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恥ずかしかった結婚式

結婚式は恥ずかしい儀式でもある

今本記事をお読みになっているあなたは既婚者でしょうか?
或いはかつて既婚であった、という方もいらっしゃるかもしれません。

またまだ独身だが結婚には憧れる、興味があるという方もいらっしゃることでしょう。

本記事はこれらすべての方にお伝えしようと思ったものです。
経験済みの方は「何をいまさら」と思うかもしれませんが、まあそう言わずに。

読んでみたら「そういえばそうだったな」とか「だからもう嫌なんだよ」という方もいらっしゃるでしょう。

まあよほどの嫌悪感が無ければとりあえず一読して頂ければ幸いです。

さて私は結婚して既に20数年経ちますが、思い出すと「恥ずかしい」と「とにかく疲れた」、「スターになった気分」の3つが頭をよぎります。

どちらかというと「疲れた」と「恥ずかしい」が強いですね。ともあれ人生最大級の大イベントですから未だに鮮明に覚えていますのでそれらについて思い出してみます。



私の結婚式前のお話し

お前の事なんて聞きたくない!単なるのろけか!と怒り心頭のあなた。大変に申し訳ございません。速やかに当記事のページを閉じて頂ければと思います。それが一番精神的に良い事かと存じます。

さて私は結婚式の準備をほぼ全て一人で行いました。 結婚式場選びもです。
普通は婚約者と二人で分担して行うものですが、私は当時遠距離でしたし(私が横浜、相手は札幌)、相手は夜勤もフルにある看護師だったので猛烈な忙しさだったからです。

そして結婚式は横浜で行うことで合意していました。

式場探し、来賓の選定と事前連絡などてんてこ舞いの忙しさでした。
しかもそれらを決まったもの、相談すべき内容を逐次札幌の婚約者に伝えて回答をもらわなければならなかったのです。
当時はインターネットが一般開放される前だったのでメールなんか使えませんでした。

携帯電話は世に出回っていましたが、機種本体や基本料、通話量ともにビックリするくらい高くて普通の人は手を出すのを躊躇うほどでした。(例として電話機本体が10万円~、基本料と個人で使う常識的な通話料合計で2~5万円とか)

ですから家の電話と手紙しか連絡手段がありません。電話も相手は夜勤有りの看護師なので多くの場合留守電に入れておくことになりました。

互いに最低限の親戚と友人しか呼ばないと決めていたので、人数的には少なかったのですが、今度はテーブルの席順を決めるのも大変でした。

これも一任されましたが、とにかく面倒な作業が次から次へと発生しました。
衣装合わせはさすがに二人ともそろって行かないと無理なので、婚約者と共に衣装合わせに行きました。

私は面倒くさいし、服なんて元々無頓着なので式場の方に選んでもらった一番無難な物にしました。
あっという間に決めてしまいました。

しかし婚約者は女性なのでそういうわけにもいきません。
何度も何度も着替えて「こっちがいい」、「やっぱりこっち」とかになります。ごく自然な事ですが。

普通は婚約者のその姿を見て微笑ましく、多幸感に満ちた気持ちで新郎となる人は見つめるものだと思います。
しかしその直前まで様々なことで忙殺されていた私は新婦の衣装選びの途中で居眠りをしてしまったのです!

これには婚約者から「おい!」と怒られましたが本当に眠くてだるくてきつかったんです。

会社で連日残業をやっていた方がはるかに楽だったと思いました。

そうそう、これと並行して新居探しと契約、自分の引っ越しなども同時に行ったのです。



結婚式当日は?

当然結婚式当日の朝は全ての事前準備が終わり、猛烈な忙しさからは解放されています。

でも「すがすがしい」、「幸せに満ち溢れている」という感覚は少なくても私はありませんでした。
昨日までの疲労が抜けなかったし、結婚式後あまり時間が経たないうちに親戚へのあいさつなど面倒くさいことをしなくては、と頭を過ったからです。

式場では事前に係の人と打ち合わせをしていましたが当日にならなければ分からない事もたくさんありましたが、全てその都度係の人が誘導してくれたので戸惑ったり失敗することはありませんでした。

さすがプロ揃いです。

式は式場内のチャペルで行ったのですが(ちなみに私と婚約者は無宗教)、一般的に一番最初に両親、そして親戚、最後に友人が会場に入りますよね。

独身の方はその間新郎新婦は何処で待っているかご存知でしょうか?

式場によって差はあるでしょうが、私の場合はチャペル入口すぐ横のとても小さな控室(2~3畳くらいか?)で待たされました。

そして係の方がまず私を呼ぶので私一人で入場し、チャペル最前部(神父のいる場所)へ向かいます。
その後新婦が父親と一緒に入場するのです。

いくら全て係の方が手取り足取りして下さるとはいえ、私はかなりの緊張でガチガチでした。

神父の言葉とか殆ど覚えていません。後日ビデオを見て「ああ、そうだったの」という感じでした。

でも結婚式自体は30~40分かかったかどうかくらいで短時間で終わったのですが、新郎新婦退場は両側から親戚や友人に拍手で送られてかなり恥ずかしかったです。この時点で幸せ感は2割くらい、疲労が3割、残り5割が恥ずかしかったという感じでしょうか。

参考:参考にならないかもしれませんが、一応記憶にあったことを。
教会式の結婚式では神父からのお言葉など一連の儀式のあとに「それでは誓いのキスを」と言われますね。
あくまでも私の場合ですが、事前の式場での打ち合わせの時に係の方(20代半ばくらいの女性。近々私も結婚すると言っていた) が、「誓いのキスは出来ればおでこか頬っぺたをお勧めします。新婦は濃い化粧をしますのでルージュも濃くします。
この状態で唇へのキスだと新郎にルージュが付いてかなりカッコ悪くなります。そういう方を何人も見ました。まあご本人にお任せしますけど。」

とアドバイスしてくれました。「へぇ~」と思ったのですが当日はおでこにする事にしました。



披露宴も同じ建物内でしたが、これは恥ずかしさの極みでもありましたが、もう一つそれと同じくらいに感じた感情がありました。

それは「スーパースターになったような錯覚」でした。

妻にはこのことを聞いたことがありませんので、彼女はどう思っているかは不明です。今のところ聞く気もありませんが。

少人数(両家で40数人)の小さな披露宴でしたが、全員の目が私たち二人に向けられるのです。

まさにステージ上の歌手やスターを見つめるファンのような視線を感じます。

こんな気持ちを感じたのは生まれて初めてであり、その後現在に至るまで味わったことがありません。

自分がそういうものに(スターになること)に憧れていたとかは全く無いのですが、この感情は非常に気分の良いものでした。

もし両家の親とかがいなくてお酒がそれなりに入っていたら、きっと私はマイクを持って「みんな!今日はありがとう!思う存分飲んでくれ!騒いでくれ!」とか言っていたかもしれません。

 

細かいことを書けばキリがなく未だに当日の詳細が蘇って来ます。

ケーキ入刀、キャンドルサービスなんて死ぬほど恥ずかしい。でもその気持ちと同じくらいスター気分も味わえたのも事実。

友人たちと2次会も行きましたが、この時点ではやっと恥ずかしさから解放された気がしました。
でも全員の視線はあくまでも私たち二人に向けられているのでスター気分は継続していたと思います。

↓当日の写真。写真を撮ってくれたN君、ビデオを撮ってくれたK君、どうもありがとう!

 

様々な多様性が求められる現代は結婚などしてもしなくてもどっちでも良いじゃないか!という風潮です。
これは時代がそうなって来たので何も問題ないし、むしろそういう考えは広く認められるべきと思います。

でもちょっとおかしくないか?と私が感じるのは「結婚するなんて良くない」という考えも出て来ているのです。
してもしなくても良いことであり、あくまでも個人で決めることですが、なぜ「結婚するのが良くない」という意見が出て来るのかが理解出来ないです。

人様に迷惑さえ掛けなければ自分で好きなような人生を送るのがベストです。
なぜか最後に大きく脱線してしまいましたが率直な感想を述べたにすぎません。

多様性が求められるというのは自分とは真逆の考えも認めるということですね。

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5 Responses to “恥ずかしかった結婚式”

  1. 3あほ より:

    北海道だと、「会費制々度」とか「披露宴発起人制度(僚友による?)」とか、
    「バックアップカンパニー制度(悪友による?)」などがよく聞かれますが、
    一人(あるいは二人)で、披露宴でもてなす…ってのは大変だったと思います。
    ・・・悪友に任せると「テントウムシのサンバ」ならぬ「テントウムシの産婆と妊婦(女装)」が出てきますはじめっち

    基本「結婚式」ってのは、「新婦」は一生のうちで一番カワイク演出されるために、
    「新郎」は延々と、冷やかされ小突かれさらし者にされるためだけにあるものなのっす。
    ・・・「ゴンドラ宙づり」はまさに「さらし者」っすゆたか

    結婚式っていうとぉ、おもしろい人たちがいて、お色直し中の余興の歌に、
    「JODAN JODAN」とかぁ、「ウェディングベル」2曲フルコーラスで歌う3人組がいましたぁ…。
    ・・・3人組は「なんちゃってシュガー」って言ってましたぁ…みならいかのん演出は「悪友」ならぬ「ニセ阿久悠」でしたぁ…

    • kaikoshumi より:

      3あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      会費制度、ってありますね。でも関東で長年暮らした人間としては会費制の方が負担額が安いし、様々な面で気楽に感じて良いと思いましたよ。

      悪友の・・・
      →幸い私は友人にそういうことをされたことはないのですが、友人の結婚式に出て見ていても「やりすぎ。ちょっと考えろよ!」と思うことはありました。
      せいぜい笑い話しくらいにしておけば良いのにと。結局後日酔いが覚めた後に後悔して新郎新婦に謝る羽目になります。

      ゴンドラ宙づり・・・
      →おやりになったのですか!すごいですね。ジャニーズ張り、昔で言えば西城秀樹並でしょうか?
       新郎が晒しもの、まさにおっしゃる通りです。私も小太りのペンギンみたいな服着て新婦の友人の視線を浴びるのは恥ずかしかったですね。

      歌はある意味付き物かもしれませんが、替え歌はどうかな・・・と思いますね。友人の式で酷すぎ、というのもありましたし。

      自分の結婚式は規模も小さかったのでまあマトモな方だったと思います。
      友人の結婚式で一番印象に残っていたのは上司だか先輩が自分の娘の結婚式を思い出して祝辞の途中で号泣して先に進めなくなり、複数の人に両腕を抱えながら「連行」されたことかな?

  2. 浜のヨースケ より:

    管理人さん、こんにちは!
    僕も遠距離だったので、管理人さんのご苦労がよぉ~く分かります。

    ただ、僕の場合は大学6年目の途中での結婚だったため未就労の身ゆえ、気を遣う会社関係のお偉いさんなどの列席はなく、100人超の構成は親戚と小中大学時代のクラスメートや塩狩YHのヘルパー仲間、そして所属していた人形劇団のメンバーたちで、主賓には小学校の恩師をお招きしました。
    割と格式あるホテルの大宴会場に、ふだん着慣れない礼服や晴れ着姿の大勢の若者が集った場面は、まるで同窓会の会場みたいでした。

    この結婚式で自慢したいのは、義父の提案による親たちの同席です。ふつうの披露宴では、両家の親は左右一番離れて座られますが、僕らの宴では、式場中央の末席に私の両親と妹、家内の両親と弟が一つのテーブルに座りました。

    一つのテーブルといえば、勿論、僕たち新郎新婦を挟んで仲人夫妻が並びましたが、仲人は人形劇団の大先輩で日ごろからの吞み相手。宴の最中、僕らは杯を交わしてゴクゴク吞んでしまい、隣の新婦から睨まれてしまいました。

    夕刻、和気藹々と披露宴がお開きとなり、僕らが出逢った塩狩温泉YHへの挨拶を兼ねた北海道への新婚旅行に旅立つため、有明フェリーターミナルまで山下公園前からホロ酔い運転をしてしまったのは、もう時効として許してください。

    最後に、その反省以上に、結婚式での大失敗談を披露します。
    それは、神前で誓いの言葉を述べる際に、新婦の名前「○枝」を「○子」と口走ったようなのです。(緊張していて僕には記憶がありませんが)「○子」とは母の名前です。
    結婚後、この件については家内から何度も詰問を受けていますが、母の名前でよかったと胸をなでおろしています。
    もしこれが、別な女性の名前だったなら、式を投げ出して新婦は京都へ帰ってしまっただろうなと、ゾッとします。

    幸い、あれから45年が続き、叔父が撮ってくれた8ミリ映像を見返しながら、管理人さん曰く「スターになったような気分」を懐かしく想い出しています。
    でも、万一、この先、再婚の機会が訪れたとしても、あのような派手な再結婚披露宴を催す勇気も気力も財力もありません。

    • kaikoshumi より:

      浜のヨースケ様
      コメントありがとうございます。
      「両家の親兄弟をまとめる」のはとても良い発想だと思います。
      私の場合は人数が少なかった事の他、とにかく全て一人、妻も札幌だったので忙しさだけで頭が回りませんでした。
      披露宴などはとても静かで終わったと思います。私の時代もまだ世間では「派手で騒ぐ方が良い」みたいな風潮がありました。
      でも私も妻もそれが嫌いだったのです。
      結婚生活で一番感謝すべき人はやはり妻、そして生まれて来てくれた子どもということに尽きると思います。

  3. 浜のヨースケ より:

    管理人 様

    先ほど送信したコメントで、「小中大学時代」の友人たちが出席してくれたと記しましたが、勿論、高校時代の鉄研メンバーも顔を出してくれました。加筆します。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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