Sponsored Link

北海道 浜小清水 おばちゃんの家

民宿・食堂 おばちゃんの家

 

北海道オホーツク沿岸の町、小清水町に「民宿・食堂 おばちゃんの家」という民宿がありました。

場所はこちらです。

国道244号線沿い、JRの浜小清水駅からは240m、徒歩で約3分程度の場所です。

建物は以下のようなもので、2枚ともGoogle map ストリートビューからの引用です。
(2枚ともクリックで拡大し別ページで開きます。)

これら2枚とも2018年6月に撮影されたもので、1枚目の正面写真は「定休日」の文字が確認出来ます。
ただしこの撮影時は営業している上での定休日なのかどうかは定かではありません。

2枚目の道路奥方向が浜小清水駅となります。

Google mapの検索窓に「おばちゃんの家」と入れると場所は表示されますが「閉業」とか「閉鎖」と表示されるので民宿・食堂共に本日記を書いている2022年6月の段階ではやっていないようです。

しかしGoogle mapにデータが残っているという事は、完全に閉業されたのは比較的近年ではないかと思われます。

ネットで調べていくと大まかな年ですが、2016~2017年頃までは食堂はやっていたような記述も発見出来ます。

最初に民宿を閉めて、数年後に食堂も閉めたということなのかもしれませんね。




民宿・食堂 おばちゃんの家と私の関係

この「おばちゃんの家」を知ったのは私が初めて北海道を訪れた1976年8月14日(土)の朝でした。

前夜は濤沸湖(または涛沸湖と書く。 とうふつこ) 湖畔の中山記念小清水ユースホステルに泊まり、14日はオホーツク沿岸を北上して、今は無き勇網線経由で「もんべつ流氷の宿ユースホステル」を目指す予定でした。

確か13日に浜小清水駅に着いた時はやや暗くなりつつある夕暮れだったのですが、その前夜が雌阿寒の野中温泉ユースホステルで阿寒湖で遊んでから浜小清水駅に着いたので疲れてしまい、一刻も早く中山記念小清水ユースホステルに向かいたかったのです。だから駅待合室に掲示してあった「おばちゃんの家」の看板なんて目に入らなかったのです。

浜小清水駅から中山記念小清水ユースホステルまでは徒歩で30分くらいかかるのも知っていましたから一刻も早く!という気持ちが強かったのです。

中山記念小清水ユースホステルは本当に遠かった。往復歩きましたが駅から片道ちょうど2kmでした。
「たった2kmじゃん!」と思われるかもしれませんが、周りは遥か彼方まで見通しが利く平地で、遠くにかすかにユースホステルの建物が見えたりするんです。だから余計遠く感じました。

これらの位置関係をGoogle mapに加筆したものが以下です。
クリックで拡大し別ページで開きます。

注記:中山記念小清水ユースホステルはその後『YH小清水はなことり』となりましたが、2022年現在は閉業で建物は残っていても何も行っていないようです。)

そして14日の朝、浜小清水駅の待合室でぼーっとして列車を待っていると「おばちゃんの家」の看板が目に入ったのです。

当時の浜小清水駅は木造の古い建物でしたが、出口方向は今の駅と同じ海と反対側(西側)で、その出口の上、やや左側に大きな「おばちゃんの家」の看板があったことを鮮明に覚えています。

その看板の絵はこれ↓でした。(クリックで拡大し別ページで開きます。)

このマッチの写真は弊サイトのご訪問者で、かつ旧来の友人である「ブースカさん」からご提供頂きました。
ありがとうございました。

そして駅の看板は上記の絵の横に「乙女おばちゃんの家。とにかく食べさせる」と書いてあったのも覚えています。
列車を待っている間特にやることもなく、目立つ看板と言ったらこれだけだったのでより印象的だったんですね。
完全に脳裏に焼き付けられてしまいました。



おばちゃんの家については・・・

その後の旅行でも実は私は「おばちゃんの家」に食事に行ったり泊った事が一度もないのです。
ご訪問者様から言わせれば「なんだ!それなのにこんな長い文章読ませたのか!」とお叱りになる方もいらっしゃるかもしれません。

でも先述したようにとにかく私の脳裏から駅の看板が消えず、食事だけでもいつか行きたいとは思っていました。
そして非常に長い年月が経ってしまいましたが、友人のブースカさんから「おばちゃんの家に泊った事がある。その時のマッチがある」ということで、マッチの写真のご提供と行った時の事を寄稿して頂きました。

何と宿泊されたのは1980年とのことです。もちろんこのマッチもその時のものです。

マッチの写真は上述のおばちゃんのイラストの物の他に以下の2枚をご提供頂きました。
いずれもクリックで拡大し別ページで開きます。

このマッチには「おばちゃんの家」とありますが「乙女おばちゃんの家」という名前ではないですね。
駅の看板だけ「乙女」が付いていたのか、その後早々と変えたのかは分かりません。

以下がブースカさんからマッチの写真と共に寄稿して頂いた説明です。

 


かなり古い話なので店構えは覚えて無いです。

ここは宿泊しました。

細い階段を上がった2階の部屋でした。

4.5畳だったと思います。

普通の民家の部屋と言った感じです。(民宿ですからね)

稚内の雑魚寝の宿で隣合わせた大阪から来た旅人に、

「腹一杯食べたかったら浜小清水のおばちゃんの家に行って」

と教えてもらいそれを頼りに行ったと言うのが経緯です。

 

稚内からオホーツクを左手に見ながらひたすら進みましたが、

「おばちゃんの家」はすぐにわかりました。

 

恐らく8/26前後に泊まっています。宿泊は私一人でした。

魚介類を中心とした「鍋」???の様な記憶で腹一杯食べました。

尚、おばちゃんが居た記憶が無くオヤジが仕切っていました。

 

この時の北海道は初めてのバイク一人旅でした。

毎日日記を書いていたのですが何処に行ったのやら…

見つかればもうちょっと詳しいことが分かるかもしれません。

何かわかればまた連絡します。


ブースカさんには心より感謝申し上げます。

また何か頂けたら弊サイトにアップいたします。

ご訪問者様には今回の記事でまた「あの日、あの場所」を思い出して頂ければ管理人としてこれほどの喜びはございません。

スポンサーリンク


10 Responses to “北海道 浜小清水 おばちゃんの家”

  1. あほのはじめっち より:

    ありゃまぁ、「乙女ばあさん」を取り上げるなんてなっつかしいもんです。
    自分らはYH会員になる前年の1985年6月、東釧路の駅で「片道一周乗車券(根室・石勝・室蘭・函館・石北・名寄・湧網・釧網線経由)」を買って、
    層雲峡で一泊した後、成り行きで「おばちゃんの家」に泊まったことがあります。
    列車の中で相席の人に「安宿だったらYHがいいよ」と言われたんですが、会員じゃなかったんで、
    ここを紹介されて予約なしの飛び込み(浜小の駅前で電話した)宿泊しました。
    おっしゃる通り、魚介類の鍋でたらふく食わされて、3900円だったような…。
    部屋も2階の民家の部屋で、一応それだけでも満足だったんですが…。
    ・・・続く…はじめっち

    • kaikoshumi より:

      あほのはじめっち様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      「乙女おばちゃん」のフレーズも覚えていらっしゃいますか!
      あの頃の時代はYH全盛とは言え、YHと民宿(いわゆるユース民宿)両方を泊るという
      人が多かったと記憶します。

      「あそこの民宿だけは絶対泊まりたい!飯がすごいよ!」とかの話しを各地のYHでも聞きました。
      食事の良いYHもたくさんありましたが、やはり値段がやや高いだけあって民宿には勝てませんでしたね。
      3900円というのはすごい安いですね。

  2. あほのゆたか より:

    鍋と酒で眠くなってきたんで床に入ろうとしたら、突然家屋が揺れるじゃないっすか!
    酔っぱらったんじゃなくって、道東で震度4(いや5くらいあったっす)の地震があって、
    とにかく何血迷ったか、一階に降りて家人を探して、「大丈夫っすか?」って声を駆け回ったら、
    奥の部屋に、椅子にでん!と座ったご老人がいて、「どうかした?大丈夫だから!」と泰然自若にお答えにあったその人こそが、
    すでに息子に店・民宿を譲って引退した、「乙女ばあさん」その人だったのす。
    ちょうど寝酒をすすってたらしくって、「まぁせっかくだから飲んでいきなさい」と、
    コクワだのマタタビ?だの、まあたくさんの果実酒のご相伴に預かったのっす。
    その部屋は、乙女ばあさんの寝室兼書斎?兼もしかしたらYHと同じ「語らいの場」だったかもで、
    宿泊者のたくさんの写真、手紙、現役のころの思い出の品や話にあふれていたのっす。
    マッチ箱に描かれてるような、現役の割烹着姿ではなかったっすけど、
    深夜になっても酒も思い出話も尽きず、当時はまだまだ元気だったのっす。
    朝、食事の時に息子さんにその話をしたら、「(名物おばちゃんに)会ったのかい」と言って、
    旅をする人と話すんのが好きなんだけど、高齢なもんで…と教えてくれたのんす。
    運が良かったのか?そうでなかったのかわかんねぇっすけど、地震がなければこういう巡り会わせもなかったことは間違いなかったのっす。
    ・・・たしかマッチもらったっすゆたか

    • kaikoshumi より:

      あほのゆたか様
      コメントありがとうございます。
      「乙女ばあさん(おばちゃん)」の謎が解けたようですっきりしました!(笑)

      そういうことがあったんですね!
      なぜか読んでいて心がホンワカしました。
      私が思っていたのは1976年に初めて看板を見て現在に至るまでそのおばちゃんがずっと民宿と
      食堂をやっているのだろうか?
      だとしたら今年で115~125歳くらいになるはず。そんな長寿の方が小清水にいるという
      ニュースは聞かないし・・・とかいろいろ考えていました。

      あほのゆたか様は大変貴重なご経験をされましたね。

  3. 2あほ より:

    うちらが行ったころには、「十割そば」の暖簾を出して、食堂はやっていたけども、
    民宿はやってなかったですぅ…(2010前後)。多分もっと前に民宿は閉めたと思いますぅ…。
    3~4年前に「出川哲郎のバイクの旅」で、宿を求めて小清水で最初に飛び込んだのが、
    地元の人から聞いた「おばちゃんの家」でぇ、すでに閉館してたので、さらに聞いて、
    飛び込んだのが「YH小清水(当時『YH小清水はなことり』)」でしたぁ…。
    そのYHの建物もぉ、町とJYH協会との取り決めでぇ、「50年たったら町で取り壊す」らしくって、
    (多分いろいろな約款があって2,005年あたりから無人になっても取り壊せない直営YHに
    研修を受けた民間の人が入って、取り壊せる時期が来るまで貸していたということ…でしょうかぁ?
    そこらへんは詳しくないのでわからないですぅ…)
    閉館してしまい、浜小清水には宿泊できるところが一軒くらいしかなくなったみたいですぅ…。
    ・・・でも元Pさんはしぶとく止別あたりで民宿開業してるとかぁ…みならいかのん遊びに行きたいですぅ

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、あたいらはそういうことで、
    「乙女ばあさん」にも「菊〇P」にも「荒〇さん」にも浜小清水で世話になってるもんで、
    2じじぃどもと合わせてたくさん書いてしまったのだ。ちなみに夕食は、「おばちゃんの家」が「海鮮鍋」なら、「菊〇P」は「ギョーザ鍋(みたいなの)」
    が定番(宿泊者が少ない時)だった気がするのだ。
    ・・・失礼いたしやしたなのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      2あほ様
      コメントありがとうございます。
      様々な謎が解けて来ました。貴重な情報ありがとうございます。
      「出川哲郎のバイクの旅」に出たとか聞いていたのですが、これも解決です。

      『YH小清水はなことり』はJYH加盟の正式なYHなんですね。初めて知りました。
      ストリートビューを見ると私が泊った時代の中山記念小清水ユースホステルそのままの
      建物で懐かしさでいっぱいになります。

      でも今は閉業となっており、JYHのサイトからも削除されていますね。
      廃墟状態で残っているのでしょうか?
      見に行きたいなと思いますが、札幌からはまさに地の果て、でも行きたいです。
      様々な情報ありがとうございました。

  4. ブースカ より:

    マッチは私が持っているよりノンダクレーさんが持っていた方が良いと思うので、今度お逢いする時に持参致します。
    それと、その当時のミニコミ誌(民宿案内だったかな??)みたいなものが出てきたので、それも是非引取って下さい。

    • kaikoshumi より:

      ブースカ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      マッチの件、貴重なものをありがとうございます。ミニコミ誌も期待しております。
      また弊サイトへお越しくださいね。

  5. あほのはじめっち(代) より:

    すんません、ちょっと訂正をば…
    1985年じゃなくって、86年でした。経路も夜行で新得・富良野で朝9時前に旭川でした。
    というのも、スタルヒンで「大洋ー(たぶん)中日」の公式戦があって、
    「飛び込みでもライトスタンドには入れるべ」とタカをくくっていたのが、
    タクシーのおっちゃんに「今日は札止めムリ」と言われ、層雲峡見学に切り替え、公営YHに泊、
    2日目に、湧網線で地元の人に宿泊施設聞いたらば、会員なら小清水のYH押してくれたけど、
    翌日所用があって早朝出立なので、「『とにかく食べさせる』おばちゃんの家」に泊まった…でした。
    やっぱり、偶然が重なったんです。層雲峡YHのスタンプがなければ忘れていました。
    (公営は免許証とかあれば泊まれれたんで、非会員だと勘違いしてました)
    ・・・スタンプっていうのは記憶回避にも役立つんだなと…はじめっち

    • kaikoshumi より:

      あほのはじめっち(代)様
      わざわざご丁寧にありがとうございます。
      スタルヒン球場は入ったことはありませんが、今でも年に数度前を通ります。
      旭川市内は多い年だと年に10回くらい行きます。
      同球場の外観は今でも変わりませんね。

      ところで、勇網線は大好きなローカル線だったのですが乗っていた時代から「ここは早くなくなるな」と
      いつも思っていました。
      サロマ湖の湖岸ギリギリを走ったり、何もない荒涼とした原野を走る車窓は何時間でも乗っていたかったです。

      また弊サイトへお越しくださいね。

kaikoshumi へ返信する

サブコンテンツ

管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

スポンサーリンク





写真素材無料【写真AC】


無料動画素材なら【動画AC】

このページの先頭へ