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新大久保の模型店【ぶんけん】

模型店 「ぶんけん」の思い出

新宿区・新大久保駅と直交する大久保通りから横道に入った静かな住宅街に模型店「ぶんけん」がありました。

今ならば住宅地にひっそりとある店といったらコンビニか隠れ家的なレストランですが、「ぶんけん」は隠れ家的な模型店でした。

今回のお話しは1972~1974年頃の時代です。

 

「ぶんけん」は家が近いこともありしょっちゅう行っていた私の御用達の店ですが、ネットで検索しても「ぶんけん、ってあったよね」くらいしか出てきません。

確か正式の店名は「株式会社CBぶんけん」だったと思いますが私も友人も「ぶんけん」と言っていたので本記事でも「ぶんけん」と書きます。

 

ぶんけんがあった場所はこちらです。

 

上記で表示される場所はもしかしたら1~2軒お隣さんの可能性がありますが、ほぼ上記の場所で間違いありません。

狭い店内はプラモデルとラジコン関連が充実していましたが、私が思うには店主はラジコンを重視していた感じがします。

記憶の範囲で店内を思い出すと以下のようだったはずです。

(クリックで拡大します)

上記、左側のショーケースにはラジコン用のエンジンが多数展示されていました。

殆どは単気筒のグローエンジンでしたが、結構でかいものもあって2~3psくらいのパワーがあるものもあったと思います。

驚きなのは1972年くらいという時代でありながら模型用の「ロータリーエンジン」、「ロケットエンジン」まで売っていたんです。

オブジェじゃないですよ。ロータリーエンジンも本物と同じ構造(ただしグローエンジン)で回るし、ロケットエンジンも機体を軽いバルサ材などで作れば点になるほどの高度までロケットを打ち上げることが出来たんです。

決して大型花火ではありません。本物と同じような(物質は違うでしょうが)固形燃料を使っていました。

でも私は「ぶんけん」にはラジコンやプラモデル目当てで行っていたのではないのです。



秋葉原の代わりだった「ぶんけん」

当時私はラジオやアンプなど電子工作に凝っていました。

父が真空管でアンプやラジオを作るのが好きで家にそれらの部品があったから私も興味を持ったのです。

電子部品購入と言えば秋葉原です。家が新大久保だったので秋葉原も近かったんですがわざわざ電車賃をかけなくても「ぶんけん」ならば歩きまたは自転車で直ぐに行けたので秋葉原でないと手に入らない部品以外はいつも「ぶんけん」で済ましていました。

お店には小さなパーツボックスがいくつかある程度で大したものは置いていなかったのですが、でも意外にラジオやアンプなどを作る程度の物は揃っていました。

ケース類は当時も今も売っている透明のアクリルケースを何種類か売っていました。

ラジオを作る時のバーアンテナ、ポリバリコン、IFTのセット(IF2段用、455kHz用、FM用の10.7MHzは無)、山水の入出力トランス(ST-32とか)、スイッチ付きボリュームなどもあり秋葉原まで行く必要がありません。

 

でもIC関連はなかった気がします。当時はICが全盛になりつつある時代でしたが、ラジオやちょっとしたアンプに使われるICは今のような「何でも入り」の万能ICなどなくて、せいぜい2段直結のAF-Amp(型名忘れたが縦型で端子が千鳥に出ている奴。多分三洋製かと思う。)、汎用OP-Amp(709シリーズなど)などが主流でした。

FM/AM/SWのメーカー製3バンドラジオでさえ殆どICが使われておらず、かなり複雑なFM-IFつまりリミッターアンプでさえディスクリートで構成していた時代です。ICがあっても値段が高かったのかもしれませんし。

 

部品を買いに行くと私は短期間で顔を覚えてもらえました。多分同店に来る客の殆どはラジコンやプラモだったんだと思います。

しょっちゅう電子部品を買いに来る小学生は珍しかったんでしょう。

おじさんもおばさんもバンラック(仕切りがついた電子部品用パーツボックス)から抵抗などを1本1本丁寧にピンセットで取り出して袋に入れてくれました。

 

当時50歳くらいのご夫婦で切り盛りされていましたが、ご主人は体格が良くて角切り(?)のヘアースタイルで眉毛が濃かったと記憶します。

そして何処の出身かは知りませんが少々訛りがあった方です。

奥様は小柄のちょっと静か目な優しいお母さんという感じで、言葉は標準語だったと思います。

 

さて「ぶんけん」もいつの間にか無くなってしまい、あった場所もマンションなどになってしまったようです。

恐らく跡地は現在の「社会保険中央総合病院寮」になったと思いますが、中央病院も当時は大久保通り沿いの新大久保駅東側(現、ペアーレ新宿・年金機構のビル)にありましたがいつの間にか山手線を挟んで海城高校の反対側に移り名前も「JCHO東京山手メディカルセンター」と変わったのですね。

新大久保にいた時は町医者じゃダメそうなときはいつも中央病院に行っていました。

 

模型屋自体が全国の街から減っていると思います。

大きなテナントに入るというパターンに変わっているようです。もちろん模型、プラモ、ラジコンなどは無くならないと思いますがお店が無くなるのはちょっと寂しいですね。

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20 Responses to “新大久保の模型店【ぶんけん】”

  1. ぶんけん常連 より:

    54歳のオジさんです。
    私も小~中学生頃よくぶんけんに行きました。
    店内の見取り図懐かしく思います。
    確か途中から二階にも売り場が増えたように思います。
    オリジナルのポケットカー02という小型エンジンカーを売りだしたりしていましたね。
    私は石政という会社のラットバギーというラジコンカー買ってもらったりしました。
    ラジオの部品も豊富にありましたね。
    たしか立ち退きで郊外にお店を移転した記憶があります。
    そのお店にも行ったように思うのですが、あまり覚えていません。
    ぶんけん、取り上げて頂いてありがとうございました。

    • kaikoshumi より:

      ぶんけん常連様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      2階に売り場がという話しはだいぶ後に聞いたのですが私が引っ越した後でした。

      確かに「ぶんけん」はオリジナルラジコンなど精力的にやっていましたね。「ぶんけん」で買ったエンジンを近所の戸山交通公園で慣らし運転している人をよく見かけましたし、ラジコンカーを交通公園で走らせている人もいました。

      ぶんけん常連様のご年齢から察すると私とほぼ同世代のようです。別の記事で書いていますが私は戸山小・中卒業生ですので同じかも?

      本サイトは他にも戸山交通公園、新宿体育館、ラーメン屋めときなども書いていますのでぜひご覧ください。
      (サイトマップから見ると直ぐに探せます)

      この度のご訪問ありがとうございました。
      またお出で下さいませ。

  2. IloveHappy より:

    国鉄アパートの記事にコメントした者です。私はぶんけんの開店時、中学生だったと思います。中学の時は鉄道模型にハマってましたので、この店でもHOゲージのレールとかを売っていたはずです。当時は車両はもちろん、パワーパックも自作したりしてましたが、この店で電気・電子部品を買った記憶はありません。強烈な印象はやはりラジコンのエンジンを慣らし運転していたことですね。店の向いの空き地でプロペラを付けて爆音を響かせていました。学校が終わるとこの店を溜り場にしていましたが、中学生では何人居ても金にならない客だったでしょうね。

    • kaikoshumi より:

      IloveHappyさま
      こんにちは。再訪ありがとうございます。
      鉄道模型は私もHOを一時期やっていましたが、「ぶんけん」で買った記憶がないのです。

      エンジンの慣らし運転はよく見ました。
      でも私が一番見たのは交通公園にあったホーム(列車が走らない線路が引いてあった奥の方)で慣らし運転をされている大学生とかでした。

      あまりの音のうるささに驚きましたが、同時に「こんな小さなエンジンでこの爆音なのに車のエンジンはなぜあんなに静かなんだろう」といつも疑問に思っていました。

      ぶんけんは殆どが安いプラモとかが販売の主力だったのではと思います。
      だからラインナップはすごいわりにそれほど儲かっていなかったかもしれませんね。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお出で下さいませ。

  3. ちびころん より:

    いやあ懐かしい。小学生の頃よく行きました。当時、家が北新宿4丁目で歩いていくのがかなり遠かった。子供でお金がなかったので大したものは買えませんでしたが、眺めているだけで夢のようでしたら。

    • kaikoshumi より:

      ちびころん様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      常連だったのですね。でもそちらのお住まいではやはり遠いですね。

      ましてや小学生だと。

      でも「夢のよう」という気持ちは良く分かります。
      私も買うものがなくてもぷらぷらとよく行っていましたので。

      ご訪問ありがとうございました。
      またおいでくださいませ。

  4. KUSOじじいさん より:

    ぶんけんのおもひで。
    そうか、ぶんけんは模型店だったんだ。メーカーだと思っていた。ポケットカーが1CHでRC化されているのをラ技で見て、いいなぁと思っていた。
    中学に入ってなんとかラジコンが買えた。GT&ラリーカーはクラッチが滑って少ししか走らなかった。次のピーナッツバギーはゴキブリより遅く、すぐにベルトが切れる。あの頃は技術不足なのか、バルサモデル同様、裏切られることが多かった。しかしその情熱はさめることなく55才になった今でも子供の頃できなかった事を実現し楽しんでいる。

    • kaikoshumi より:

      KUSOじじいさん 様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      私と極めて近いお年のようで、何かお話しを聞けて嬉しい限りです。

      あの時代のラジコンやプラモは品質がイマイチだった気がします。
      ただメーカーの情熱はものすごいものがありましたね。

      私も今の年齢になっても当時の趣味(アンプやラジオ作りなど)を楽しんでいます。
      情熱が冷めないことは一番よいことです。

      またご訪問くださいね。
      ありがとうございました。

  5. kaikoshumi より:

    【管理人・ノンダクレーより】

    2018年8月26日 3:04 AMにコメントを頂きました、
    「くそじじい」様。
    コメントありがとうございます。

    拝見したところ先の「KUSOじじいさん 」と同じ方でいらっしゃるようですね。
    投稿時間も3分違いでIPアドレスも同一、コメント内容も同一なので「くそじじい様」のコメントは削除とさせて頂きました。

    ご了解くださいませ。

  6. kawasakizx41888 より:

    東中野の実家に来ており、古いアルバムを見ていて、ふいに思い出したCBぶんけん、、、 横堀模型のドッグファイター2を買ったり、MGCのエアガン、イントルーダー、またスリングショットなんかも買いました。85年頃と記憶しています。 既に2階にも売り場がありました。 1階がエアガン等、2階がラジコンでした。 とてもコアな品揃えで近所の秋葉原!という感じで、よく通ったものです。近くのゴーカートも懐かしいです。 もう、無いんだろうな、と思いつつも検索しここに、たどり着きました。 同じ思い出の共有ができて良い時代になった、とも 思い出のお店が次々と消えていく、東京って、、、とも思う。 嬉しいような寂しいような、それでも東京が、懐かしい日々が大好きです。

    • kaikoshumi より:

      kawasakizx41888様

      こんにちは。ご訪問とコメントありがとうございます。
      「同じ思い出の共有が・・・」はとてもうれしいお言葉です。

      古い思い出で、自分の記憶が曖昧になってくると、ついには、

      「本当にこんな思い出あったのだろうか?」

      なんて気分にもなります。
      でも同じ記憶、経験を持っていらっしゃる方に出会えるとたまらなくうれしくなります。

      皆様の思い出の一助になれて本当にうれしいです。
      また当サイトへお越しくださいね。
      (東中野は自転車でよく行きました)

  7. たーかぁ より:

    戸山中学校の記事から、ここにたどり着きました。
    実はぶんけんで、ラジコンを買ったことがあります。
    当時小学生だったわたしには、めちゃ高かったです。
    お年玉をはたいて、購入した記憶があります。

    エアガンで思い出しましたが、新田裏にあった「マノク商事」を覚えていらっしゃいませんか?
    全盛期には、少年誌などに広告を打っていた、エアガンやアイデア商品などの店です。

    • kaikoshumi より:

      たーかぁ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      戸山中や新大久保つながりはとても嬉しいです。

      ラジコンは本当に高かったです。
      ましてや小学生からしたら、大人が車買うくらいの覚悟・感覚でしょうか?

      お小遣いを貯めてやっとのことで、ですね。

      「マノク商事」は残念ながら覚えていない(存じていない)のです。
      知っていたら当然行っていたでしょう。

      今もそのようなお店が近隣にあったらいいな、なんて思いますね。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお越しくださいね。

    • 戸山っ子 より:

      横から失礼いたします!

      マノクっ!!!
      懐かしすぎる響きでしたので、ついコメントさせて頂きました。
      たしか、三光町あたり(新宿文化会館近く)に合った店だと思います。
      「ぶんけん」の近くに住んでいたのですが、友達と二人で自転車漕いで行ったのは初めての冒険。
      帰り道、迷ってしまって…
      泣きながら池袋行のバスを追いかけたのを思い出しました。

  8. 近所だった者 より:

    毎日のように行ってました。跡地は泉寮ではなく、バンビというパン屋の隣で、東京電子専門学校になりました。今はさらに住宅に変わります。ここは地上げ屋の恐喝が続き、ぶんけん主人がよくテレビに出ました。埼玉戸田に引っ越したまでは聞きましたが、かれこれ30年前の話です。

    • kaikoshumi より:

      近所だった者さま
      こんにちは。コメントありがとうございました。

      跡地の情報ありがとうございます。
      いったん東京電子専門学校になったのですか。
      それは知りませんでしたし、ましてや地上げ屋なんて・・・。

      ぶんけんのご主人がTVに出ていたとは・・・。

      いろいろと複雑な事があったのですね。

      思い出してみると「ぶんけん」に限らず「あそこはXXという暴○団の経営だよ」とか、クラスメートのことも「XXX君のお父さんって893なんだって!」とかはよく聞きました。

      話しによっては卒業して二十歳過ぎてから聞いたものもありますし、当時単なるうわさだと思っていた恐い話が、のちのち実話と知ってびっくり仰天だったことも多々ありました。

      時代が時代とは言え、当時あの付近はやはり新宿という大都会。
      恐い場所だったのですね・・・・

      当サイトには新大久保付近のことが他にもたくさんありますのでぜひご覧ください。

      ご訪問感謝申し上げます。

  9. 戸山っ子 より:

    はじめまして!

    私は歌舞伎町の日赤で生まれ、昭和40〜62年まで大久保で暮らしておりました。

    Facebookで「ぶんけん」の話題になり、あまりの懐かしさに検索したところ貴ページがトップに表示されお邪魔いたしました。

    いや〜本当に懐かしい。
    戸山小学校へ通っている頃(昭和46〜58年)は、毎日のように「ぶんけん」の前、パン屋さんとの間にあるスペースで遊んでいました。
    ホテル街にあった駄菓子屋にも行きましたが、「ぶんけん」は自宅から自転車で2分。
    交通公園と「ぶんけん」は私の人格の根幹を築いた場所と言っても過言ではありません(笑)

    冒頭に「はじめまして」と書きましたが、もしかすると当時一緒に遊んで頂いていたのかも知れませんね。

    ともあれ、記事を拝読し、遠く懐かしい思い出に浸る事ができました。

    ありがとうございました。

    • kaikoshumi より:

      戸山っ子様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      歩いてすぐの場所だったのですね。

      >私は歌舞伎町の日赤で生まれ、昭和40〜62年まで大久保で・・・

      →ちょっと驚きです。「歌舞伎町の日赤」というのは俗に言う「新宿日赤産院」でしょうか?
      だとすると私が産まれた病院です。当時両親は杉並区井荻に住んでいたので、生まれたばかりの私は退院後に井荻に持って行かれた、のです。

      また私が新宿(厚生省宿舎。現、コズミックセンター南隣のマンションの場所)にいたのは昭和46年~49年でしたので重なっています。

      >戸山小学校へ通っている頃(昭和46〜58年)・・

      →私は小5の夏(昭和46年)に練馬から転校して来て、戸山小卒業(昭和48年)で戸山中卒業でした。

      戸山っ子様とは戸山小時代も重なっているのでしょうか?
      (5~6年生の担任は四方美佐子先生でした)

      戸山中2年の後半に横浜の日吉に引っ越したのですが、受験もあり重要な時期なので卒業まで電車で戸山中に通いました。

      >ホテル街にあった駄菓子屋にも・・・

      →このお店は存じませんでしたが、当時よく行った駄菓子屋は新宿体育館から戸山小へ向かう一本道の途中、右側にあったパン屋(駄菓子屋?)でした。

      場所はここでした(今は普通のお宅)。

      よくここで瓶のチェリオを飲みました。
      飲むと舌がすごい色に染まるんですね。時代だな・・・。

      練馬から引っ越してきた直後に呼ばれた友人の家は、付いていくと新大久保駅のわき道をずっと歩いて、1階がキャバレー、2階が住み込みの従業員寮みたいなところで、練馬の田舎から来た私はびっくり仰天でした。

      >もしかすると当時一緒に遊んで頂いていたのかも・・

      →可能性は極めて高いです。(だとしたら)その節はお世話になりました(笑)。

      私もさらに懐かしい思い出が蘇ってきました。
      私は今札幌市なのですぐには行けませんが、また時間を作って新大久保界隈を歩こうと思います。

      また当サイトには新宿界隈以外にも「懐かしいあの頃、物、町」の話題が満載ですので是非またおいで下さいね。

      ありがとうございました。

      • 戸山っ子 より:

        お返事ありがとうございます!!

        いや~嬉しいですね~~~。
        私が戸山小学校3年生の時にご卒業と言う事は、3つ上でいらっしゃいますね。
        ご同期の方ともいまだにお付き合いがあります!
        北海道の中標津で牧場をやっていらっしゃる方。
        おそらくご存知だろうと思います。
        ここには書けないので、歯がゆいのですが…。

        厚生省住宅と言えば、私の生家から大声出せば聞こえる距離。
        お習字教室(伴先生)通っていましたし、あの土手も遊び場でした。
        梨の木があって、たいして美味しくもないのにみんなでニコニコしながら食べたものです。

        しかし奇遇ですね!
        産まれた病院が一緒だなんて!!
        初めて会う人に自己紹介するとき、「歌舞伎町で産まれて…」と言うと、皆さん一様に驚かれます。

        四方先生!!
        家庭科の授業でお世話になりました。
        大きくて優しくて「日本のお母さん」の代表みたいな先生でしたね。
        6年生の時、お亡くなりになったような記憶があります。

        私は1年生の時の担任が吉野先生。続いて川口よりこ先生 平野要太郎先生 増田先生 内野先生でした。

        よくお寄りになっていたとお書きになっているパン屋は、通称「かどパン」ですね!!
        ぎょろ目のオジサンの顔まではっきり覚えています。
        その裏手にあった若松屋酒店はカドパンより少し下でコンビニとして今も営業しています。
        昔は米屋さんだったところ。

        昨年、戸山小学校100周年の記念式典に出席して参りました。
        生徒もめっきり減って少し寂しく感じましたが、昭和の頃のまま残っているところもあって、懐かしさのあまりつい涙がこぼれましたよ。
        だって、卒業制作がちゃんと残っていたのですから!!

        そうそう!
        先日、ロッテの本社だった建物がなくなり、新大久保駅から戸山小学校が見えるようになったんですよ!!
        「こんなに近かったんだね」
        などと、同級生と話をしていました。

        大久保・百人町は私たちが暮らした頃とはすっかり様変わりしてしまいましたが、あの頃の思い出は胸の奥でいつもキラキラ輝いています。

        貴ページにたどり着いたのも恐らくは強いご縁なのでしょうね。
        神様がくれたご縁
        大切にして参りたいと存じます。

        • kaikoshumi より:

          戸山っ子様
          お返事ありがとうございます。
          またお問い合わせからのメールもありがとうございます。
          メールについては個人名がありますので、別途メールでお返事させていただきます。少々お待ち下さいませ。

          やはりおなじ日赤だったのですね。
          花園神社近くにあったのは知ってはいたのですが、歌舞伎町でしたか。とんでもないところの病院ですね!

          >私が戸山小学校3年生の時にご卒業と・・・
          →3つ私が上なのですかね?私は1960年生まれとなります。

          >四方先生・・・
          →ものすごい厳しい先生でした。私にとっては前にも後にもこれほど厳しい先生はいませんでした。
          でも今の時代に当てはめると間違いなくPTAから突き上げられて教師を続けるのは無理だと思います。
          四方先生は必ず毎日宿題を出す先生でした。でも土曜日など休みの前日は絶対に出さないのです。休みはゆっくりしなさい、というポリシーでした。
          亡くなったことはだいぶ後に知りました。

          >通称「かどパン」・・・
          →店名はまったく忘れていましたが、確かに「かどパン」の名称は言っていましたね。また若松屋も覚えています。

          >戸山小・・・
          →昨年8月に近隣を訪れたら私の卒業制作も策の外から確認出来て驚きでした。
          ところで2005年(私がまだ横浜にいました)に戸山中の閉校式があり、行ったのですがその時に「戸山小も多分もってあと5年かな?」という話を聞きました。

          「え~!」と思いましたがまだ頑張っているのはうれしいです。しかし少子化、特に都内の都心部は子供がいませんものね。戸山小も未来永劫ではないかもしれません。

          >ロッテの本社・・・
          →無くなったのですか。あの辺のシンボルと思っていたのに・・・。
          授業中にチョコやガムの匂いがした記憶があります。

          さて当サイトには(既にご覧になったかもしれませんが)交通公園などの他に戸山小のこと、ラーメン屋「めとき」、文具店「日昭堂」、新宿体育館、国鉄アパートなどの記事もございますのでご覧くださいね。

          ではメールの返信少々お待ち下さいませ。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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