2023年10月26日の帯広ユース跡 (動画有)
懐かしい帯広ユースホステル
北海道帯広市の帯広駅から徒歩数分の場所に帯広ユースホステル(以下 YH)がありました。
場所はこちらでした。
交通の便の良さもさることながら多くの人々に愛された大変に人気の高いYHでした。
特に夏季は毎朝線路際で宿泊者(当時はホステラーと言っていた。今はゲスト)を見送る一大イベントが名物でした。
そんな帯広YHですが残念なことに2023年現在は閉館、そして建物は解体済みとなっています。
帯広YHをご存知でない方、または知っているけれど本記事を初めて読まれる方は、まず以下の記事を先に読んで頂ければ状況がさらによく分かると思います。
↓現役時代の帯広YHと毎朝の見送り風景の写真です。↓
40年近く前ですので敢えてお顔にモザイクなどは入れておりません。
1986年8月6日撮影。弊サイトご訪問者の「素人さま」よりのご提供です。
↓クリックで拡大し別タブ(ページ)で開きます。
2023年10月26日現在の帯広ユースホステル跡
私が前回帯広YH跡を訪れたのは2014年5月5日ですので、2023年基準で9年も前のことです。
その間にも弊サイトにご訪問者様から様々なお写真や情報をお寄せ頂きました。
重ねて情報をお寄せ頂きました方々には心より感謝申し上げます。
そして本年(2023年) 10月26日にやっと帯広を訪問する機会に恵まれました。
もちろんYH跡地の撮影もしてきました。
建物はだいぶ前に解体されていますが、私が帯広に行けなかった期間にお寄せ頂いた情報、そしてYH跡地と高架となった線路以外の周辺は殆ど変わっていませんでした。
しかし大変な人気を誇った帯広YHでしたから、少しでもその後の様子を知りたい方も多いと思い写真をアップします。
そして今回は見送りをした場所を含め、YH跡地付近の動画も撮影しましたのでぜひご覧下さい。
以下の国土地理院以外の写真・動画は全て私(弊サイト管理人)が撮影したもので、無断転載禁止です。
写真はクリックで拡大し別タブ(ページ) で開きます。
↓帯広YHがあった場所。
YKK APさん社屋と黒い車の後部が2台こちらに向いている場所まで。
↓上記場所にもう少し近づいた写真。
YKK APさん社屋と小さな屋根の付いた駐車場付近まで。
↓位置関係がよく分かる写真。(2014年5月5日に弊サイト管理人が撮影)
YHが閉館後のホテル時代。奥の茶色の2階建て建物と手前の電柱は2023年現存。
以下からの写真はまた2023/10/26撮影分に戻ります。
↓YH前にあった和食レストラン四季屋跡。
現在はダンススタジオ。現存の建物の右側にも四季屋があった。
↓毎朝見送りをしていた場所。左側に踏切があった。
↓踏切のあった場所。奥が釧路方面。
↓踏切の場所を少し離れた所から。
左後方直ぐにYH跡
↓動画も同じ日(2023/10/26)に撮影しました。
約48秒です。
1977年9月28日の帯広YH付近
最後に多くの宿泊者で賑わいYH全盛時代だった頃の帯広YH周辺の航空写真をご紹介します。
1977年(昭和52年) 9月28日に高度1300mから撮影されたものです。2枚目は更にトリミングして拡大しています。
引用元は国土交通省国土地理院 「地図・航空写真閲覧サービス」様の地図です。
それを切出して私が加筆しました。
以下の2枚もクリックで拡大し別タブ(ページ) で開きます。
↓駅を含めた広域
↓YHを中心とした詳細
帯広YHは見た目だけではビジネスホテル風の殺風景の建物だったかもしれません。
しかしいつも多くの旅人で賑わい、朝の見送りが目当てで泊まりに来る方も多かったのです。
単に交通の便が良いだけ、部屋数が多く泊りやすいという単純な理由では無いと思います。
多くの宿泊者に囲まれ、表にはあまり出なくても「快適な宿を提供したい」といつも影で見守っていたペアレントさん(YH管理人)の尽力も忘れることは出来ません。
建物もだいぶ前に無くなってしまいましたが、せめて夢の中でふらっと帯広YHに泊りに行けたらどんなに幸せか、なんて最近思ってしまいました。
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帯広YH、懐かしいですね。一度泊まりました。YH解約後に行ったら、まだYH関係のステッカーが残っていたのを覚えています。帯広にはその後に、ぬかびらYHや北帯広YHに行く時に、高架になる前と高架になってから行っています。帯広も旭川の駅も変わりましたねぇ。
ユースホストピア様
コメントありがとうございます。
帯広ユースは良かったですよね。
だから皆さんから多くのコメントを頂き、思い出が共有出来て嬉しいです。
帯広駅、旭川駅共に味のあった旧駅舎ですが、今はビックリするほど立派になりましたね。
特に旭川駅が私は好きです。
木を多用し、ガラス張りにしたデザインは素晴らしいです。