Sponsored Link

1960年代の上石神井~大泉学園

上石神井から大泉学園駅は私のテリトリー

私は1960年代の一時期練馬区上石神井に住んでいました。

場所は「あたご橋」バス停から東に徒歩5分ほどのところです。

ほんの数年しか住んでいなかったのですが、幼少期の数年というのは大人になってからの10~20年に匹敵するほど強烈に心に刻まれます。

今でも恐ろしいほど細かいことまで覚えていて、ストリートビューでその場所を見たり、実際に行ったりすると記憶がさらに鮮明に蘇り、そして現在の同地域が昔とあまり変わらないことにさらに驚きます。

なお上石神井の後に1年ほど南大泉にも住んでいましたが、南大泉には本記事では触れませんのでよろしければ以下をご覧ください。

1970年頃の練馬区南/東大泉(ニコニコストアーなど)

 

↓上石神井の関連記事もどうぞ。↓

1960 ~1970年代の東京は大雪が当たり前!

練馬区石神井公園はヒーローの聖地

東京都練馬区・上北小裏にあった小泉牧場

あたご橋バス停(練馬区石神井・1960年代のようす)

練馬区石神井台の文具店・友美堂

練馬区上石神井北小学校そばにあった「よろずやストア」

練馬区石神井台にあった「しのだやストア」

練馬西部地区を自転車で爆走した幼少期

この地域に住んでいた時はどこに行くにも自転車でした。

自転車じゃないと不便とかではなくて自転車が大好きだったからです。小降りであれば雨でも普通に乗っていました。

この地域はほぼ平坦で坂はあまりありませんでしたが、短距離でも下り坂を見つけると坂に入る大分前から思い切り加速してそのまま漕がずに坂を一気に下ります。

この爽快感は幼少期で体験できることとしては最高でした。

(でも私は絶叫マシンは昔~今でも乗れないんです。理由は恐いからです。)

 

自転車で行った一番遠い場所は「あたご橋」近くの自宅を基準にして、北は大泉学園駅、南は上石神井駅、東は石神井公園駅、西はなんと保谷駅の一つ先のひばりヶ丘駅でした。

さすがにひばりヶ丘駅は遠かったですね。寄り道をしないでも片道一時間はかかりました。でも2~3度行っています。

友人や知り合い、行きたいお店があったわけでは無くて行けそうなところまで行ってみようという感じでした。

当時は車も少なく、比較的安全に走れましたが今は道の幅は昔と変わらないのに車の量だけは増えたので自転車で遠方だとちょっと恐いです。

 

学校は上石神井北小学校(上北小)でしたが、放課後や日曜日に学校近くのお店(よろずやストアーなど)に行く時も自転車でした。

幸いというか幼少期自転車で事故にあったり怪我をすることはありませんでした。まあ転んだことは皆無ではないですが擦りむいた程度の怪我しかしませんでした。

私のテリトリーそして「爆走」していた場所を大まかに表した地図を載せておきます。

(クリックで拡大します)

Google mapに加筆、切り出し



畑がとっても多かった上石神井~大泉学園

この地域はとっても畑が多かったのです。東京23区内の練馬区でです。

しかし昔を思い出したり、過去の地図を調べると練馬区でも石神井公園から東側、つまり新宿や池袋に近い都心側は畑は少なかったようです。

この傾向は今でも同じで、空中写真を見ると私が幼少の時にあった畑がそのまま残っていたりして驚きます。

もしかしたら23区内で一番畑が残っているのは今でも練馬区の西部地区なのかもしれません。

 

信じられないかもしれませんが、小学校に通う時にわざと正規の通学路を外れてキャベツ畑の真ん中を歩いたりしたこともしょっちゅうでした。

一度も農家の方に怒られたことはありません。また正規の通学路でも道の脇に小さな農家があってそこのおじさんが柿をくれたりもしました。

いくら1960年代後半といっても東京23区内ですからこの話を地方の方に話すと「時代を考えても信じられない」といいます。

高度成長期真っただ中、東京オリンピック(1964年)が終わった後ですからね。

上石神井北小学校を中心に付近の畑(緑地)の様子を見てましょう。

 

まずは1975年1月9日撮影の写真です。(クリックで拡大します)

中央やや上の学校が上石神井北小学校で、その右下(川を渡った南)が早稲田高等学院、地図の右上に石神井公園が少し写っています。

かなり空き地が多いと感じるでしょう。これらの空き地は殆どが畑なのです。

引用元: 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

 

以下↓は2015年11月29日撮影の物です(範囲等が異なるのはご容赦ください)

(クリックで拡大します)

引用元: Google Earth

 

流石に2015年だと住宅がびっしりですが、よく見ると狭くなったとはいえ畑らしき緑地が割とあちこちに残っています。

これをどうとらえるかは個人の感覚だと思いますが、実際に街を歩いてみると「え~」と思うほど残っているのです。

だから私が「1960年代とそう変わらない」というのです。

 

住宅も建て替えられて新しい家やアパートが増えましたが、でも私が幼少の頃に見た家がそのまま色あせながら残っているお宅も非常に多いのです。

場所はお教えできませんが私が当時数年間住んでいた家もそのまま残っています。もちろん他の方が住んでいますが。

 

練馬区、特に本記事で述べた西部地区は昔から広い土地をお持ちの方が多く住んでいらっしゃる地域です。

今でも庭もびっくりするくらい広くて門構えも大変に立派なお宅がたくさん残っています。

偉人の記念館もあった大泉学園

大泉学園駅のやや南側に「練馬区立牧野記念庭園」があります。

牧野富太郎博士をご存知ですか?

高知県出身で学歴は小学校中退ですが植物に興味を持ち独学で勉強をして世界的な植物学者になった人です。

小学校中退という学歴ながらなんと東京帝国大学(現、東京大学)から理学博士を受けています。

彼は晩年大泉学園駅近くに自宅をもって暮らしていたのです。その自宅跡を記念庭園にしたものです。

 

牧野富太郎博士の詳細(Wikipedia)

 

私はここにも何度も自転車で爆走して行きました。

学校でちょっとだけ習って、あとは近所に記念館があるという興味から図書室から本を借りて知識を得た程度ですが、それほどの偉人の記念館が近くにあるのはちょっと感動しました。

彼が生前使っていた家財が展示されていて「牧野」と書いたつづらが置いてあったのをはっきり覚えています。

2010年に改修して新規オープンしたそうです。

場所は駅からも近いので石神井公園などにお寄りのついでに行かれたらいかがでしょうか?

場所はこちらです。

 

 

今年幼少期を過ごした界隈を歩く機会があったのですが、「変わっていないな・・」というのが率直の感想でした。

幼少期の街が変わらないのは嬉しいですが、なんかあまりにも変わらなすぎもちょっと切なくなります。

なぜならば街の風景は変わらなくても、そこには昔の友人が昔の容姿でいるわけでは無いのですからね。会えるわけでもありませんし。

やはりこういう思い出は忘却の彼方に締まっておいた方が良いのでしょうか・・?

スポンサーリンク


4 Responses to “1960年代の上石神井~大泉学園”

  1. 仲良堂 より:

    こちらにもコメントしてしまい、失礼します
    私より8つ上の方とお見受けいたします
    大小→大中なのですが、面倒をよくみていただいた幼馴染の方が5つ上で大中なのですがそのお姉さまが6つ上で戸山中に行っておりました、また同級生の兄弟のように育った親友の兄も6つ上で戸山中で、更にバンドでお世話になった方も6つ上で戸山中ということもあり縁が深かったです。
    なぜこっちにも・・・というと
    私は当時不良やっておりまして、大中から追い出され練馬西部の中学校へ行きました。
    当時は都内で1番2番を争うダメな学校でした。
    しかしながら新宿から練馬へ引っ越していく友達はかなりの数がいて、上石神井や武蔵関はとても多かったのです。
    ノンダクレー様のブログを拝見してて年齢は違いますが、面倒を見てくれた方たちが5つ上6つ上だったのでとても懐かしく拝見させていただいており、更に練馬区の方まで書かれていたので・・・書いてしまいました。
    当時14歳の私は練馬の田舎に馴染めず毎週末地元新宿へ遊びに帰っていました。
    その際は行きはともかくとして、新宿からの帰りはいつも上石神井からバスで成増町行き・・・
    書かれている通り上石神井は当時の装いを色濃く残していますよね
    幼少のころ武蔵関に親戚がいたのでよく遊びに行きました。その頃はピンク帯の電車だったのに私が練馬へ引っ越したころは黄色帯に全部変わっていました。
    また83年当時も練馬はほとんどがキャベツ畑と造園が多かったです。
    ちなみにロボコンのロビンちゃんの家のロケ地の近所に住んでおりました。
    懐かしく長々と書いてしまい、失礼いたしました。

    • kaikoshumi より:

      仲良堂さま

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      いくらでもあちこちにコメントをお書きくださいませ(笑)

      皆様のご訪問とコメントが私の励みになるからです。

      仲良堂様は新宿→練馬という方向とのことですが私はその逆です。
      小5の1学期まで上石神井北小学校で、2学期から卒業が新宿の戸山小学校です。

      練馬は今年の4月に所用で行きましたが畑多いですね~

      あと私は新宿に引っ越して仲良堂様と反対の印象を持ちました。

      練馬西部は当時も今でも(お住みの方には恐縮です)田舎ですが、私は田舎の自覚はなかったんです。
      幼少の時から親とデパートと言えば新宿でしたから。

      でも新宿に住んで思ったのが同級生の家とかがすごい人が多かったんです。

      例えば10階建てのオフィスビルの上の方に住んでいたり、家が喫茶店、キャバレーみたいなお店の2階の従業員の家族部屋に母親と二人暮らしとか・・・。

      かなりビックリしました。
      でも子供同士なのでとても仲良くしてくれていまだに付き合いのある友人もいます。

      練馬、新宿いずれも懐かしい思い出がいっぱいです。
      またお越しくださいませ。
      ご訪問感謝申し上げます。

  2. 仲良堂 より:

    お生まれが日赤病院ですか・・・
    私は大久保病院でしたが妹が日赤病院で
    生まれる前後に自転車で通ったのを覚えています。
    たしか明治通り沿いでしたよね
    幼少のころから区役所通りを通って伊勢丹とか三越に買い物に連れていかれました、新宿バッティングセンターの前に「追分だんご」って団子屋さんがありました。
    そのころですね交通公園に50円でゴーカートに乗りに行ってた時代ですね、駄菓子屋ではミリンダが売られていて・・・
    新宿はとても多彩な同級生が出来ますよね
    自分なんかだと山野の御曹司が同じクラスだったり、戸山の友達ですとヨネックスの会長の孫とか、思い出横丁の焼き豚屋の息子とか・・・
    他のエリアでは考えられないラブホテルの子供たちもかなりいましたね
    みんな今だにFBとかで繋がって交流を保っていますよ
    今と違って当時の新宿って国鉄に勤める家の子供だとか電電公社だとか公団に住む子供たち多かったですよね
    今はかなり変わってしまっています

    練馬の方はというといまだに実家があり、
    私は大泉学園高校(既に廃校)を出たものですからあのあたりには行きますが、石神井公園、大泉学園駅の変わりようはびっくりしました。

    長くなってしまいましたがこれからも拝見させていただきます。
    当時の大久保通りももっと見たいです
    ロッテリアは毎週日曜日の朝に通ってました。
    (当時朝から営業してるのはロッテリアくらいしか)

    そういえば面白いことにいまだに付き合いがあるのは新宿の友達だけですね・・・

    • kaikoshumi より:

      仲良堂様
      コメントありがとうございます。
      うわぁ~!と叫びたくなるほど懐かしいお話を聞かせて頂きありがとうございます。

      大久保病院はあの付近では有名でしたね。
      私は町医者以外で病院となると「社会保険中央総合病院」に行きました。
      今は山手線の外側に引っ越してしまいました。

      追分だんご、超はっきり覚えています!
      忘れていましたが仲良堂様のコメントで思い出しました。
      花園神社のお祭りにも行きましたし、高田馬場に近い諏訪神社のお祭りも行きました。

      諏訪神社はストビューで見ると今も変わりませんが、神社前の道路が拡張されてすごく広くなりましたね。
      あんな狭い道をよく広げられたと驚きです!

      交通公園のゴーカートはとても乗り出がありましたし、ミリンダも懐かしいし、チェリオもよく飲みました。
      口の中が紫とはすごい色になりました。

      戸山の友人も今は疎遠でもいろんな人がいましたね。
      ここでは公に公開されるので書きませんが、同じクラスで芸能人(1人は超有名)になったり、大手キー局のアナウンサーになった人もいます。

      国鉄アパートにもたくさん友人がいました。

      「お騒がせ」の田代まさしさんや丹波哲郎さんは戸山小の先輩です。

      私の幼少期の練馬はサラリーマン家庭ばかりでしたが、当時は貧富の差が大きかったと思います。

      一軒家、都営アパート、長屋のようなボロボロのアパートなど住んでいる階級がはっきりしていましたが、長屋のようなアパートは4月に行った時にそのまま残っているところが多くて驚きでした。

      もちろん車を持っている家庭はまだ少なくて、いろんな面で同じ年代でも練馬(特に西部)と新宿ではかなりの格差がありましたね。

      でもすべてが本当に懐かしい。

      さて本サイトは「偏見はないけど独断の塊」をモットーに(?)にしていますので仲良堂様がご覧になって面白味の無い記事も多くあるとは思います。

      でも昔の時代のテイストを少しでも入れるようにしていますし、「ノンダクレーはこんな経験していたんだね」と感じて頂ければとても嬉しい事でございます。

      他の記事もご覧になってまたコメント頂ければ嬉しいです。
      コメントは何通でも歓迎です!

      今後もどうぞよろしくお願いいたします。

コメントを残す

サブコンテンツ

管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

スポンサーリンク

このページの先頭へ