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北海道・白老ユースホステル

北海道の白老ユースホステル

 

北海道の太平洋側に白老(しらおい)ユースホステル(以下 YH)がありました。

ユースホステルとは?

残念なことに白老YHは1991年5月10日に閉所されてしまったようです。

私が初めて白老YHに泊ったのは初めて北海道を訪れた1976年8月19日でした。

真夏の暑い日、そしてまだまだ全国のYHが全盛時代(実際は人気が下降しつつあったが)で賑わっていた時です。
白老YHは観光や交通の拠点ではない場所にありましたが、それでも当時は大混雑でした。

観光資源としてはYHのすぐ裏にはアイヌ文化を学べるアイヌコタンや民俗資料館、そして静かに佇むポロト湖などがあります。(現在この場所には国立アイヌ民族博物館、通称ウポポイが建っています。)

アイヌ文化、北海道の先人文化を学べる貴重な場所と言えますが、しかし比較的近い場所にある洞爺湖や登別温泉に比べると全国的な知名度は低いと言わざる負えません。

そして交通面からも白老はやや不利な部分があったのです。
それは1970年代の優等列車は特急と急行の2本立てでしたが、特急は全列車通過でした。急行は止まりましたが千歳空港や洞爺、登別、室蘭にも近く、札幌までも急行に乗れば80~90分程度でした。

ですから交通面でも通過されてしまう場所でもあったのです。

しかし先述したようにYH全盛とも言える時代でしたので夏は予約を取るのも大変、というほど活況に満ち溢れていたのです。

私が撮影したこのYHの写真は幾度となる引っ越しで紛失してしまい、ネットで調べても閉所して既に32年経過(2023年基準で)している、恐縮ながら語り継がれる著名YHというほどでもなかった、などの理由なのでしょう。
殆ど写真も見当たりません。しかし比較的様子がよく分かる前面の写真がありましたので引用させて頂きます。

↓クリックで拡大し別タブ(ページ)で開きます。

引用元:青春の落葉 様
https://www.youthhostel.blog/?p=879

建物は「いかにもYH全盛時代に建てられたデザイン」を感じるのは私だけでしょうか?
このYHのすぐ手前は国道となっており、裏側には国鉄室蘭本線が走っています。




白老YHの場所と周辺は?

YHがあった場所について調べてみました。数十年前に宿泊された方も懐かしい記憶がよみがえるかもしれません。

まず2022年8月のGoogle mapを使って存在していた場所をご紹介しましょう。

まず以下は白老駅を含む周辺の様子です。

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駅からは一本道を線路に沿って東に1㎞ほど歩いた場所でした。時間的には15分程度でしょうか。
そして上記場所を拡大したものが以下の地図でやはり2022年8月撮影のGoogle mapからの引用です。

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カケムラ電器さん、西村電機さんがあるあたりですね。

2022年8月撮影のGoogle mapのストリートビューからの切出しが以下です。
この赤で囲んだところに白老YHがあったんですよ。感慨深い感情と、痕跡さえ残ってい無さそうな感じがちょっと虚しさを感じます。

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そして今度はYHが存在していた時代の1976年10月5日に高度1700mから撮影された白老駅を含む広域地図です。
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引用元:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 様
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

そして白老YH付近を中心とした周辺地図は以下です。
上記地図の1年前撮影となりますが、周辺も全く変わっていないです。
(1975年9月28日 高度1400mからの撮影)

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引用元:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 様
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

位置関係がかなりはっきりわかると思います。
上記地図から切出してさらに拡大表示すると以下となります。

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これらの航空写真を2022年8月撮影のものと見比べて頂くと、場所の特定の他に約50年前の建物が2022年現在でもまだ残存している事に気が付くと思います。但しどの建物も屋根は塗り替えたりして色は変わっているようです。
こういう見比べも楽しいですね。

そしてユースホステルハンドブックの白老YHの部分を見つけましたので、こちらも引用させて頂きます。

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引用元:青春の落葉 様
https://www.youthhostel.blog/?p=879

2食付きの値段の部分はまさに時代を感じます。当時の民宿でもこれの2倍はしたと思います。

白老の観光情報が載った資料をご紹介します。
私が初めて北海道に行った時に買った1975年版の「ブルーガイドパック 北海道」より引用させて頂きます。
(このガイドブックは現在も手元にあります。)

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宿泊案内の部分には、やはり今は無きウトナイ湖YHも書かれています。白老からは少し離れていますが。
現在の同地区の地図や観光案内と見比べると大変興味深いと思います。

 




白老はどんなYHだった?

白老YHは先述の写真のように「いかにもYH全盛時代に作られたようなデザイン」であり、私のような昔のホステラーにすれば当時でさえ懐かしさを感じ、ホッとするという建物でした。

私はここに2度泊まっていて最初が1976年8月19日、2度目は1980年の8月でした。
いずれも真夏でまだまだYHは人が多い時代、とにかくごった返していました。

ちょっと無責任な言い方になるのですが、とにかく人が多くそれでいて広い造りではありませんでしたので、部屋とかの印象が非常に薄くて建物の中の詳細を説明出来るほどのしっかりとした記憶がないんです。

ただ室内は木製のベッド(金属パイプベッドでは無かったと思う)、建物自体も木造で「若者向けの研修施設」という感じでした。つまり典型的な当時のYHの構造だったんです。

当時そういう構造のYHは非常に多かったのです。特に2023年基準で相当前に廃業したYHは個人的な感想ですが、以下の2つに分かれていた気がします。


・木造、床も木張りで木製のベッド、受付も木のカウンター
→白老YHの他、えりも岬YH、紋別流氷の宿YH、宮ケ丘YHなど。殆どが私営で一部公営。

・コンクリート造りで研修施設が前提になっているような建物。床もビニール張りやリノリウム。
→札幌ライオンズYH、札幌青年会館YH、サロマ湖YH、帯広YHなど
公営や法人経営が多かった。ベッドも木製よりも金属パイプのものが多い。


これら↑北海道内のYHについて触れていますが、全国的に似たようなものだったと思います。

独特な匂いのあるユースホステル

変な匂い?臭いの?なんて思われてしまいますね。

でもYHに10数泊も泊まれば何となくYHの匂いというものが分かってくると思います。(と勝手に私は思っている)
とても一言では言えない独特な匂いで、何というのでしょうか? 湿った木の匂い少しカビ臭い木とコンクリートが混ざった匂い?、など複雑な匂いなのですが、YH以外で経験するとしたら研修施設や林間/臨海学校の施設の匂いと同じです。

白老YHもそういう匂いがしたのだけは覚えています。特に玄関入った瞬間に感じ、鼻からの匂いと体で感じる研修施設の匂いでした。

白老YHは研修施設のような趣ではなくて、1960~1970年代の一番YHが元気だったころの典型的な建物でしたが、なぜか玄関に入ったら研修施設の匂いを感じたんです。

私にとって決して不快な匂いではなくて、旅先で安心感を感じる匂いでした。

一般のホテルや旅館でも嗅いだことがありませんが、会社の保養所は同じ匂いがしてYHを泊まり歩いていた頃を思い出して懐かしかったです。




ファンが今でも多い白老YH

私は2回宿泊しただけで、特に通ったとか、このYHで友を作ったとかでは無いのであまり色々と言えないのですが、本記事を書くにあたりネットで調べていくと今でも各地で同窓会みたいなことをおやりになっている元ホステラーも多いようです。

東京や大阪などで昔の友と会って語り合うなど、とても楽しいです。
私も塩狩温泉YHの仲間と新宿で宴会やったりもして、またYHで騒いでいた頃に戻ったような錯覚さえありました。

意外にYHで知り合ったどうしって結束が固かったりするんです。結婚する人もいますしね。

 

さてネット上でまた面白い物を見つけましたので引用させて頂きます。
白老YHの予約ハガキです。当時YHを予約するには電話を掛けるか往復ハガキで申し込んでいました。
YHから戻って来る宿泊可否のハガキはYH独自のスタンプに何名、何日とか追記されたものや、非常に手の込んだ手書きの絵が描いてあったりなど様々なものがあって、仮に「満員です」という返事であっても、そのハガキが楽しみだったのです。

しかし以下のものは・・・  すごいです、全て文字だけとはいえここまで丁寧に書かれた情報量、私が初めて白老に泊った時も往復ハガキを使いましたが、こんな感じでは無かったと思います。紛失してしまったのが残念です。
1974年(昭和49年)4月の予約ハガキのようです。

↓クリックで拡大し別タブ(ページ)で開きます。

引用元:趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)様
https://smcb.jp/

 

私にとってはたった2回泊っただけの白老YH。でもどうしても本記事を書きたくなって夢中で調べて書きました。
何が駆り立てたのかは自分で分かりませんが、またちょっとだけ「懐古趣味」に走ってみた、そんな記事になりました。


以下はオマケの写真です。
私が2019年8月13日に写した白老駅です。

駅舎の写真の左側は自由通路の工事中です。既にこの自由通路は完成し、駅舎も2020年にリニューアルされています。
でも構造体は変わっていません。

↓クリックで拡大し別タブ(ページ)で開きます。

 

今や「特急すずらん」が全列車停車して、札幌までも1時間少々で行けてしまいます。
特に駅裏に出来た「国立アイヌ民族博物館」(通称ウポポイ)は圧倒的なスケールで楽しめますのでおススメしたい場所でもあります。

以下の写真は私が2021年10月10日にウポポイを訪れた時に撮影したものです。
さすが国立博物館だけあってスケールの他、展示自体も素晴らしいものがありました。

 

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4 Responses to “北海道・白老ユースホステル”

  1. んにゃ より:

    白老ユースホステルって施設現存しないんですね。個人宅なので、ペアレントの逝去か何かの機会に合わせて取り壊されちゃったんでしょうか。

    • kaikoshumi より:

      んにゃ様
      こんにちは。白老YHが壊されたのはだいぶ前のようですが閉鎖や解体の理由まではわかりません。
      個人宅だったのですね。
      私が泊った時はまだまだYH全盛時代でしたが、それを除けば白老は行きたくなる観光地とはとても言えなかった場所なので、会員数の激減に合わせて利用者が減ったのでしょう。
      時の流れではありますね。

  2. にむにむ より:

    1977年夏。一週間ほど滞在してました。当時のユースはヘルパーと呼ばれる人たちがユースを手伝っていました。しかし、私の思うヘルパーはユースを利用する旅人の旅そのもののお手伝いをする気持ちが無ければ意味がないと、夜ヘルパー何人かと言い合いをした思い出があります。その後彼らとは手紙のやり取りなどしてたように思います。

    • kaikoshumi より:

      にむにむ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      言い合い… 青春ですね〜
      私はユースでそのような言い合いとかをしたことはありませんが若いが故、そして幼さ故の行動と今となっては思います。

      ユースで言い合いまでは行かなくても旅とは云々…とか議論している人は何度も見ました。

      青春でなければ有り得ない話しでしょうか。
      何れにしても思い出の彼方の1場面ですね。

      またのご訪問おまちしております。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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