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OKストアー日吉店(1980年前後)

横浜 日吉の移転前のOKストアー日吉店

横浜市の南日吉にある「OKストアー日吉店」は以前は現在と違う場所にありました。

移転日は1983年8月25日ですが、本記事で書くのはそれ以前の場所にあった「OKストアー日吉店」のことです。

旧店舗の開店は1969年頃(昭和44年頃)と聞いています。

 

新旧店舗の場所は以下となります。(Google map)

旧店舗があった場所

現在の店舗の場所

日吉在住の方でもある程度の年齢の方でないと旧店舗は全く違う場所であったという事はご存じないと思います。

事実だいぶ離れていますね。

現在のOKストアーは駐車場もありますが、以前のOKストアーは駐車場は皆無でした。

また現在は「ディスカウントスーパーマーケット」という形態で安さをウリにしていますが、以前はごく普通のスーパーでした。

 

関連記事: 横浜・南日吉の思い出の商店

 

旧店舗に関しては私はかなりの情報量を持っていますので、「当たり障り」のない範囲で書きたいと思います。

「かなりの情報量」の理由ですが私は社員ではありませんでしたがアルバイトをしていたからです。

 

本記事でも個人情報出血大サービスをしましょう。

私が同店でアルバイトをしていたのは概ね以下の期間でした。

・1977年6月~12月ころ

・1980年3月~1982年2月ころ

どうですか?この時期にOKストアー日吉店でアルバイトされていた方、正社員だった方、本記事をお読みになっていらっしゃる方はいるでしょうか?

もしいらっしゃったら本サイト上部の「お問い合わせ」からご一報下さい。懐かしい話が出来るかもしれません。

(ただし、本記事最下段の「コメント」欄には書き込まないで下さいね。承認制ではありますが承認すると個人情報(メアド含め)が全て一般公開されてしまいますから。)

1980年ごろのOKストアー日吉店の店内

さすがに写真は持っていませんが、私の記憶の範囲で作った店内図をアップします。

同店は地下1階、地上2階の構造で2階は事務所、1階から入り買い物をしながら地下に降りてレジを通りまた1階に戻るという当時でもかなり変わった構造の建物でした。

1階→地下へはスロープ、地下レジ→1階出口へは階段で、エレベータはもちろんエスカレータもありませんでした。

ですからご年配の方がたくさん買い物をされるとかなり大変だったと思います。

荷物用のエレベータさえ無かったんです。

なお1階→地下がスロープなのはお客様のために、ではなくて荷物を乗せた台車を上げ下げするためでした。

しかも狭い土地に無理に作ったようなスロープなので幅も狭く勾配も急で安全面でも問題がありました。

 

作成した図は「1階売り場」、「1階バックヤード」、「地下売り場」、「地下バックヤード」、「2階事務所」の5枚となります。

記憶が大分曖昧の部分も多いですので間違いがありましてもご容赦下さい。

ご指摘頂ければ可能な範囲で修正します。

 

以下クリックで拡大します。

↓1階売り場図

↓1階バックヤード図

↓地下売り場図

↓地下バックヤード図

↓2階事務所

以上の図で懐かしんで頂いた方もいらっしゃるのではと思います。




当時のOKストアー日吉店の事を過剰書きに書いてみたいと思います。


このお店の最大の難点は先に述べたように「急なスロープで降りて会計後に階段を登る。」ということ。

ご年配の方でなくてもたくさん買い物をすると本当に大変。当時からショッピングカートを使う人がいたが登りの階段は難儀する。

当時私は感じたことは無かったが近所にスーパーが無い場所(個人商店はたくさんあったが)なのに駐車場が皆無なのは集客にも影響が出ていたと思う。

荷物の地下売り場への搬入も台車に乗せて狭くて急なスロープを使うので危険であり、お客様に多大な迷惑をかけていた。

毎週ではないが日曜日に店頭の特売などをする時には入口のドア横付近でやっていた。売っていたものは菓子や乾物、乳製品も売ることがあった。

冬には灯油も売っていた。ガソリンスタンドにあったような機械でお客様が持参するポリタンクに入れる。バイトの私も何度も販売した。

1980年~1981年頃に精肉売り場のショーケースを刷新した。最初は精肉加工場がお客様から見えて係員の顔を見ながら注文をしたり出来たがショーケースを新しくしてから加工場が見えなくなってしまった。お客様の顔を見れないし販売状況も一度バックヤードから回って売り場に出ないと在庫が分からず、また加工場が閉塞的になりやや暗くなってしまったのが残念だと思う。

ディリー商品(例:牛乳、ヨーグルトなど)の中で一番売れて補充を何回もしたのは1Lの牛乳だった。目玉商品でもあるのでしょっちゅう特売価格で売っていたが時として面白いくらいたくさん売れた。バイトの目線から見ても「これほど売れると面白い」と思うほどだった。

食品売り場全般を担当したが、一部のバイトは精肉専任、鮮魚専任などでわりと専門性を持たせていた。

よく精肉売り場の陳列や片づけを手伝った。ミートスライサーの洗浄はほぼ毎日手伝っていた。特に前述したようにショーケースを刷新した時にミートスライサーも新しい機械になった。毎日ピカピカのステンレスの部品をきれいに洗い上げた。肉の油がこびりついていて落とすのに苦労した。機械の分解と組立は売り場主任が全部やってくれて、回転刃の洗浄は「危険だから」とバイトの私にはやらせず主任自らやっていた。

精肉売り場のパック詰めもよく手伝った。プラスティックのトレーに肉を計量して載せてそれをサランラップで包んで値段のシールを貼る作業。サランラップで包むのは最初大変に難しくて失敗ばかりしていた。これは専用の機械を使うのだが自動ではなくて、肉のトレーをほのかに加熱された面の上に置いてその下の部分からサランラップを手動で引き出してくるっとトレーを包み込むようにしてパックする。これがなかなか難しかったが別のバイトの人は驚くほどの早さでパックしていて私も何度も練習した。恐らく今でも出来るほど体に染みついている。でも今はこんな古い機械を使わないのかな?

営業時間は朝10時から18時半だったと記憶している。日曜日などは朝から出勤したが、バイトや社員は朝9時に出勤して開店準備を行う。1時間あるが日曜日は特売品や店頭売りがあるので結構忙しい。特にパンを並べるのに手間取った。閉店後は特段に作業もないので18時45分から19時には退社していた。

閉店後バイト仲間や比較的若い仲良くなった売り場主任の人たちと近所の喫茶店でたむろしたり、時には店長も含めて外に飲みに連れて行ってもらった。

営業時間中のBGMはなぜか「ハワイアン」が多かった。閉店時は「蛍の光」。

トイレは2階の従業員が使う男女兼用の1か所のみだった。(個室は数室あったが)

今では考えられないが当時でも考えられない、と思った。トイレに行くのに店員に断る必要はないのだが暗くて狭い階段を登り、しかもトイレも暗かったのでバイトから見てもお客様に対してちょっと申し訳なかった。

記憶では当初缶詰は1階だったが、ある日店長が「地下に移せ」というのでバイト数人で閉店後に台車に莫大な量の缶詰を乗せて例のきついスロープを使って売り場を移動させた。

事務所はこじんまりしており、店長室とかはない。むしろ好感が持てた。

2階の事務所の奥、トイレの裏側には広大な空き地のようなスペースがあり、端の方に使われなくなったものが多少置いてあるだけでちょっとした運動やテニスなどが出来るのでは?という場所だった。この真下は1階の売り場なのでほぼこの売り場と同じ面積の「空き地」が存在していた。

普段は全く使っていなかったが事務所寄りの場所に卓球台があったので閉店後などに使っていた人もいた。

地下のレジの奥、登り階段の脇には扉が一つだけある部屋があり、その中にはテーブルや椅子などが押し込まれていた倉庫だった。普段バイトや社員もここに入る事はまずなかったが、社員の方の話によると以前はここに飲食スペースがあったそうで、その名残のテーブルと椅子だそうだ。私がOKストアー日吉店で初めてバイトをしたのが1977年6月頃からだったがその時点では既に飲食スペースとしては使っていなかった。またここに厨房があったわけでは無いので店内で買ったものをここで食べるという事だったのだろう。

売り場の整理や品出しと並んで、或いはそれ以上に気を使い大変だったのが買い物かごの移動。どういうことかというと1階から入ったお客様は地下のレジで精算するので使った買い物かごは地下のレジ脇にどんどん溜まっていく。これを時間及びお客様の入りの状況を見ながら1日に何度も何度も地下に溜まった買い物かごを階段を使ってまた1階の入り口に戻す作業をしなければならない。一回で数十個の買い物かごを高く積み上げて階段を登る。ちょっと危険だが止む負えなかった。でも幸いひっくり返したりお客様にぶつかるトラブルは皆無であった。

買い物かごは1年に1~2回閉店後に業者に出して洗浄してもらう。また破損があるかごは新品と交換する。こんなこともスーパーでバイトしなかったら分からなかった貴重な社会経験だった。

入り口付近に持ち帰り専用の寿司屋があった。日持ちしないものなので当然在庫が出ないように調整しながら作っているが、それでもどうしても売れ残りが出てしまう。特に巻物はほぼ毎日いくつかの売れ残りが出た。寿司屋の主任さんは「皆さんでどうぞ」とおすそ分けして下さった。こちらもバイトで疲れているし若いというだけで腹が減るので遠慮なく頂いた。大体店で食べて帰ったが家に持ち帰るほどの数は殆ど無かった。でもしょっちゅう良い思いをさせてもらったと思う。

巻物で売れ残るのは決まって「かっぱ巻」、「卵巻」、「沢庵巻」などで「鉄火巻」は滅多に残らなかった。

スロープを降りきったところの天井付近にスロープを監視するカメラがあった。でも店員によると「ダミーで写らない。しかし効果抜群」と言っていた。この手のカメラにダミーがあるなんて初めて知ってびっくりした。

店長しか知らないいわゆる「万引きGメン」がいると教えてもらった。どの人だとは言えないが普通の主婦にしか見えないそうだ。私は捕まえる瞬間は見ていないが「万引きGメン」に連れられて事務室に「連行」される中年の主婦を一度見たことがあった。そのGメンは当時の年齢で60歳行ったか越えたかくらいのごく普通の主婦という感じだったが、実にテキパキ/ハキハキとしていてこなれている様子だった。

当時の話だと一度万引きを捕まえると顔が他の客にも(正確に言うと他の万引き予備軍)わかってしまうので、次の日からは別の人が来るとか言っていた。

食品は賞味期限(消費も)があるので、その日付を管理するのもバイトの重要な仕事だった。日付が過ぎていないか?ギリギリのものがないかなど傷みやすい乳製品を中心に空いた時間でチェックを頻繁にしていた。大変だったが買う身、食べる身になれば絶対に手を抜けない作業だった。

社員の方では一般食品以外ではよく手伝っていたせいもあり、また大変に親切にして下さったという事もあったので精肉の主任さんには大変に可愛がってもらい色々な知識を教えて頂いた。

例えば「ひき肉は一度機械に通して作る、つまり僅かだが加熱されてしまうので傷みやすくなるから売り場に並べて売れ残ったひき肉(もちろん消費期限内)は冷蔵保存ではなくて必ず冷凍保存にしなければならない。」、「(1980年当時でも)豚と牛を混ぜたひき肉を『合い挽き』と言ってはいけない。『牛豚挽き肉』というのが正しい」などなど・・・。その後私は精肉業界には進まなかったが大変勉強になったと思う。


ざっと頭に浮かんだだけでも上記の数があります。

もちろん書き切れないほどの経験と思い出があります。

素晴らしい社会勉強をたくさんさせてもらいました。日常的に何も考えずに口にしている食品について大変多くの知識を頂きました。

それに楽しかったですね。

 

その後OKストアー日吉店は場所も変わりディスカウントスーパーと形態も変わったようですが、今でも忘れる事の出来ないOKストアー日吉店には感謝しています。

移転後のOKストアー日吉店にも買い物に行ったことがあります。あまりにも綺麗すぎてむしろ移転前のお店が懐かしいくらいでした。

 

 

ところでネットを探し回りましたがどうしても移転前の写真が見つかりません。また文面での情報も「移転前の店はうちの近所だった」程度の情報しかありません。

もし移転前の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひ当サイト上部の「お問い合わせ」からご連絡頂きたいですし、当時働いていた方(社員バイト問わず)もご連絡頂ければ嬉しく思います。

最後に1975年に撮影されたOKストアー日吉店と2016年撮影の跡地(現マンション)の航空写真を載せておきます。

(いずれもクリックで拡大します。)

 

↓1975年1月撮影の営業中のOKストアー日吉店

引用元: 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス に加筆

http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

 

↓2016年のOKストアー日吉店跡の状況

引用元: Google map

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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