取りませんので良いのですが、でもジュース飲んだりお菓子買ったりしてけっきょく電車賃以外にもお金がかかってしまうんですね。

(近所の公園で遊んでもジュースやアイス、お菓子などは必須ではありましたが)

実は代々木公園及び付近は高校生とかになっても私には深い縁がありました。
高校も都内の所謂都心にあったのですが、敷地が大変に狭くてプールが無いので代々木公園内のオリンピックプール(多分小さい方)でプール授業をやりました。借り物の場所にわざわざ出かけていくので回数は1年にせいぜい2~3度くらいだったと思います。

また学校の体育館も狭くて入学式、卒業式で在校生や親などが入れないので、これらの式典は渋谷公会堂を使いました。
幼少の頃から歌番組やドリフターズで見た渋谷公会堂を使うという事に入学式ではとても感動を覚えました。
卒業式は何も感じませんでしたけど。

8、新宿御苑
これも言わずと知れた全国的にも著名な都内の公園です。
新宿駅からも徒歩圏内、山手線の内側の大都会のオアシスです。

新宿御苑の場所はこちら

ここも行くのは土曜日午後や日曜日だけでした。
でも代々木公園と異なることとして、「入園料がかかる」、「代々木公園のような自由な雰囲気はなく、ボール遊びや走り回るのにためらいを感じる。」など子どもが自由奔放に遊ぶ公園ではありません。

子ども心に「ここは静かに過ごすところ」という感覚があったかもしれません。だから本当にたま~にしか行きませんでした。

新大久保界隈から歩いても40分強、高田馬場地区からも1時間もかからず行けたと思います。

 


 

いかがでしたでしょうか?

山手線の内側、東京の中心部でも子どもはあちこちの遊び場を見つけて、そして工夫して遊ぶのです。

これは時代や場所を問わないと思います。
本記事とは逆に「田舎過ぎて自然はたくさんあるけれど遊具は皆無」とか「整備された公園などない」、「都会的なものもゼロ」という場所に住んでいる子どもたちも工夫して遊んで、そして成長していくのです。

子どもの順応性や大人が気が付かないような斬新な発想はこれからも、どんな地域でも永久不変だと思います。

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4 Responses to “新大久保界隈の子どもの遊ぶ場所は?”

  1. 浜のヨースケ より:

    こんにちは!
    管理人様は小学校高学年から中学時代に新大久保界隈で過ごされていたんですね。紹介記事にある戸山交通公園は名前は知っていましたが、ゴーカートも乗れる大きな公園だったとは驚きです。

    管理人様があの町を自転車で走り回っていたころ、僕は大学へ通う山手線から線路沿いのロッテの看板を眺めていました。
    その大学時代の女友だちが結婚し、西戸山公園隣の高層マンションに住んだので、仲間たちと「お部屋拝見」に押しかけ、眼下に広がる眺望に溜め息をついたことを思い出しましたが、それから40年が経ち、当時は珍しかった高層マンションも老人世帯化が進み、災害発生時にエレベーターや電気・水道・ガスが停まった際の住人たちの対応を実験するNHKの番組の現場となったそうです。

    • kaikoshumi より:

      浜のヨースケ様
      コメントありがとうございます。ロッテの工場は今は移転して現在は住宅展示場になってしまったようです。
      小学校の目の前がロッテ工場だったので、授業中はチョコやガムの匂いが教室に漂って来て子どもとしては勉強どころではない!という感じでした。
      西戸山の都営住宅や、戸山ハイツなどは当時は新時代の住宅、未来の住居などともてはやされたと思いますが、現在は仰る通り住民の高齢化ばかりが話題になるようになってしまいました。
      でもこの界隈は変わってように見えて私がいた頃から時間が止まったままの場所も多々ありちょっと複雑な気持ちです。

  2. 浜のヨースケ より:

    おはようございます!
    最近、チョッと滅入っていましたが、この「懐古」のページをめくったら和みました。
    僕にとって貴サイトは気分回復の特効薬です。
    今後も飲み(読み)続けますから、よろしくお願いします。

    • kaikoshumi より:

      浜のヨースケ様
      コメントありがとうございます。
      このようなコメントが一番励みになります。
      こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
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