大垣夜行 347M
大垣行き夜行は隠れた名列車
東京発大垣行き(岐阜県)の夜行列車をご存知ですか?走行距離は410kmという長距離を走ります。
現在は「ムーンライトながら」という臨時快速列車ですが、元は各駅停車で長い歴史と変革があります。
その中で旅人、そして鉄道ファンにもっとも有名(と私的に思っている)なのが347M ではないかと?
347Mというのは列車番号のことで東京発の下り列車に付与される番号です。
だから347Mという名を聞いて思わず「ニヤッ」としてしまう人もいると思います。
列車番号も340M、345Mとか様々な番号が歴史と共に変化していきましたが、近年で著名なのはやはり347Mだと思います。
私的に勝手に思っているだけでもあるのですが、理由としては347Mが運転されていた時期は1970年代後半~1980年代前半という旅行ブーム(DISCOVER JAPAN、1枚のきっぷからなど国鉄がキャンペーンをやっていた)でもあり、しかも旅の中心が列車で、多くの夜行、寝台、急行列車が走っていた黄金期でもあったからです。
その後旅行に使う交通機関が新幹線、特急、高速バスなどにシフトしていっても大垣夜行はなくならずに残っているというのは凄いことで需要があるわけですね。
車両はボックスシートの湘南型とか言われていた153系電車、その後165系電車に変わりましたが乗客にとっては全く同じものと言ってよいと思います。
165系電車(Wikipediaより)
大垣行き347M の車内は?
私は少年期何度も347Mに乗りました。
(でも大垣発東京行きは一度も乗ったことが無いのです。帰りは新幹線が多かった。)
行き先は様々でしたが京都、名古屋乗換えで紀伊半島方面などでした。
この列車は東京駅を23時20~30分頃に発車して、名古屋には翌朝の6時少し過ぎ、そして終点の大垣には7時丁度頃でした。
だから何処に行くにも非常に都合のよい時間帯を走ってくれるのです。
大垣から西への乗り継ぎも良く、途中から新幹線を利用しなくても10時かそこらには大阪に着いていました。
東京発が23時半頃というのも仕事終わりや学校から帰って夕食を食べて風呂に入っても充分に間に合う時間ですね。
夏などは物凄い混雑で2~3時間前に並ばないと座れないことも多く、かなり遠方まで立っている人、デッキに座っている人など大変多くの人に利用されていました。
しかもこの混雑が静岡~名古屋まで続くのです。
金曜日など週末に乗るとさらに大変な状況となります。
それは会社帰りに一杯やって乗るという人がかなりいるのです。
彼らは近場で大船か平塚、小田原や熱海まで乗る人がいます。
普段彼らは3ドアの東海道線車両に乗っているのでしょうが、347Mは2ドアのボックスシートのみの長距離用車両ですので彼らのでかい声はかなり目立ちます。
夏などは大きな荷物(リュックなど)を持った乗客が多いので、その酔っ払い連中は、「おい!兄ちゃん(姉ちゃん)!何処行くんだ!」とかしつこかったりしました。
時が経てば微笑ましく、「あれも旅だよな」と思えることもあるのですが、その場では非常に迷惑なことでした。
しかも酒臭いですからね。
さて夜行列車ですから外は駅停車以外は家や踏切の明かりが流れていくだけですが、夜の東海道本線は物凄く貨物列車が多いのです。
昼間は気がつかないというよりも景色に見とれて貨物列車など気にも留めなかったのでしょうが、とにかく夜は深夜でも貨物列車と頻繁にすれ違います。
現在も鉄道貨物へのモーダルシフトが盛んに行われているので多分状況は変わらないのでしょうね。
この列車は深夜帯を走行するの小田原~浜松間は快速運転となりますが、例えば静岡に到着する頃は4時か少し前でしたので夏だと空は明るくなってきます。
夜行列車に乗ったことのある方は感じたと思いますが、真っ暗な闇を走り抜けて空が少し明るくなってくると「とても遠くまで来た」とか「旅をしているんだ」という実感が強くなってきます。
そして名古屋では20分くらい停車時間があります。
当時の名古屋駅のホームは新幹線が出来る前の長距離列車の名残なのか洗面用の水道の蛇口がたくさん並んでいました。
なお早朝の静岡、そして名古屋では朝食が食べれました。
静岡では駅弁、名古屋ではきしめんと駅弁です。
でも駅弁は両駅共にあっという間に売り切れていた思い出があります。
私は静岡で駅弁を買った記憶がありません。起きていても早朝なので頭がボーっとしている、おなかが空いてないなどです。
名古屋から大垣まではかなり車内は空いています。
なぜに大垣行きなの?と思いますね。様々な理由があるようですが大垣には車庫があるからが最大の理由のようです。
名古屋だと単純な折り返しなどは出来ても社内清掃や機器点検をするのに充分な時間が取れる場所が無いようです。
347M で痛い目にあったことがあった
実は1978~1979年頃のGWか夏に一度347Mで痛い目にあったことがありました。
友人と京都や琵琶湖方面に旅行に行くときに347Mを利用したのですが、どういう理由だか全く覚えていないのですが、静岡の手前の車内放送で、「この先、XXXなので静岡発の臨時名古屋行き普通列車に乗り換えることをお薦めします」と車掌が言ったのです。
運転打ち切りだったかどうかも覚えていないのですが、とにかく「え~!」という内容で車掌の言うとおり後続の静岡発の列車に乗り換えた方がよいのは間違いない、と感じたのでした。
私と友人は(他の多くの客も)静岡で下車したのです。
空はかなり明るく、本来であれば下り始発列車まで2時間くらいあるのですが、347Mの車中で聞いた放送では30分後くらいに臨時の普通列車名古屋行きがあるとのことだったのです。
でも車掌が言った時刻になっても列車は来ないどころかホームでの案内放送さえもありません。
私と友人はもちろん、他の乗客も少しざわつき始めました。
そして改札に行き駅員に「どうなっているのか?」と聞いたら、「そんな列車の話は聞いていない。運転の予定さえない」といわれました。
「え!騙された!」みたいな気持ちになり、他の客も文句を言っていました。
347Mの車掌が何を勘違いしたのか判りませんが、とにかく静岡発の臨時列車なんて無かったのです。
結局6時頃の通常の始発までホームで待ったのですが、未だに謎のままでした。
これに関連してというわけでもないのですが、JRになった今でも混乱時の対応は他の私鉄に比べて非常に悪いと思います。
横浜時代に「今日に限り○○行きはお隣1番線から発車します。」とか言われてあわてて階段を駆け上って反対側のホームに行くと、先ほど自分が待っていたホームに乗りたい列車が入ってきて放送では「今度の○○行きはお隣2番線です」とかで多くの客が怒ったりしていました。
なぜJRはこういう部分が弱いのか理由を聞きたいと思います。
様々な思い出がある347M ですが、現在臨時とはいえ「ムーンライトながら」として残っているのは嬉しいというよりも驚愕と言ったほうがよいかもしれません。
でもあれほど旅情のある列車は私は他には「急行八甲田」(←リンクあり)しかないかな?と思ったりします。
夜行列車は「闇夜の窓に映る自分の顔を見ながら時折流れる明かりを目で追う。」、「東の空が徐々に白くなってくるのを全身で感じる」など真の旅情というものを感じさせてくれる空間だと思っています。
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大垣行き。30年ほど前の貧乏なころ、実家が名古屋なのでよく使いました。東京~小田原間が通勤電車くらいに混んでいたのを覚えてます。(一度乗客が多過ぎてガラスが割れたことがありました。)
名古屋駅6:00頃着で、駅構内に銭湯があり、入ったことを覚えています。
BIBIANN様
コメントありがとうございます。
帰省に使われたのですね。
ガラスが割れるほど・・・はびっくりです。
でもすさまじい混雑もありましたね。
また当サイトへお越しくださいませ。
私なんか、セーラームーンを観ながらく乗ってました。
ムーンライトなんて、ネットの何処にも出ていない思い出に会えました。涙出そうなほど嬉しく切ないです。
このサイト、はまりました。また来ます。
会社どうぞ!!!! ビップエレキバン!!! 様
コメントありがとうございます。
(今回は会長ではなくて会社ですか?)
嬉しいお言葉ありがとうございます。
励みになります。
なおセーラームーンは私は全く興味がありませんが、従姉妹(年下の女性)が放送当時面白いことを言っていました。
「なぜ悪と戦うときにいちいちセーラー服に着替えるの?もっと機動性が良い服もあるのに?」
と。
なるほどですね。
347Mといえば、大阪方先頭に、クモユ141とクモユニ74が連結されていたのが良いアクセントでした。
とらねこ太郎 様
コメントありがとうございます。
>クモユ141とクモユニ74
→そういえばそんなの付いていましたね。
つまり荷物電車併結、というやつですね。
とても懐かしいです。もう今後ありえない編成ですね。
また当サイトにお越しくださいね。
大垣夜行、大学3年の春休みに貧乏旅行で乗りました。
中国地方周遊券1枚で、乗り継ぎ乗り継ぎで、岡山まで行ったことを覚えています。
今の学生さんは、あの頃より恵まれているようで、飛行機や新幹線をよく使うようですが、ボクの旅は今にしても楽しい旅だし、あの頃(あの歳)でなければ、できなかったと思っています。
たか様
こんにちは。コメントありがとうございます。
あの列車は特別料金不要で遠距離に連れて行ってもらえますし、日中の時間がたっぷりとれるので貴重でしたね。
でもおじさんになると体力的に夜行はきついな~と思ってしまいます。
また当サイトにお越しくださいね。
ムーンライトながらの検索で来ました。僕自身は165系時代の大垣夜行は知らなくて373系定期時代のムーンライトながらによく乗りました。繁忙期に運行されていた臨時大垣夜行の165系モントレー車や167系角型ライト車にも乗りました。その後は183、189系、そして現在の185系にも乗車しています。年々ムーンライトながらの運用は減少し、この先も運用があるのか心配になります…… でもムーンライトながらは東京に早朝5:05に到着し、その後18きっぷの使用になりますが列車を乗り継いで色々な所に行ける便利な列車なのでこれから先も存続して欲しいですね……
こたつ様
コメントありがとうございます。
この列車(系統)は何度もご利用されていらっしゃるのですね。
この列車の時間帯は本当に利用しやすいです。
西日本方面に安く行くのは最適です。
しかし今のように「のぞみ」が1時間に10本(今後は12本)も走り、新大阪までわずか2時間22分となると安さで天秤にかけても、とにかく早い新幹線、夜行列車の煩わしさを考えると廃れていくのもやむ負えないことでしょう。
今後も歴史ある名列車として残ってほしいのですが、私自身は大垣夜行のみならず夜行列車に耐え抜く体力に自信がありません・・・。
「のぞみ」でビール片手に、とさせていただきます。
また当サイトにお越しくださいね。