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小学校の帰りの反省会

毎日ドキドキの帰りの反省会

 

小学校の時、最終授業が終わった後に毎日「帰りの反省会」なるものがありました。
(転校した新宿の学校でです)

言わば、「帰りの会」であり、時代や地域を問わずどの学校でも似たような事はあると思います。

大方は明日以降の連絡事項、今日の出来事についてのこと、など様々ですが私の学校の「帰りの反省会」はこれらとは大きく異なっていました。

帰りの反省会の実態は?

もちろん各種連絡事項はあるのですが、この会のメインイベントは以下のようなものでした。


日直が前に出て、「帰りの反省会を始めます。ではまず良いことから」と言うと、誰ともなく手を挙げる人がいて日直が「AAさんどうぞ」というと、

AAさん:今日の昼休みにXXさんは、このような事をしてYYさんを手伝ってあげました。良いことだと思います。

クラス全員:パチパチ!という盛大な拍手。先生もにこやかに拍手!

日直:それはとても良いことですね。では次は悪いこと。(また複数の人が手を挙げる)
次はBBさん、どうぞ。

BBさん:今日、3時間目にZZ君は授業中なのにふざけて、CCさんにいたずらをして笑っていました。良くないことだと思います。

クラス全員:え~!それは酷い、何考えているんだよ!

先生:ZZ君、ちょっと後で残りなさい。

日直:ZZ君、良くないですね。反省をどうぞ。

ZZ君:(立ち上がって)すみませんでした。これからはふざけず真面目に授業受けます。

クラス全員:パチパチ!(拍手)


 

という感じで、「悪いこと」の方がさらにメインイベントという感じでした。

居残りさせられたZZ君は先生からグチグチ言われて、前科があると「ZZ君、もうやらないとこの前も言ったよね」とかのトドメもありました。

それとクラス全員が「悪いこと」を面白おかしく盛り上げる傾向があったと思います。

人によっては(100%男子のようだが)心中で「良いことなんてどうでもいいから、早く悪いことを言わせろ!」と思っていたはずです。

今の時代じゃ考えられませんが、クラス全員の心理がおかしな方向に「一つになる」という雰囲気だったんです。




帰りの反省会は人権蹂躙?

集団心理という事もありますが、やはり当時を振り返ってみても人権蹂躙であり、いじめでもあると思います。
もちろん「良いこと」を取り上げるのはクラス全員にとっても良いことなので積極的にやるべきと思います。

でも当時の私が経験した「帰りの反省会」はある意味今の時代と重なる部分があります。

それはSNSなどの「高評価」と「低評価」、そして一つ一つの意見に関する誹謗中傷コメントの問題です。

ぴったり当てはまると思いませんか?

SNSによっては評価の表示をオフに出来たり、不愉快なコメントを簡単にブロックも出来ます。
でも未だにサイト運営者でないと非表示やコメント削除が出来ないものもあります。
これらは運営者に依頼しても無視されることが多く、裁判沙汰にまでなる例も発生しています。

私はSNSなどで低評価ボタンがあるのはどうしても理解出来ないんです。

もちろん運営側も当初は「様々な評価や意見をもらって、より良い投稿に役立ててもらえば良い」と考えていたはずです。
また現在でも一見きつそうなコメントでも「こういう部分を直すともっと良い」と前向きなコメントを書き込む人もいます。

しかし多くは単なる誹謗中傷ばかりなのが現実です。
YouTubeなんかも自分がアップロードした動画数はゼロなのに、わざわざ誹謗中傷を書きたくてIDを取っている人のなんと多いことか、といつも思います。

過激なコメントを書く人に限って自分のチャンネルの動画数がゼロ、もしくは10本以下という人ばかりです。

 

さて当時の反省会は今のSNSのような状況を特定の小学生限定で公然と行われていたのです。

もしかしたら私の経験した「会」よりもひどい内容を経験された方もいらっしゃるかもしれません。

今回の記事は「幼少期を懐かしむ」とかのものとまでは言えないかもしれませんが、カテゴリーは「幼少期の思い出」にしました。

「イヤな思い出」とかに入れようとも思いましたが、かなり微妙な部分が多く、思い出すと「良いこと」もたくさんあったし、「悪いこと」も決して吊し上げやいじめとかではない、子どもらしい純粋な部分もたくさんあったからです。

そしてこの記事を読んでくださったご訪問者様が、恐らく誰でも経験したであろう「小学校の帰りの会」を思い出して懐かしんで頂ければ、と思い書かせて頂きました。

お読み頂きありがとうございました。

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6 Responses to “小学校の帰りの反省会”

  1. 3あほ より:

    ほぼ、「女子による一部男子のつるし上げ会」の思いでしかありません。
    特にこのエピソード…こりゃヒドイと今じゃ笑い話ですが…。
    「はい!、先生(⇔この一声でこれがもう反省会じゃない!と思う)、〇〇君は△△さんに嫌がってるのに『好き、付き合って(or遊ぼ)』って言いました、いけないと思いました。」
    ちょっと待て!…わかりますか?なして全員の前で晒されなくちゃいけないのか、さらに好きって言われた女子のほうも晒して、これがまた泣いちゃった暁には…それも「泣かせてかわいそうだと思います…。」って男子のせいにされる…。
    でもそのおかげで、反省会は以降無期限中止、実質廃止になりました。
    ・・・うちら世代に「今日のいいところ発表」とかはなかったかな?はじめっち

    うちの組は、「つるし上げ」を喰った男子を弁護するヤツが出てきたりして、
    でも、最後に泣くのは告発した女子とその当事者だったりして…泣くのはヒキョウっす。
    でも女子でもちゃんと公平?な連中はいて、こそこそ声が聞こえるんす、「(発言した)あのコ、毎日おかしいよね…、(当事者の)☆☆ちゃんカワイソ」
    中・高学年になると男子から見てもわかるほど、女子同士の関係がおかしくなることに気が付いて…。楽器が変わってから「反省会」はなくなったっす。
    ・・・担任の先生の「学級経営」ってのもムズカシイんだろけども…ゆたか

    うちらんころは「帰りの会」は連絡事項とプリント配布だけだったんで意外ですぅ…。
    ・・・たまの学級会でもあまり議題にはならなかったですぅ…みならいかのん

    • kaikoshumi より:

      3あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      今考えても吊し上げ以外の何なの?と思います。でも学校側、先生側は教育の一環、悪いことは悪いと反省させるという考えなのでしょう。
      でも善悪の教育は理解出来ても、やはりクラス全員の前では吊し上げとしか言いようがありません。

      女子が・・・というのも一定数あったと思います。でも幸いか私のクラスはそれほど嫌な女子はいなかったです。
      もしある女子が、「〇〇くん、あんなことしちゃだめよ。これから気を付けてね。一緒に良いこと悪いことを学ぼうね!」なんて耳元で囁かれたら、きっと私の配偶者は違っていたかもしれません。
      もちろん妻には内緒だし、今の妻には十分満足していますよ。(笑)

  2. キュア梅盛 より:

    初めてロシアに行った時(ソ連崩壊直後)に、現地の通訳さんと仲良くなり、色々ソ連時代の話を聞いていた時にスターリン時代の話になった・・・その時にいわゆる「人民裁判」の話が出た際に「同じ事、日本の小学校でもやっていますよ」と説明を交えながら話したら、通訳さんと現地スタッフの方が本気でビビっていました・・・まあ、今思うと小学校のやり方って北朝鮮そのもの(大学で教育問題をゼミでやった際に『小学校人民共和国』と名付けて実例を述べると教授が苦笑いしながら「ちょっと言い過ぎかもしれないけれど・・・」と言われたのを思い出します)でしたし。

    • kaikoshumi より:

      キュア梅盛様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      当時の小学校~中学校くらいまでは人権なんて考えていなかったと思います。
      どなたか忘れましたが、芸能界の重鎮の人が「ガキに人権なんてあるか」とTVで叫んでいたのを覚えています。
      (落語家だったと思う)

      当時私は中学生くらいだったと思いますが、「ひでえな」と思いました。
      でも当時はそういう発言も許されたんですね。これって子どもに対してのみならず人権意識の低さだと思います。

      今は人権に対して敏感すぎる感じの世の中になりましたが、今でも日本には例えば入管収容者の扱いや技能実習生の扱いなど、相当な後進国レベルの人権問題が山積みでもあります。
      この辺に関しては北朝鮮と大して変わらないレベルと言っても言い過ぎではないと思います。

      しかし今の学校はかなり人権、男女平等には厳しくなりましたね。
      男女ともに先生は「さん」で呼ぶ、教壇は置かない(先生が高い所から見下ろすのは子どもを見下しているから)、給食で食べれないものは無理強いしないなどずいぶん変わって来たと思います。
      でも一部の先生は自分が子どもの時に受けた扱いを教え子にも強要する人が今でも少数派ながらいるようです。

      それと横浜市と札幌市の学校を比べると、大都市札幌でも小学校の考え方などは横浜に比べるとやや古臭い感じもして違和感もあります。
      だんだん変わっていくとは思いますが。

  3. キュア梅盛 より:

    この話には続きが・・・で、ゼミの教授に「母校の小学校にソルジェニーツィンの『収容所群島』を送る(当時神戸であった校門圧死事件の高校に友人が皮肉を込めてこの本を寄付したのでした)のはどうでしょうか?」と言ったら即・却下されました。

    • kaikoshumi より:

      キュア梅盛様
      再訪とコメントありがとうございます。
      神戸の事件は酷すぎました。思い出しても悲しく心苦しくなります。
      まあ例えはよくありませんが、収容所とその扱いは日本の闇でもありますね。
      昔の小学校の酷かった事、今の時代に話しても信じてもらえないでしょうし、TVでも「あの日あの時」みたいな特集でもタブーで放送できませんね。

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管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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