ユースホステルで知り合う人は一夜だけの友?
ユースホステルで知り合う友人
ユースホステル(以下、YH)は「見知らぬ同性が相部屋」が原則なので、自然と多くの会話を交わします。
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また違う部屋の人(異性含む)とも食事やミーティング(夕食後の集まり。静かな会話もあれば、歌い踊るバカ騒ぎもある)で会話をする機会が多くあります。
ですから「明日行くのは同じ方向なので一緒に行きませんか?」ということになりがちです。
またYH内で何気ない会話をしただけなのに、「え?同じ○○町出身なの?」とか「同じ学校ですね」など様々な偶然が起こるのもYHの特徴と魅力でもあります。
でもこうして知り合った人と、その後(帰宅後)友人関係は続くのでしょうか? また異性だった場合付き合ったり結婚したりする事もあるのでしょうか?
意外と知られていない、そして皆さんが興味津々のこの話題に迫ります。
ユースホステルで知り合う魅力
YHでは見知らぬ人と知り合う魅力もあります。
でも「そんな面倒なことはイヤ」という人が近年多くて、いくら安くても相部屋がイヤでYHを敬遠する人が多いのが事実なのです。
私は家族を持った今はもちろん、YHに泊まりまくっていた時代も基本は見ず知らずの人と話すのは苦手でイヤでした。
しかしYHだけは私の中で例外でした。
当時のYHはそのような魅力というか媚薬みたいなものがあったのです。
もちろん嫌なタイプの人と同室になった事もありましたし、翌日イヤなのに付いてくる人もいました。この「付いてくる」というのは行く方向が同じだから同じ列車で行きませんか?というようなことです。
嫌なタイプの人はたくさんいましたが、でも「好きなタイプ」の人はほとんどいなかったのも事実です。
しかし「好きなタイプではない」けれど旅行の情報交換、同じ列車で次の目的地に向かうのは結構楽しかったんです。
(というか嫌いなタイプは初対面で直ぐに感じますが、好きな(自分と合う)タイプはある程度突っ込んで付き合わないとわからないということだと思います。)
これもYHの魔法なのでしょうか?
旅先で知り合う人からは自分が全く知らなかった旅や交通機関の情報を多く得ることが出来るのです。
ユースホステルで知り合うのは一夜の友人だけ?
よく「YHで知り合う人は一夜だけの友人である」ということがあります。
最近は言わないかもしれませんが、少なくても1970~1990年代前半くらいまでのYH利用者が多かった時代はよく耳にする言葉でした。
つまりYHで知り合っても次の日には別々の場所へ、共に行動しても1~3日後には別の行き先(帰路)へというのが殆どだからです。
しかも面白いのは数日間同じYHに泊まったり、同じ列車に乗っても「学生か社会人かしか知らず、互いの出身地、名前や年齢すら知らない」まま別れるというパターンが多く、相手のことを知りえるのは「写真送るから住所教えて!」くらいの時なのです。
もっとも今の時代はYHをよく知っている人でなければ「写真送るから・・・」と言われても「結構です」と言って住所教えない人の方が多いのではないのでしょうか?
旅に出る時も一切のカメラ(コンパクト含め)を持たずスマホだけで全て完結の人も多い時代ですし、いくらYHで同室だったからと言って昨夜知り合ったばかりの人に自分の住所や名前を教えるなんて・・・というのが今の感覚でしょう。
(多分私も今だったら教えません)
だからYHで知り合って夜騒いだり、翌日一緒に行動するのは楽しくてもやはり「一夜の友」であることが殆どなのです。
ユースホステルで出会う人とのトラブルはないの?
同室の人、もしくは同室ではないけれど食事の時間に意気投合したとかで知り合った人とトラブルはないのか?というのは気になる話題だと思います。
2018年現在YHの数、利用者は大きく衰退したとはいえ、「見知らぬ同士が男女別相部屋」というスタイルは昔から変わっていないので、これから利用してみようかな?と思う人は心配でしょう。
まず国内のYHを300泊以上泊まった私の経験からはトラブルは一度もありませんでした。
トラブルというのは「財布や貴重品が無くなる」を筆頭に、「言いがかりをつけられる」などがあると思います。
でも私が泊まった日にYH内で財布が無くなるという事件があり(別の部屋で)、警察が来て夕食後のYH内が物々しい雰囲気になったことは1度だけありました。
幸い目にしたトラブルはそれ1件だけでしたので、私はYHに泊まる時は財布や貴重品だけは肌身離さずという原則に徹し、それ以外は比較的YHに心を許していたと思います。
ただYHは利用する日によって様々な人がいますので、以下は頭の片隅に置いておいた方がよいですよ。
●イビキ、歯軋り、寝言が酷い人がいる。
●やたらと誰にでも声をかけて、細かい事も聞いてきて「ウザイ!」と思う人もいる。でもこういう人に限って悪気はなくて、別に個人情報を聞き出して悪さを企んでいるとかではなくて、単にフレンドリーなだけ。
●女の子とばかり話していて、しかも自分の自慢話しや「明日何処行くの? へぇ~奇遇だね、同じ方向だ」とかナンパ目的みたいな奴。
(こういう奴はウソみたいに男とは絶対に口を利かない。同室でも。)
帰宅後に付き合いが続く友人はいるの?
人によりますが、たくさんYHを泊まっていればそういう人も出てきます。
私も(全て相手は男ですが)YHで知り合って30年以上付き合いのある人もいますし、結婚式に呼ばれた事もあります。
その他にも東京で集まって大宴会をやる、なんていう人もいますし、しばらく途絶えていた人と偶然繋がってまた昔の思い出話しに華を咲かせるなんて事もあります。
しかしYHをそれなりの数泊まっていても帰宅後も友人として付き合う人というのは殆どいない、というのが現実でしょう。
せいぜい先述したように「写真送るね」と言って手紙1度出して終わり、というパターンが98~99%くらいじゃないですか?
(多くの場合、写真を送ってもお礼の手紙は殆ど来ない)
ユースホステルで知り合った異性との付き合いや結婚は?
これが一番興味を引く話題かな?と思うので、最下段に書くことにしました(笑)。
確かにそういう人はいます。
でも同性の人と帰宅後もずっと友人でいられる人と出会う確立よりも遥かに低いというのが現実だと思います。
以前YHで知り合った人とそんな話しをしたことがありますが、彼に言わせれば「歩いていて隕石に当たるくらいの確立では?」だとか・・・。
真意はともかくまわりでYHで知り合って結婚したという話しは知り合いにはいませんし、知り合いの知り合いの知り合いくらいだったらいたりします。
理由は判りませんが所詮一夜の友、ましてや異性(特に女性から見た男性)だと警戒心もあるのでしょう。
では「結婚に至らなくても帰宅後に付き合う人はどのくらい?」とハードルを少々落とした話題にしてみますと、これも極めて低い確率といえましょう。
自分含めて知り合いでは殆どいません。
皆無では無いのですが、極めて稀の例だと思います。
これについてまとめてみると以下ではないかな?と私の独断の分析を書いてみましょう。
◆旅先での出会いは男女問わず心が躍り、一時的に舞い上がるのは事実。
但しこの高揚感は帰宅した途端に消え去ってしまうのも事実。つまり旅が終われば覚めてしまう。
これに気がつかずに気持ちを引きずるのはいつも99%男。つまり男はどんな場面でも所詮おバカで哀しい存在。
参考記事: 言ってやろ~ と バカが見る~
◆YHの利用者が多かった頃の男女差を思い出してみると明らかに以下の傾向があったと思う。
・男: カネが無い、でも安く旅に出たいから(内容を知らなくても)YHを利用する。
・女: 特別カネが無いわけではない。でも一人や気の合った仲間だけでリュックを背負い周遊券片手に気ままな旅を楽しみたい。
どちらかというと「普通の女の子」や「お嬢様」ではなくて「ややワイルド系」が多かったと思う。
この差が男がバカを見る原因では?と私の長年の研究成果(?)から言えると思う。
YHに来る男の殆どは異性が目的ではないのだけど、男はバカなので旅という魔法にかかってしまうのだと思う。
(異性が目的だったら昔でもYHなんて泊まりに来ない。)
◆昔もYHを利用する女の子であってもやはり警戒心はかなり強い。
YH内でワイワイ騒いでいる時は彼女達も心底楽しんでいるが、「同じ方向の列車だから」、「偶然今夜も同じYHだから」と付いて来る男には警戒する。特に「写真送るから住所を・・・」というYHでは常套手段の「必殺個人情報聞き出し術」にはためらいを感じる女の子は多いと思う。
とは言え旅の記念の写真を送ってもらえるならと殆どの場合教えるが、写真を送ってもその女の子からは殆ど返事は来ないことが多いので、今この「必殺個人情報聞き出し術」を使おうと思ってこの記事を読んでいるそこのあなた、期待してはいけませんよ。
◆YHが衰退してから泊まりに来る女の子は明らかにYH全盛時代とは人種が異なる。
つまり「ワイルド系」は殆どおらず、「カネがない」とか「YHが好きだから」なんていう子もほぼいない。
単純に「その付近に他に宿が無かったから」または「他の宿を断られたけどYHだけは空いていたから」が泊まりに来る理由。
事前に「同性相部屋」のシステムは知って来るだろうが、男性が旅の情報をエサに声をかけてくるなんて考えも付かないし、ましてや翌日同じ方向だからご一緒に、なんて頭の片隅にさえない。
この考えは今の時代男も同じだと思う。
だって相部屋でなくても「一つ屋根の下」に見ず知らずの人たちと泊まるホテルや旅館で異性を目的に声をかけたり、「え~?奇遇だね。明日同じところに行くの?だったら一緒に行こうよ!」なんていう人いない。
もしいたら極度に警戒されるか通報されてしまう。
つまりもしあなたが異性との出会いや結婚相手を探しているのであればYHとの出会いは期待せず最初から除外しなさい、ということです。
ちなみに私は妻子持ちですが、妻とはYHで知り合ってはいません。
YHは多くの素晴らしい経験や、時として一生の友を与えてくれる場所です。
でも異性との出会いは期待する場所ではありません。万が一意気投合できる異性と知り合えたら素敵だな、くらいに思っていれば丁度良いのです。
以前、あるYHでヘルパーがミーティングで面白いことを語っていました。
(愛とロマンの・・・というのは北海道を始め各地で行われている軽登山や名勝をハイキングで回るYH主催のツアーのことです。)
【愛とロマンの8時間コースに参加する人は、足場も悪いのでお互いに助け合って歩きましょう。男性はか弱い女性の手を握ってあげれば本当に「愛とロマン」が生まれるかもしれませんよ! YHに戻ってお互い連絡先を交換し合って、そして帰宅後に「連絡が来ない・・・」という「愛とロマン」ならぬ破滅へのコースを歩むのです。】
と。
皆大笑いでしたが、きっと聞いていた人の中には青くなっていた人もいたことでしょう。
(私ではありませんよ。)
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自分らは裏硫黄山温泉露天風呂に、旅のおねぃちゃんと
混浴で温泉入ったけど、そのあと別になんもなかったのっす。
お互い「徘徊」の途中で相手に行先を縛られるよりも、
自由気ままにウロウロするほうが楽なのっす。
・・・群れるのはどうも苦手っすゆたか
青森県のYHでお金を借りたときに住所を聞いて、現金書留で返したことはあります。
・・・だってタダでいいからもう一泊しようよって誘うんだもんはじめっち
トラブルはなかったけど、道北のYHで、はじめっちとゆたかのイビキがうるさくて、
同室のホステラーに押し入れの中にあるありったけの
敷・掛布団をかけられたことがあるって聞きました。
その方は次の日、スキーのバッチテストがあったそうで、
朝食も取らず出て行かれたそうです。
2匹は「雪崩で遭難した夢」を見たとか見ないとか…
イビキをかいたこっちが悪いとは思いますが、
「大事」の時はやっぱりホテルに泊まるのがいいと学んだって言ってます。
・・・2匹とも反省してねぇなみならいかのん
※最近泊まった関東のYGHでは「耳栓」「アイマスク」を売ってました。
あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
いろんなイベントや企画、リピーターで仲良くなるのはいいけんど、
仲良くなりすぎると、「悪い常連」に変質したり、
周りが見えなくなって、新しい出会いを受け入れられなくなる可能性がありそうなんで、
「一夜だけの友人」くらいが自分らにはちょうどいいんでないかと思うのだ。
・・・ヘルパーさんよかペアさんと仲良くなったほうがいいと思うのだつるみん
はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん 様
コメントありがとうございます。
やはり全盛期のYHをご存知の皆様は経験はもちろん、要領をよくおわかりになっていらっしゃるようですね。
>自由気ままにウロウロするほうが楽・・・
→激しく同意します。というか昔のYH好きは皆このような考えだったとおもうのですが、一部勘違いしてナンパ目的というのがいたということでしょう。
>タダでいいからもう一泊しよう・・・
→タダとは言われなかったけど、同室者とどちらかともなく「もう1泊しようよ!」になったことは何度もありました。
>ヘルパーさんよかペアさんと仲良くなったほうがいい・・・
→そう思います。もちろん人やその時の雰囲気もありますが、ヘルパーの中にはナンパ目的のホステラーと同様のたちの悪い連中もいましたからね。
ご訪問ありがとうございました。
またお出で下さいね。
桃岩荘には1994、5年と連続して夏に行きました。8時間コースを歩き、東京や京都の桃岩大会にも行きました。
1995年に8時間コースを歩き、島を抜けて稚内市内のお天気屋と言う喫茶店で急行サロベツ号の出発時刻まで2時間近く8時間コースを歩き島抜けをしたメンバーでダベっていました。
やがて空港に行くもの、バイクや車で出るもの、サロベツ号に乗るもの(私はこれ)と三々五々散っていきました。
サロベツ号には乗ったのは私を入れて4人、うち、一人は阪神淡路大震災で自宅が壊滅したという話をきき、関東人の私にとって震災がなぜか近くに感じられたのが印象的でした。
3人のうち、1人とはその後長野や台湾にも一緒に行き、FACEBOOKでも繋がりました。10年近く会っていませんし、一時期中断していた時期がありますが今年も年賀状が来ました。
これはもう奇跡かも知れません。
所で、お天気屋はその後火災で全焼したと聞きましたが、アルバムと落書帳を最初に持ち出し無事でした。2017年に22年前の落書帳が出てきた時は感激でした。
そう94年、95年に桃岩荘8時間コースを歩いた人とは再会したいと思いました。少なくともみんな元気でいてくれたらと思っています。
広島育ちです様
こんにちは。コメントありがとうございます。
8時間コースというのは桃岩に限らず道内あちこちのYHで実地されていますね。多分道外もあることでしょう。
「愛とロマンの8時間コース」とか言っていましたね。
他にもコースによっては6時間、4時間とかがある場所もありました。
今は日帰り温泉だけになってしまいましたが、雌阿寒岳の麓の野中温泉YHでも雌阿寒岳と阿寒富士を巡る8時間コースとかありました。
出発前の説明会でヘルパーが、「このようなコースを8時間もいっしょに辿れば愛とロマンが生まれる可能性が高いのです。そして帰宅後何事も無かったように破滅の現実が待っているのです。」と言っていたのを思い出します。
>稚内のお天気屋・・・
→稚内は私もかなりの回数行っていてあちこちのYHも泊まっていますが、ここは存じ上げておりませんでした。ホステラーのたまり場だったのでしょうか?
名物YHがある街だとたいていホステラーのたまり場になる喫茶店や居酒屋がありますね。
そして時には近隣にYHは無いけど交通の要所の街でそういうお店があるところもあります。
北海道内で有名なところとしては以前網走駅近くにあった喫茶店の「あんじろ」がありました。
ここに行くと「あれ!昨日あそこのYHにいたよね!」という事がよくありました。
「あんじろ」は今は市内で移転して営業しているようです。本サイト内にもカテゴリー「懐かしい店」に「あんじろ」の記事がありますので、よかったらのぞいてみてください。
懐古趣味さま。
昨日、紋別流氷の宿YHの想い出をコメントしました。
偶々此方のコーナーに目が止まりましたので覗いてみました。すると、YHで出逢ってゴールインに至るカップルは隕石に当たる位の確率では、と書かれていましたが、そうしますと僕の親友はその隕石に当たった事になります。
親友N君は大学2年生修了後の春休みに当時は結構流行ったいました自転車で九州一周の旅に出掛けました。宮城県の仙台を電車で出発して、大阪の友人から自転車を借りて、やはり電車で門司まで行ったそうです。
その後の経緯は兎も角、彼は福岡→佐賀→長崎→熊本→鹿児島→宮崎と廻って最後の大分県に入り、当時の国東国見YHに1泊しました。
その日の晩に、ロビーでほんのちょっとだけ会話した女性と、何と丸3年後にゴールインし、その後4人のお子さんに恵まれ、今でも2人ラブラブで暮らしています。
僕は結婚式では司会をさせられました。N君の結婚までの幾多のハードルや一途な想いを思い出し、お2人がキャンドルサービスで入場して来た時は、感極まって男泣きしてしまいました。
因みに、国見YHさんは今でも営業されているのでしょうか?
僕自身、礼文島の当時の礼文YHで出逢った他県在住の女性とお付き合いさせて戴いた事があります。
時代が少し異なるかもですが、僕はYHで出逢ってお付き合いする様になったカップルはそれなりにいらっしゃったのではないかと思っています。
何れにしましても、遠い過去のお話しになりました…。
なお、ホステラーの溜まり場みたいなお店で、昭和50年代の旭川YHでは市内の男爵と云う喫茶店がそうでした。
コーヒー一杯で粘っていると、昆布茶が出て来て、それがそろそろ席を立ってください、と云うメッセージだと聴いていて、僕はそれでお暇しましたが、何とその昆布茶のお代わりを貰った伝説のホステラーが居たと云う話しは聞いた事ごあります。
こんな懐かしい場をご提供戴いてありがとうございました。
お父さん様
コメントありがとうございます。
紋別で書いていただきましたね。
少なくても私の知る限りYHで知り合って結婚した人はごくごく少数でした。(ゼロではありませんでしたが)
私も含めて圧倒的多数の人が家が近隣、もしくは同じ市内とかであっても「写真を送って終わり」が殆どだったと思います。
それ以降続けたくても特に女性は「YHで知り合っただけの人」という感覚が強かったと思うのです。
もちろん男性によほどのインパクトが強ければ別ですが。
だから私は「YHで知り合って結婚なんてほぼありえない」と思っていたのですが実は私は当事者になってしまったのです。
本記事中で「YHで知り合った人の結婚式に呼ばれた」と書きましたがその結婚式で知り合ったのが妻なのです。私は横浜在住で彼女は道産子で札幌在住なので私がしょっちゅう飛行機で会いに行っていました。
幸い子供にも恵まれて、横浜で長い事生活してから札幌に住むことも出来ました。
でも私のような経験をできる人は極めて稀です。
さて旭川YHも数回泊まっています。
伊の沢スキー場のところですね。YH跡は今は社会福祉施設になっています。
スキー場と反対側はびっしりの住宅街で「昔はこんなに家があったっけ?」と思うほどです。
男爵というお店は名前だけは聞いたことがありますが、行っていません。「昆布茶・・・」ですか?
笑えないですね。これを事前に聞いていたら私は多分この店には行っていないです。
それと北海道には特定のYHのホステラーが来店するわけではないけれどあちこちのホステラーのたまり場になっていた、というお店が網走にあります。
「あんじろ」という喫茶店で網走駅からも徒歩5分くらいでした。以下に「あんじろ」の記事もありますので宜しければ。
「あんじろ」の記事。
当サイトには北海道、YHはもちろん時代時代の事を記した記事が満載ですのでぜひ他の記事もご覧下さいね。
こちらこそご訪問ありがとうございました。
旅の途中出会った人には、よくノートに一筆書いて頂きました。紙の厚さでは8センチくらいになったでしょう。
当時は携帯電話も無く、黒電話と手紙しか連絡方法ありませんでしたから。老若男女いろんな人にコメントなど書いて頂き、今では思い出の宝物です。見直すと、今どこでどうしているんだろうと想像してしまいます。
旅先での出会い? 恋愛まで至るケースは多かったと思います。自分も周りも。そのまま結婚したカップルもかなり居ますね。私も今の嫁とは旅の途中、小笠原で知り合ったのですよ。
年賀状の半分は、昔、北海道や沖縄で出会った人達です。一番古いのは39年前に桃岩荘で出会った人かな。
みなさんもう孫までいる世代です笑
ワコール様
そのノートは素晴らしい思い出、そして財産だと思います。
そのようなものをお持ちという事がうらやましいほどです。
今の年齢で(さすがにもうYHは泊まらないけど)、同じホテルなどに泊まった人に「何か書いて!」なんて言ったら気持ち悪がれますよね。
恋愛・・・、私も今の妻は旅先でしたし横浜と札幌の長距離でした。でも私の周りはモテナイ人間ばかりなのか旅先関連での結婚はあまりいませんでした。
(私がモテルという意味ではないですよ)
小笠原は父島にいとこがいます。横浜の人ですが父島を旅している時に現地の漁師の網に引っかかって嫁いだのです。
私は今だに小笠原に行ったことがないので一度は、と思っています。
孫までいる、そうかもしれませんね。私ももう年はとりたくないですよ。
90年代後半あたりから次々にユースが閉鎖されたり廃業で、すっかり寂しくなりましたね。ユースホステル全盛期って70~80年代でしょうかね。
いまは個人主義というか、スマホがお友達状態の若者も多いですから、以前のようにアナログな出会いは期待できないかもしれませんね。
21世紀になって、極端に人と人の垣根が高くなったように感じるのは私だけでしょうか?
便利になったぶん、素っ気ないというか、人間関係が淡白になりましたよね。
ユースホステル。いまとなっては古き良き時代の名残ですね。
BLUE ROSEさま
こんにちは。コメントありがとうございます。
今はユースホステラーなんて絶滅危惧種になってしまいました。
ユース自体も昔のような形態のところは多分全国で数える程しかないでしょう。
どこもプライベート優先の民宿風、ビジネスホテル風になりました。
北海道に関して言えば昔のような形態を保っているのは礼文島の桃岩荘ユースホステルだけでは、と思います。
(今の時代まで残ってるのが不思議ですが)
これらは仕方ないことですし、おじさんになった私も昔の形態のユースに今泊まりたいとは思わなくなりました。
寂しいですが時の流れですね。