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旭川駅は以前は”あさひがわ”だった!

駅名と街の名前の読み方が違っていた旭川

北海道第2の都市の旭川の読み方は市の名前、駅名ともに「あさひかわ」と読みますが、実は駅名は1988年3月13日までは「あさひがわ」だったんです。

( “か”が濁音で”が”になる。 )

でも1905年3月31日までは「あさひかわ」だったそうです。

私は「あさひがわ」と言っていた時をはっきり覚えています。
駅名標も「あさひがわ」でした。

北海道通いをよくしていた友人たちは当時旭川のことを「ガワ」と呼んでいました。

国鉄時代はずっと”あさひがわ”を無理やり通していた!

はっきりとした記録を見つけられないのですが、街の名前は元は「あさひがわ」で鉄道側が街の名前に合わせて「あさひがわ」になり、その後街の方が「濁音はよくない」「あさひかわ」にしたのだけれど鉄道側はそのままとなったと何かで読んだことがあります。

駅名が「あさひかわ」になったのは国鉄からJRになったときなので、これも民営化ということなのでしょうかね?

(実際は「あさひかわ」に戻ったのはJRになった翌年です。)

旭川市のご年配の方は今でも「あさひがわ」という人が多いそうです。

私は「あさひがわ」の時代から数え切れないほど同駅を訪れているのですが、手元の写真を探しても「あさひがわ」の表記のものが見つかりません。

また旭川駅は2011年11月23日に4代目となる現在の高架の駅に変わりました。

旭川駅の写真を以下に数枚載せておきます。

(クリックで拡大します。ブラウザの「戻る」ボタンで記事にお戻り下さい。)

↓2008年新駅建設中  ↓2010年旧駅舎

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↓旧駅舎(あさひかわ)   ↓旧改札口付近

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↓2013年12月新駅舎   ↓2013年12月新駅舎

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↓2013年新駅ホーム    ↓新駅の改札口

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24 Responses to “旭川駅は以前は”あさひがわ”だった!”

  1. 通行人 より:

    こんにちは。古い旭川駅を書いていただきありがとうございました。地下にあった蜂屋のラーメンに感動しました。駅の中の郵便局は貯金すると通帳に汽車の絵の描いたスタンプを押してくれました。また、富良野線のホームだけやたら遠かったのを思い出しました。駅舎前のホームから直接札幌行きの特急に乗れたことが懐かしいです。

    • kaikoshumi より:

      通行人さま

      こんにちは、コメントありがとうございます。
      旧旭川駅は味がありましたね。大きな駅舎でしたが広い待合室もあり旅情がありました。

      新駅舎も木をふんだんに使って素晴らしいと思います。
      私は新駅舎も好きです。

      「蜂屋のラーメン」私も食べました。懐かしいです。
      旭川駅、帯広駅にあった地下街は田舎臭くて好きでした。
      でも思い出すと東京駅八重洲地下街もリニューアルする前は田舎臭さでは旭川なんかとあまり変わらなったと思います。

      富良野線ホーム遠かったですね。ギリギリだと全力疾走でないと間に合わないです。
      あれは反則というほど遠かったですね。

      またお出で下さいませ。
      ご訪問ありがとうございました。

      • わたさん より:

        昔の旭川駅も帯広駅も味わいある駅でどちらも好きでしたが、富良野線の乗り場だけがどうしてあんなに除け者扱いなのか?が納得いきませんでした。

        富良野線の乗客より宗谷本線や石北本線の貨物を優先して優等列車の走らない富良野線は仲間外れで端っこに追いやられてました。

        やたらと長い地下通路の為に間に合うべき列車に乗り遅れたり、改札で止められて1列車遅らせられたり…
        不公平かつ不便な思いをさせられ続けてきました。

        それがなければ昔の旭川駅にも何の不満もなかったんですけどね

        • kaikoshumi より:

          わたさん様
          コメントありがとうございます。
          確かに富良野線のホームは地の果てという感じで遠かったですね。

          函館本線と富良野線の間に多くの副本線があったからあの配置でしたが、富良野線を何故手前にしなかったのかが未だに不思議です。

          • わたさん より:

            富良野線の発着本数を確保するのと、貨物列車と富良野線列車との干渉を避ける意味を考えたら、あの配置は仕方ないのか?と思うところもありますが、配線図や航空写真を見ると線路の配置を少し考えれば4・5番ホームのすぐ隣に6・7番ホームを作れたんでしょうが、当時の国鉄は人より貨物が優先だったんだと思います。
            だから貨物仕分線を10本以上作って
            他路線と直接乗り入れが設定されてない富良野線の乗り場を離して除け者扱いしてたのかと思います。

          • kaikoshumi より:

            わたさん様
            コメントありがとうございます。
            おっしゃる様に国鉄時代はひどいものでした。どう考えても富良野線は函館本線の隣に出来たはずです。
            富良野線の運行本数を考えれば難しくありませんね。
            やはり乗客二の次、鉄道省の考えなんでしょうかね?

    • わたさん より:

      地平時代の旭川駅は富良野線と函館本線の接続がいいのか悪いのか?よくわからない部分ありましたね。
      到着が函館本線特急発車5分前に、発車は特急到着5分後にダイヤが組まれていた時期もありましたが、地下通路が長すぎて足に障害のある方や杖を着いた高齢者の方々にはそれでも足りなかったと思います。

      地平時代に散々不便な思いをさせ続けてきたからなのでしょうが、高架になってからはすぐ隣のホームに移動するだけ…になりかなり便利になりました。が、宗谷本線や石北本線利用者から見たらそれは地平時代が当たり前でしたので、富良野線はいかに除け者扱いされてきたのか…を改めて感じてます。

    • わたさん より:

      昔の旭川駅は富良野線利用者にとっては理不尽かつ不公平な駅でした。
      函館本線の特急は改札から1・2番ホームに移動するだけですが富良野線は現在の南口広場にあった旧6・7番ホームから1番ホームまで端から端まで移動させられていたんです。

      なんで函館本線・宗谷本線・石北本線が改札から近い1~5番ホームを利用できて富良野線だけ仲間外れにされて遠く端っこに追いやられ、そんな扱いを60年以上も受け続けなければならなかったんでしょう?

      本線からローカル線に格下げされてたから?優等列車が走らないから?大型機関車が乗り入れ出来ないから?だから富良野線は仲間外れの除け者にされたのですかね?

      乗り場が移設された当初は改札から4・5番ホームまでは跨線橋を渡り、そこから現在の高架駅舎分の地下通路を潜り6・7番ホームまで移動させられていたそうです。

      そんな長くて面倒臭い移動方法で利用者からクレームは出なかったのでしょうか?

      当時は「親方日の丸」の国鉄❗️利用者の声なんかお構い無し、「富良野線なんて単なる田舎のローカル線、他の3路線と同じ扱いなんて生意気だ‼️川のそばの端っこで充分❗️同じ改札から利用出来るだけでもありがたいと感謝して欲しいくらいだ‼️」なんて考えてたんでしょうね?

      明らかに富良野線利用者の声なんか聞き入れてた乗り場配置ではないですね。

  2. cha より:

    到着した時の「あさし~がわ~」というのんびりした構内アナウンスがのどかでいいなあと思いました。
    確かに、富良野線乗り換えは大変でしたね。
    地下にも出口があり、お土産屋さんなんでしょうけど、普通に洋服が売っていたりしていました。
    旭川は「あさひがわ」でしたが、隣の旭川四条駅は当時から「あさひかわ四条」と言っていたと思います。
    旭川駅は昔の駅の方が私は好きだなあ~と思いますが、富良野線利用の人達は良かったですね。

    • kaikoshumi より:

      cha様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      「あさひかわ四条」の方は気が付きませんでした。
      「がわ」って当時から私は違和感がありました。メディアなどでは「あさひかわ」と
      言っていましたからね。
      でも今思うと風情があったのかな?と。

      旭川駅は今や超近代的な建物にかわり、駅前にはイオンも出来て驚くほど広い駅前広場など
      発展にはびっくりです。でも反面西武旭川の撤退、小規模の店の廃業が続きそういう面では心配です。

    • わたさん より:

      「富良野線の乗客は函館線や宗谷線の貨物より下の扱いなのか?」「富良野線だけは優等列車走ってないただのローカル線だから仲間外れにされて貨物線の外に追いやられてた?」って感じを常々抱いてました。

      あの通路の長さの為に間に合うべき列車に間に合わなかったり、改札で止められて1列車遅れて乗ったり…というのも何度も味わいました。

      その度に函館線・宗谷線・石北線の乗客が羨ましく思いました。

    • わたさん より:

      旭川駅が高架になり富良野線もようやく他の路線と対等な扱いになれたのではないでしょうか?
      国鉄時代の富良野線の扱いがいかに不便な思いをさせてきたか…、当時の旭川駅での乗り場の配置に出てますね。
      富良野線だけ本線でないから大型機関車は乗り入れ出来ない、優等列車は走らない、石炭や貨物輸送の重要が低い。そんな理由があったんだと思います。戦前戦後の鉄道は人員輸送より石炭や貨物の輸送が優先だったんでしょうから。
      でなければあんな不便な乗り場配置にはしないと思います。

    • わたさん より:

      富良野線も乗り場が遠く端っこに追いやられ、仲間外れにされ、除け者扱いを受け続けて約60年もの歳月を経過してようやく、宗谷本線や石北本線と同じ条件で利用できるようになりました。

      その間、貨物仕分線がずっとあったのか?というと、そうではなく半分以上の約35年もの間、線路が撤去され「空地」の状態でした。

      その「空地」に現在の高架駅舎が建ってるわけですが、旧駅舎に比べ約70メートル奥に移動したので、使い難い…という声もいくらか出たんでしょうが、富良野線利用者はそれよりも不便な思いをさせられ続けてきたわけです。

      高架駅舎の地下は旧4・5番ホームから旧6・7番ホームへの地下通路です。そこから更に旧2・3番ホームを経て旧1番ホームと改札口になるわけです。

      富良野線の乗り場が離された当時は改札から4・5番ホームまで跨線橋を渡り、そこから長い地下通路に移り富良野線乗り場へ移動する…というかなり面倒な移動方法だったそうです。現代でこんなことやってたらクレームものでしょう。

      だが、当時は「親方日の丸」だとふんぞり返ってる国鉄です。

      本線から格下げされた路線・優等列車が走らない路線・大型機関車が乗り入れ出来ない路線の富良野線は他の路線より格下で除け者扱いだったんでしょう、だからあんな遠く端っこに追いやったんでしょう。
      「富良野線なんか他の路線と隣合わせにするなんて図々しい、端っこに追いやってしまえ‼️同じ改札から利用出来るだけでも有難いと感謝して欲しいくらいだ‼️」なんて感じで配置したんでしょうね。

      それでも客貨分離・無煙化は他の路線より早く行われ、合理化がすすめられてました。

      国鉄からJRに変わってからはキハ54やキハ150の早期からの積極的導入でスピードアップされたり、函館本線の特急との接続をスムーズに出来るようなダイヤ編成を組んだり…とサービス向上がはかられました。

      それでもあの乗り場の不便さは昔と変わりませんでした。

      旭川駅が高架化され、永年の不公平な扱いがようやく公平になりました。

      それまで約60年、あまりにも長過ぎたと思います。

  3. 1949生まれ より:

    旭川生まれの旭川育ち
    幼い頃 毎年のように 留萌へ海水浴に行っていた いつから
    か あさひかわ駅になっていた
    あさひがわ それも『が』は鼻にカカル発音だったような気がする 中共が中国に 中国だった中華民国が台湾と 言うようになったのより 生活に密着してるはずなのに 思い出させてくれてありがとう 懐かしい!

    • kaikoshumi より:

      1949生まれ様
      コメントありがとうございます。
      確かに鼻にかかる発音、と記憶します。
      そして今の旭川駅は本当に素晴らしい駅になりましたね。
      何度行ってもそう思いました。
      また当サイトへお越しくださいね。

  4. ざっきー より:

    TBSドラマ
    西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ
    「ミステリートレイン日本一周旅号殺人事件」で
    「あさひがわ」駅のホームの看板が出てきました
    オホーツク3号が旭川駅に到着するシーンです

    この十津川警部シリーズは渡瀬恒彦さんではなく
    若林豪さん…いわゆる大映テレビ版です
    よくCSで放送しています
    https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0478/

    • kaikoshumi より:

      ざっきー様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      そうですか、それは大変に貴重なシーンですね。
      でも地元の方及び「分かる人しか分からない」レアなものですね。
      地元の方でもお若い方は分からないでしょうか?
      また当サイトへお越しくださいね。

  5. イクゾウ より:

    長野を離れ札幌で学生生活を5年過ごしました。旭川にはデートで「氷祭り」を見に行きました。駅のホームにはたしかに「あさひがわ」と表記されていましたね。昭和50年ころの話です。「長野」「札幌」「旭川」・・次のオリンピックは旭川でやれるといいですね!

    • kaikoshumi より:

      イクゾウ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      今のお若い方は「あさひがわ」だったのを知らない人が多いでしょうね。
      今や旭川は駅も町も大変立派な大きな町になりました。大都会と言って過言ではないと思います。
      でもすぐ隣には大自然という北海道らしい素敵な街ですね。
      当サイトへもまたお越しくださいね。

  6. gohoちゃん より:

    「あさひかわ」の間違いかなと思って、私も調べましたら、国鉄の列車サボ、案内板には確かに「あさひがわ」

    富良野一旭川
    FURANO – ASAHIGAWA

    美瑛一旭川
    BIE I – ASAHIGAWA

    となっていました。
    JRになってから「あさひかわ」となったのですね。

    • kaikoshumi より:

      gohoちゃん様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      本来の地名は「あさひがわ」で「が」なのに音として良くないからと「か」に市役所はしたのに当時の国鉄は頭が固かったんですね。
      何が何でも「が」でした。車内放送でも徹底していましたから。
      しかし「か」の方が全然良いですね。自然体に聞こえます。

  7. ウラッキー より:

    先日放送されたBSフジ「鉄道伝説」という番組で、ナレーターが「あさひかわ」「あさひがわ」を使い分けていたのが気になり、こちらに辿り着きました。歴史の中で地名の読み方が変わる例は数多くあるでしょうが、旭川くらいの大都市でも変わるんですね。勉強になります。

    • kaikoshumi より:

      ウラッキー様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      そうなんですよ、昔は「がわ」で今は「かわ」なんです。
      初めて旭川を訪れた時に「あさひがわ」だったのでびっくりしました。
      訪問前はずっと「かわ」だと思っていました。
      難しい文字ではないけどこういう読み方の変革は全国にあるでしょうね。
      またご訪問くださいませ。

  8. わたさん より:

    僕が中学の時に国鉄からJRに、高校の時に「あさひがわ」から「あさひかわ」に変更になりました。

    富良野線沿線住民なので、仲間外れのような扱いで、いつも遠く離された6・7番ホームまでテクテクと歩き、ときには猛ダッシュで走ってました。

    富良野線から函館線特急に乗り換えの際はその都度7番ホームから1番ホームへと端から端まで移動してました。

    15年程前に現在の高架駅に替わり、富良野線から函館線への乗り換えが端から端までからすぐ隣の乗り場となりかなり便利になりました。

    昔の5番ホームと6番ホームとの間に貨物仕分け線があったのも覚えてますが、当時は「富良野線の乗客は函館線・宗谷線・石北線の貨物より下の扱いなのか?貨物の方が富良野線より優先順位上なのか?だか富良野線だけ端っこに追いやられてるのか?」と常々感じてました。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
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