昔のスーパーマーケット
スーパーマーケット今昔 違いは?
今のスーパーマーケットというと2種類に分類されるかと思います。
一つはイオンおよびそのグループを含む巨大ショッピングモール、またはそこまでの規模でなくてもとにかくその店に行けばすべて揃ってしまうタイプのお店、もう一つは地元に根付いた昔からある食料品店が大きくなったような形態のお店、と別れるのではないでしょうか?
後者のお店は東京も含めて全国各地にあり、今でも地元に愛されていますが年々数が少なくなっているのは事実ですし、特に車を使えたりバスや電車であちこち行くことが億劫でない若い世代は巨大ショッピングモールを好む傾向があると思います。
巨大店の良さは「とにかく売り場が広い=品数が豊富」、「専門店街がある」、「飲食も出来る」、「赤ちゃん連れでも安心して利用できるトイレやその他関連設備が充実」など他に行く理由が見つからないほどの利便性の高さです。
ただし広すぎて歩く距離がかなりあり、トイレに行くだけでも疲れてしまうほど歩くこともありますね。
巨大店はご高齢者の方には少々きついかもしれません。
一方地元の昔からのスーパーの良さは「程よい規模なので商品が見つけやすい」、「大型店にはない穴場商品や値引き品もある」、「売り場の方と話しやすいので質問をしたり、普段は設定しない大きさの肉なども対応してくれる」などきめ細かな部分も多いのでご年配の方はもちろん若年層にも人気のあるお店がたくさんあります。
また学校がすぐそばの地元スーパーだと学校指定の体育の帽子や体操着、名札、バッジ、などを売っているお店もありました。
それぞれ一長一短あるスーパーですが、規模の違い以外の決定的な差は何なのでしょうか?
店の規模の違いだけではない大小スーパーの違い
もちろん規模が大きければそれだけ置ける品数も多いのは当たり前であり、客にはより多くの選択肢が提供されることになります。
大規模店は専門店街を除けば「一つの会社が運営している1軒のお店」、「昔ながらの地元の小さなスーパーは、八百屋さん、肉屋さんなどが寄り集まった形態。」と言えるのではないでしょうか?
もちろん大規模店だって精肉、青果、鮮魚売り場などに分かれていますが、基本は一つの会社の中の売り場にすぎません。
小規模店だって似たようなものではあります。
しかし本記事で取り上げたい小規模店は例えば精肉は「XX精肉店」、青果は「YY青果店」などのように別のそれぞれの会社のお店が一つ屋根の下に入っているというお店です。
1970年代以前の地元のスーパーだって今の大規模店のように、一つの会社が様々な食品売り場を設けている、というお店はありました。
しかし先述したように別々の会社の売り場がそれぞれ入っているようなスーパーが多かったのです。
イメージ的には「市場」という感じでしょうか?
リトル市場だった昔のスーパーマーケット
まさに市場という言葉がぴったりでした。
イメージ的には以下のようなお店が代表格かな、と思います↓
このお店は横浜市港北区日吉の「コンビニ山西」というお店で、名前こそコンビニですが昔ながらのスーパーマーケットと言えるようなお店でした。
私はこのお店の近くに住んでいましたが、普段使うスーパーマーケットは別の場所(OKストア日吉店)でした。
関連記事:横浜・南日吉の思い出の商店
このお店があった場所はこちらになります。
撮影は2004年2月ですが、2008年~2010年ごろには閉店してしまいました。
(クリックで拡大し別画面で開きます。)
そして閉店後は駐車場になってしまいました。
写真の撮影は2011年10月ですが、2024年現在でもまだこの駐車場のとして残っているようです。
(クリックで拡大し別画面で開きます。)
本格的な市場といえば以下のようなイメージですが、昔のスーパーマーケットと比べても配置などが異なるだけで基本的には変わりません。
市場でも観光客もたくさん来る場所だと様々な部分が洗練された「観光地」にもなる。
京都・錦市場↓
昔のスーパーマーケットの雰囲気が漂うお店は?
冒頭でも述べたように今でも全国各地に昔ながらのスーパーマーケットは生き残っており、あるいは比較的近年に出来た「昔テイスト」ともいえるお店もたくさんあります。
それらは意外と地域の激安店に多い気がします。
例えば連日のようにTV局の取材に使われる東京都練馬区関町のスーパー「アキダイさん」なんかが代表ですね。
連日のインタビューで大変だなといつも社長さんには同情してしまいますが、まさにこれこそが昔テイストのスーパーマーケットであると言えます。
狭い店内に所狭しと商品が陳列され、しかも値札を見るとずいぶん安いなと思う商品が満載です。
今はイオンに代表される大型店が各地で台頭していますので、狭くても多くの商品が少し手を伸ばせば買える、しかも安いなど敷地の狭さを逆手に取った地域店が繁盛していると言えます。
若い人だって休日はイオンなど大型店に行くけれど、普段の買い物は近所の昔からのスーパーを使う、という人が多いのも事実です。
またアキダイさんは東京だけのようですが、全国各地に似たようなスーパーは多くあり、全国ブランドのお店もあります。
例えば「業務スーパーさん」なんかは良い例です。
これでもか!というほどの大量陳列、コストコの一歩手前くらいの量のまさに業務用といえる特大サイズが揃っているなど狭い店内にびっしりです。
業務スーパーさんの店舗も比較的大きいところもありますが、多くは知名度の割に狭いお店が多いと思います。
誤解なきように言うと良い意味での狭さですよ。数歩歩き手を伸ばせば様々な物が買える、巨大店のように歩くだけで疲れてしまうなんてこともありません。
昔の、昔からのスーパーは一時期イオンなどに駆逐されて、よほどの田舎に行かない限り国内からは無くなってしまうとまで言われた時期もありました。
しかしそんなことはあり得ませんよね。巨大店を作るには広大な土地が必要です。狭い日本は田舎に行ってもどこでも広い土地など簡単に入手は出来ません。
でも地域の昔からのスーパーも生き残りに必死ですので激安スーパーに転換したり、ありとあらゆる努力をして確実に顧客を掴んでいるのです。
だからこれからも昔からの小さなスーパーは生き残っていくのです。
以下の記事は私にとってのなつかしさから書いたものですが、以下のお店をご存じの方、全く知らない方でも「そんな店があったなんて」と少しでも思って頂ければ幸いです。
スポンサーリンク
管理人様 お久しぶりです!
今回はスーパーマーケット事情を取り上げていただき嬉しくて、関連の「OKストア日吉店」編も拝読しました。
ちょうど管理人様がアルバイトをされていた77年に、僕も、似たような某店でスーパーマンになっていたンです。
当時、学生だった僕は旅をしたり、新聞や雑誌の編集をしたりと好き勝手な青春でしたが、6年生の秋に結婚することになり、家庭を持つ以上はフーテン稼業から足を洗わねばと、地元の鉄道会社の子会社に入社しました。
この会社は、元々は鉄道の拠点駅前を繁華街化するための子会社で「〇〇鉄不動産」と名乗って、高度成長期時代の憧れだった映画館や食堂などを経営していましたが、時代の流れでスーパーマーケット業にも手を出して、現在は、そちらが主流の会社になっています。
話しが逸れてしまったので、本題に戻ります。
77年10月31日に新婚旅行から帰宅した翌日、本社での研修もそこそこに、いきなり配属先のスーパーマーケットの青果売り場に立たされました。
生まれてから23年間、野菜の名前などチンプンカンプンだったので何も分からず大変でしたが、
結婚生活と同時進行で、家庭に密着した現場を体験出来たのは有り難かったなぁ~と思います。
(ここで、少しだけナイショ話しを!)
当時はPOSレジではないので、入荷するとバックヤードで大量の商品にハンドラベラーで値付け作業をしました。
そのラベルには価格の他に、青果とか食料品とか雑貨とかの部門も印字します。
ふだん、自分の担当業務(例えば青果とか食料品とか雑貨とか)の仕事で目一杯だからレジ応援を頼まれると避けているのですが、月末になり、自分の担当部門の売り上げが悪いと率先してレジに入り、例えば青果担当者なら、肉だろうが魚だろうが牛乳、パンだろうが、みんな青果部門でレジ打ちしちゃうんです。
お客様は、価格の打ち間違いにはうるさいけど、部門は気にしないですからね。
昭和の懐かしい昔話しです。
ここだけのナイショ話しとして許してください。
(今はPOSレジだから、無理ですね)
浜のヨースケ様
こんにちは。コメントありがとうございます。
ハンドラベラー、懐かしいです。
私もガチャガチャやりましたね。
使用頻度が高いので直ぐに壊れてしまったりしました。
商品によってはシールがうまく付かなくて、一つ一つ手で押さえて圧着したりもしました。
ここだけの話し、では済まないですね。
このコメント欄だと。
スーパーマーケットでの担当部門の売り上げアップ秘策が本欄で世間様にバレてしまい失敗しました。(笑)
時効として、許してください!
他にも、裏話があります。
今では商品調達は本部一括仕入れですが、40数年前に僕が働いていた中規模スーパーでは、「準目」といって、仕入れ価格が安い目玉商品のリストが各店舗の担当者に配られ、それぞれの営業戦略に合う商品を選ぶ裁量が与えられていました。
青果担当から缶詰や飲料などの一般食料品を担当することになった僕は、その「準目」リストから商品を選んで販売することが愉しかったことを覚えています。
さらに、当時は各メーカーの営業マンが新商品の売り込みで店舗を訪れ、受注数に応じた魅力的な景品をチラツカセて、僕らを誘惑しました。
それに負けた僕は、(僕の店は小型店なのに)大型店クラスの発注をしてしまいました。
その商品はマーガリンです。
普通の食料品なら何とかなるンですが、納品された大量のマーガリンは冷蔵品なので難儀しました。
バックヤードの冷蔵庫に収めきれず、やむなく(冷蔵品なのに)売り場の通路に山積みしちゃいました。
今なら、即アウト!です。
これも、お許しいただきたい緩~い昭和のスーパーマーケット事情です。
その時、手に入れた景品の工具セットは今でも重宝しています。
浜のヨースケ様
コメントありがとうございます。
準目は知りませんでした。おそらく私のスーパーでは本部からのそのような伝達は店長が一括管理していたと思います。
アルバイトには大して発注等の権限はなくて、売り場主任から言われた通りに作業が基本でした。
だからアルバイトが大量発注するなんてなかったのです。
それにしても今思い出しても当時の店長は本当によく働いていました。
店長の鏡、というほどで、最後は役員になったのもうなづけたほどでした。
しかも泥臭く、汚れる仕事ばかりしていました。えらいです。
管理人様が垣間見られた「よく働く店長」像は、僕も同感です。
僕が勤めていた店の店長も、事務処理の傍ら商品の陳列やらレジ応援と一日中、動き回っていました。
一方、某デパート系列のスーパーと合併した時、(誤解があると申し訳ないですが)彼らはデパート商売としての場所貸し思想が根強よくて、自ら動くことが少なかったですね。
話しが脱線してスミマセン。