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旭川ユースホステル

今は無き旭川ユースホステル

北海道のほぼ中央にある大都市、旭川市に旭川ユースホステル(以下YH)がありました。

参考記事(YHをご存知でない方も):ユースホステルの思い出と掟

場所は旭川駅から南西に直線距離で約2.6km、繁華街とは逆方向でYHのすぐ裏は「伊ノ沢市民スキー場」*という市民向けの小さなスキー場で、スキー場と反対側は昔からの住宅密集地です。

*伊ノ沢は現在の地図を見ると真ん中の文字が「ノ」ですが、昔は「の」の表記が多かったようです。
現在のこの地の住所表記では「旭川市神居(かむい)」になり伊ノ沢や伊の沢は地名では無いようです。

そして旭川YHは新旧の建物で多少位置が違っていたようです。以下からGoogle mapで場所が表示されます。

旧YHのあった場所

新YHのあった場所
(新、とは言っても2022年現在はYHとしては閉館し、「グループホーム花みずき」として利用されています。)

先に申し上げておきますが私が実際に泊ったのは「旧」の方で「新」の方のYHは泊った事はありません。

どんなYHだったか記億の範囲で書いてみます。

旭川ユースホステルとは?

旭川YHは先述のように旧、と新の2つの建物がありました。
とは言ってもホテルの新館と旧館とかのように同時に並んで営業していたわけではありません。

古くなった建物を取り壊してその隣に新しい建物を作ったのです。

新しい建物でのYHは既に閉館となりグループホーム、つまり福祉施設として営業しています。

2022年現在旭川市内にYHは1件もありません。

残念ですが旭川YHは駅からバスで20分くらいかかるので朝早い列車には乗れない、YHという施設の性格上夜遅くの到着も出来ないという大きな問題がありますので、旭川でYHの需要は皆無と言えます。

これには利用者減による全国的なYH自体の衰退、そして旭川駅周辺に林立するホテル群、旭川駅は交通の要所であり道内何処に行くにも便利な拠点という面もあるからです。

 

さて先述したように私は「旧」の方しか知らないのですが、常連のように通ったというほどでもありません。

初めて泊まったのは1976年(昭和51年)8月16日(月)でした。その後は翌年の1977年8月、そして数度泊まっていますが全て夏です。

旭川YHと検索すると全てと言ってよいほど現在福祉施設になった方の情報しか出て来ません。

様々な方のブログなどを拝見しても「旭川YH=現在福祉施設の建物」という図式が出来上がっていました。

違うんです、私が知りたいのはその前の山小屋風だったと記憶する古い方のYHなんです。

後年の新しい旭川YHは1993年に建てられた建物だそうですが、私は1976年に既に旭川YHに泊っているからです。

私が持っている情報は1976年8月に初めて北海道を訪れた時に使用した観光ガイドブック(ブルーガイドパック1975年版)だけです。以下のように地図上に旭川YHが載っていますが写真は自分保有の物もありません。

以下の地図の方のみクリックで拡大し別ページ(タブ)で開きます。
(いずれも引用元はブルーガイドパック1975年版です。)

地図の方はYHの場所以外にも興味津々ではないかと思います。

近文駅から自衛隊方面に伸びる貨物線があったりしますね。
今も航空写真で見ると線路の痕跡がはっきり分かります。

また当時はまだ道央道がここまで伸びていなかったので、地図左上の方にあるはずの旭川鷹栖ICもありません。

それと注目して頂きたいのが以下の地図上の3つの駅名です。

・あさひがわ

・あさひがわよじょう

・しんあさひがわ

今はどの駅も全て「あさひかわ」と濁りませんが当時は「がわ」でした。でも当時でも自治体の市は「あさひかわ」と濁らなかったんです。

詳しくはこちらの記事をご覧ください。




さて「古すぎて見つからないか・・」と思いあぐねていたところ当時の写真をついに見つけましたので引用させて頂きたいと思います。以下をご覧ください。クリックで拡大し別ページで開きます。

引用元:ぐりぐりももんがのうんちくゲレンデ行脚&地方応援ブログ 様
https://alpine-ski-slope.blogspot.com/

左側の建物ですが、「そうそう、こんな感じだったね」と感激しました。
地図も出ています。

ただ現在のGoogle mapと見比べるとYHがあった場所付近のスキー場側の道路がかなり変わっています。

特に現在の福祉施設「花みずき」脇の山に登って行く道路は旧旭川YH時代にはありませんでした。

私が泊ったいずれも夏はまだまだYH全盛時代でしたので、ほぼ満員でごった返していた記憶があります。

1976年の時か、それ以降(1978年だけは北海道に行っていない)の年か忘れましたが夕食の案内があって直ぐに食堂に向かったのに既に食べ始めている人がたくさんいて、少し待つという事もありました。

それと当時のYHの名物というか付きものだったミーティングですが、これは全く覚えていないんです。
ただ真夏の繁忙期でもバカ騒ぎはしなかったという事と、静かにお茶を飲んで話すというのも無かったと記憶します。

静かにお茶を・・なんてホステラーで満杯の状態ではしませんし、バカ騒ぎとかをするYHではなかったんですね。

ヘルパーさんたちも多くのホステラーの対応や食事の準備、片付けなどでてんてこ舞いだったので余裕もなかったことでしょう。

初めて泊ったころも新しさを感じない、というか渋い建物で汚くは全然ないのですがある意味YHらしいYHの建物でした。当時で言えば「YHとはこのことをいう!」みたいな建物、設備だったと思います。

今のYHだと「鉄筋コンクリート、きれいで明るいベッドルーム」ということなのでしょうか?




建替え前の旭川ユースホステルについて更なる調査

調査、というほど大ごとではないのですが、建替え前の建物の場所や詳細をもっと知りたい、と調べてみました。

でも詳細、例えば正面や建物内の写真や言及については見つからず、自分の手元の物を色々探してみましたが発見出来ませんでした。

何かないか、わずかでも、と考えていたところよくお世話になっている国土地理院の地図サイトを思い出しました。

これは戦後(場所によっては戦前も)~現代に至るまで日本各地の航空写真を見ることが出来る画期的なサイトで、知る人ぞ知る、というものです。

旭川YHの建替えは1993年らしいので、それより前の年代で比較的よく映っているものを物色したところ1977年9月撮影の物を発見しました。

私が初めて北海道に行った翌年、そして1977年の8月も泊まっているはずです。
(YH会員証を見れば記録が分かるが、押し入れの奥底からまだ救出出来ていない。あるのは確認済だが。)

 

まず以下をご覧ください。1977年(昭和52年) 9月28日に高度1400mから撮影されたものです。
クリックで拡大し別ページで開きます。

画像引用元:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 様
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

先述の旧旭川YHの写真と構造が一致すると思います。
上記の写真を5倍拡大し、画素補間という技術で画質調整を行ったものが以下の写真です。
煙突や窓などもはっきり見えると思います。

表示後に+マークの付いた虫眼鏡マークが表示されていたら画像をクリックするとさらに拡大されます。
(但しかなり粗くはなります。)

クリックで拡大し別ページで開きます。

どうです?昔の旭川YHを知る方は航空写真と言えどもとても懐かしく思われるのではないでしょうか?

 

そして新旧の旭川YHの位置関係を検証するために2022年の地図に、先述の1977年の旧旭川YHの部分を重ねた地図が以下のものです。

クリックで拡大し別ページで開きます。

重ねた旧YHの縮尺と位置は正確に合わせてあるわけではありませんが、他の地図などの資料と照らし合わせて位置関係を確認していますのでほぼ正確だと思います。

つまり新旧の旭川YHは隣どおしの場所だったのですね。新築となれば場所をずらして作ることが多いと思われますので妥当な線でしょうか?

グループホーム横の道は昔はありませんでした。いつ建設されたのかは分かりませんが、実際に見てもかなり新しい道に見えました。

そして新しい旭川YH(現、グループホーム)が開館した翌年の1994年6月23日に高度4000mから撮影されたのが以下の写真です。

何故か白黒ですが状況がはっきりわかります。この年には既に新しい旭川YHが開館営業開始していますので、旧旭川YHの建物は取壊しを待っている、または解体作業が始まったころでは、と思います。

以下もクリックで拡大し別ページで開きます。

画像引用元:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 様
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

 

以上より新旧旭川YHの位置関係と周辺がはっきりし、ちょっとすっきりしました。
でも旧YHの正面からの写真が入手できず残念です。

もし旧旭川YHの写真をお持ちの方がいらっしゃれば当方までご連絡下さい。
掲載させて頂きたいと思います。

その際のご連絡は当サイトの最上段のタイトル、その直下にあるメニューの「お問合せ」からご連絡下さい。
写真の送り方などご連絡させて頂きます。「お問合せ」からご連絡頂ければサイト内には一切表示されません。
スマホも同様です。(スマホの場合は「メニュー」のプルダウンボタンを押せば「お問合せ」が表示されます。)

以下のボタンです。(PC画面)クリックで拡大し別ページで開きます。





2022年5月の旭川YH跡

私が2022年5月18日に旭川YH跡を訪問した時の写真を載せておきます。
いずれもクリックで拡大し別ページで開きます。

↓1993年建築の最後の旭川YHの建物。現在はグループホーム。
YH時代はひさしの部分に「旭川ユースホステル」の表記があり、入口左側のスロープは無かった模様。

↓グループホームの建物の右並びに銀色のプレハブ、赤い屋根の建物(スキー場の施設)があるが、ここが旧旭川YHがあった場所。

↓伊ノ沢市民スキー場。一番手前左側が旧YHのあった付近。


【2022年6月11日追記】

本日、弊サイトご訪問者様の「浜のヨースケ」様より1970年のYHハンドブック表紙と、それに出ている旭川YHのページをお送り頂きましたので以下に載せておきます。

浜のヨースケ様には心より感謝申し上げます。どうもありがとうございました。
(ハンドブックの当該ページにあるYHの住所が当サイト上部にあるYH紹介写真と表記が異なっていることに注目です!)

以下の2枚はクリックで拡大し別ページで開きます。

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10 Responses to “旭川ユースホステル”

  1. 3あほ より:

    釧路にも(管内にも)たくさん?あったのに、なくなっちゃいましたぁ~…。
    網走管内にあった協会直営YH(4軒?)も、やってるのはサロマ湖だけみたいですぅ…。
    築50年で取り壊しが決まったところがあってぇ、新しく民宿やることが決まった所があるようですぅ…。
    ・・・ボロボロだったりしますぅ…みならいかのん

    旭川に(旧)があるとは知りませんでした。「神居」っていうと、
    うちら素人は、「神居古潭」でないの?…って想像してしまうのですが…。
    ・・・今「昔のハンドブック」って古書店でも扱ってないんだべなぁ…はじめっち

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、スキー場の近くの(新)に泊まったことがあったかもなのだ。
    「ばんえい」じゃなくって、羽根球中学校東北海道大会を見に行ったような気がするのだ。
    ・・・スキー…でもなかったのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      3あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      北海道もあれほどたくさんのYHがあったのに見事に少なくなってしまいましたね。
      札幌も昔のYHは一つもなくて新しく建った札幌国際1か所だけです。
      道内各地のYHも現存しているのは1990年以降の物ばかりになってしまいました。
      それらでも恐らく宿泊者は少なくて運営は大変ではないかと思います。

      神居と神居古潭は結構離れていますね。車でも20分超はかかります。
      旭川の旧YHを知る人はほとんどいないようです。
      その証拠にネットで検索しても現在グループホームに転用された建物の写真・情報しか出て来ません。
      それほど大昔でもないのに寂しい限りです。

      今後もノスタルジックなYHや設備などを載せていきます。
      またお越しくださいね。

  2. んにゃ より:

    旭川ユースホステルって確か公営の施設でしたよね。写真で見る限り、およそ公共の施設っぽくないですし、閉館後にグループホームへと転用された使われ方を見ていると公共系ユースホステルにありがちな施設の老朽化で閉じたわけでもなさそうですね。

    • kaikoshumi より:

      んにゃ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      まず私が泊った事のある山小屋風の(旧)旭川YHですが、こちらは確か民営だったかと思います。
      そして(新)のほうはおっしゃるとおり公営ではないかと思われます。
      ただ旭川YHに限らないのですが、YHの運営元って(少なくても当時は)民営で始めて公営になったり
      直営になったりしてまた民営に戻ったりがよくあったのです。
      理由は借金の問題とあちこちで聞きました。つまり民営で始めたけど資金繰りが厳しく、
      自治体やYH協会からお金を借りて返済中は民営ではなくなる、そして返済が終わると
      民営に戻るという話しです。
      車を買ってもローン支払い中は所有者がディーラーというのと同じですね。
      旭川YHももしかしたらそのような理由もあったかもしれません。

  3. 山びと源 より:

    旧旭川ユースホステル、1978年頃の冬休みだったと思いますが、泊まりましたね!

    本来は、一泊の予定でしたが、スキーが出来ると言う事で、何泊か泊まった記憶が有ります。

    大きなホールで、大型のストーブを囲んで、ミーティングしました。

    その後、北海道では、一番泊まっている町は、旭川だと思います。

    多分、旭川だけで、300泊位泊まっているかも?

    • kaikoshumi より:

      山びと源様
      コメントありがとうございます。
      このYHは裏が直ぐにスキー場でしたね。旭川YHは私は片手で数えるくらいしか泊まっていません。
      その後の旭川の宿泊は全てホテルになりました。
      今も所用で1~2ヶ月に一度は旭川に行きますが最近は市内での宿泊は皆無です。
      でも道内でもとても好きな街なので泊まって夜の居酒屋に繰り出したいなとは思います。

  4. 92年〜94年頃 より:

    旭川のデパート閉店のニュースで、ふと検索してこちらに辿り着きました。

    一度旭川YH泊まりました。

    部屋はワンルームマンションのようにトイレ(ユニットバスだったかも)が付いたキレイな部屋でした。当時も相部屋が当たり前のYHばかりでしたが、ここは2人で1部屋使えてとても新しかった印象です。

    目の前の道路もまっすぐで、旭川って人はいないのに整然としたまっすぐな道だらけ、と言う記憶でしたが、改めて今地図を見ると、その通りだったんですね。

    場所も全く覚えておらず、通過点として泊まったので恐らく写真も無いと思いますが、友人との旅が懐かしいです。

    • kaikoshumi より:

      92年〜94年頃様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      >部屋はワンルームマンションのように・・・
      とのことですので新しくなった方(現、グループホーム)のYHにお泊りになられたのですね。

      もっとも旧の建物の隣ですので道路などの印象はそのままだと思います。

      旭川は近年発展が目覚ましく、駅も驚くほど近代的で大きな建物になりましたし駅前にはイオンもあります。
      その反面個人商店の閉店などが相次いでいますし、今月のマルカツデパートの閉店もありますね。

      YHがあった付近は昔とそんなに変わっていませんが、それでも住宅の多いこと多いこと・・・
      旭川市を再訪されるとその発展に驚かれると思います。

      また弊サイトへお越しくださいね。

  5. furuima より:

    懐かしいです。
    山荘(ロッジ)風の旧旭川ユースホステルに、1978年の3月に約1週間滞在しました。
    大きなストーブのあるホールで、ミーティングがありましたが楽しかったです。ホールのすぐ裏が伊の沢スキー場で、夜間でもスキーができました。
    日本各地から若者達が旅行に来ており、交流することができました。
    このユースホステルの上に上がると、温泉があったと記憶しています。
    当時の国鉄旭川駅は戦前のままの平屋建てだったと思います。
    その後、札幌には何度も行っていますが、旭川に行くことはありませんでした。
    もう一度、若き日の想い出に、旅したいものです。

    • kaikoshumi より:

      furuima様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      温泉はちょっと記憶にありません。私はこのYHに泊まる時は本当に中継基地でしたのでのんびりしたことが無いからだと思います。
      旭川駅の平屋建ての駅舎、ホームは2011年まで使われていましたが、今は驚くほど立派な駅になりました。
      かつての面影はなく、駅前広場も無駄ではと思うほどの広さです。
      ぜひ旭川、そして北海道の旅をまた訪れてくださいね。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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