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禁断のユースホステルでの飲酒・・・

ユースホステルは禁酒が当たり前(だった)

注意!: かつてユースホステル(以下YH)は禁酒、そして酒気帯びでの利用(入館、宿泊)は禁止でした。
しかし時代の流れと共に現在は緩和、または条件付飲酒OKなどに変わってきていますが、今でも「飲酒不可」を貫いているYHもあります。

またYHは単なる安宿ではなくて青少年に旅行の経験を通して人間としての成長の一助をするためにある、という教育的な部分もありますので、YHを利用される方は飲酒を始めとするルールを守り、節度ある行動で利用されますようお願い致します。


参考記事: ユースホステルの思い出と掟

 

YHは禁酒、男女別相部屋、厳格な就寝と起床時間、各自でのベッド(布団)メイキングと片付け、食後の食器洗いなどは義務とされて来ました。

これは概ね1990年初頭くらいまでのルールであり、もちろん当時も上記のルールが全て科せられるYHばかりではなく、かなりアマアマなYHもありました。

しかし1970年代半ばからYHを利用してきた私としては、これらのルールは当たり前であり、全然苦痛でも何でもありませんでした。

むしろ「飲酒OK」なんて言われたらYHではない、と思うほどでしたし、ホステラー(宿泊者のこと)同士の会話でも「最近○○YHはお酒解禁なんだって。これじゃYHじゃないよな。絶対行きたくない!」なんて普通に話していました。皆本心です。

YHの利用者が多かった時代は普段酒好きの人であってもYHでは厳格にルールを皆守っていました。

どうしても飲みたいと言う人は最初からYHなんて泊まりません。
仮に飲んだとしても21時~22時には消灯となり、相部屋なので自分だけ電気点けておくなんて出来ませんし、強制的に消されてしまうYHも多かったのです。
(ベッド個別に読書灯があるところは稀)

YHに泊まる人は酒以外のルールも厳格に守り、皆非常にマナーが良かったのです。
YHのルールを知っている、YHが好きだからルールだらけでも泊まるという人が集まるからだと思います。

でも・・・。

禁酒のユースでも禁断の飲み会はあった・・・

YHのルールは数あれど、違反者を見たことが無い(知る限り)ルールとしては「異性の部屋にこっそり行く」、「タバコを灰皿の無い場所で吸う(寝タバコなど)」というのがあります。

これらは「YHに来る人はYHを知った上で来る(全盛期)」、「相部屋なので互いに自然と監視状態になるのでルール違反はやらない」というのが理由かなと思います。

 

し・か・し・・・、飲酒はあったのです。

それも一人だけベッドでこっそりと飲むのではなくて(←そういう人もいたとは思うが)、部屋の人全員で、時には異性を呼んで大宴会!もあるにはありました。

(参考: YHはベッドであれば2段ベッドが4~6つ、つまり8~12人部屋。和室はベッドよりもキャパは少ないことが多い。)

しかしそういう飲み会は夏などの混雑期にはまず見かけず、シーズンオフで男女とも一部屋づつしか使っていないという少人数の時しか行われないのです。
(YH公認の全体で飲み会がある場合は別。←私は未経験)

著名観光地でなければゴールデンウィークでも数人しか泊まっていないというYHも全国には多くあります。

そういう時って何故かつい2~3時間前に会ったばかりで互いの名前も知らないのに「飲みましょうか?」になることが多いんです。
理由は判りませんが、そういう雰囲気が自然と湧き上がるのが閑散期のYHなのかもしれません。

 

夕食直前、もしくは夕食直後に買出しに行きます。
夕食直後というのは閑散期はミーティング(夕食後に皆で会話したり、歌い踊りバカ騒ぎする事もある)が無いのが殆どですが、YHってどこでも夕食後に外に出かけるという事はまずありえないのです。

ホテルに泊まっても夕食後に出かけると言ったら、「外に飲みに行く」くらいですよね?
夜景を見に行くということもあるかもしれませんが、YHは門限があったり、消灯が21~22時なのでまず夜に外には出ません。

だからYHで夜出かけるのは不自然で目立つから買出しはさっさと終わらせる、ということです。

それと単に人が少ないだけではなくて、飲み会をするYHというのはホステラーどうし「ここならいける!」と本能的(?)に感じる部分もあるのだと思うのです。

例えば「ペアレント(YHの管理人)があまりホステラーに目をかけない」、「閑散期なので常時受け付けに人がいない」、「ホステラーには食事提供したらあとはほったらかし」など酒を買いに行きやすい、部屋にペアレントが来ることはまずなさそう、などを察するのです。

一体何時まで飲んだのだろう?と思うほどの飲み会も経験しましたが、どのYHでも皆盛り上がるわりには大声を出さないという共通点がありました。

飲んでタガが外れても「ここはYHだし」という自制心があったのだと思います。

 

流石にここまで↓は無かったが・・・





禁断の飲み会の実態

あくまでも過去の私が犯した罪の一部ですので、現在も飲酒が禁止されているYHではきちんとルールを守ってください。
本記事はYHでの飲酒を薦めるためのものではありません。

また飲酒OKのYHであってもホテルとは違い消灯時間もありますので気をつけてほどほどに楽しんで下さいね。

 

ユースホステル山国屋旅館(大分県中津市。既閉館)
1984年5月の出来事です。和室で10人強での飲み会となり、フルフェイスヘルメットを被りながら飲んでいる人が印象的でした。
別記事に書いていますので、こちらを参照下さい。

島原ユースホステル(長崎県島原市。既閉館)
1984年5月です。
当日は男女共に一部屋づつに納まる宿泊人数でした。確か男性は私含めて5~6人、女性も3~4人しかいなかったと記憶します。

夕食後同室の人たちとごく自然に、「飲まないか?」ということになり、近隣に大量の缶チューハイやビールを買い出しに行きました。
当日は宿泊者が極端に少なく、ヘルパー(ユースの仕事をするアルバイトのスタッフ)もいない、ペアレントもいるのかいないのか分からないということもあり、当然ミーティングもありませんので、ある意味やり放題でした。

そして同室の一人が、「女性にも声をかけてきます。」と呼びに行きました。
でも来たのは一人だけで、他の人は「遠慮しておく」ということだったのですが、とりあえず男性用の部屋で「飲み会」は始まりました。

話す内容は極めて他愛無いことばかりで、皆名前すら知らない、聞かないというYH特有の会話が続きます。

でも途中から変に盛り上がり、自然と酒量が増え、声も少しづつ大きくなります。

盛り上がる話題と言うのも実に下らない話しばかりで、TV番組のこと、芸能人のこと、他のYHの噂などですが、皆2~3時間前に会ったばかりでお互いのことを殆ど何も知らないどうしなのに、「よくここまで盛り上がるな!」と感心するほど楽しい時間が過ぎて行きます。

でも途中で缶ビールをひっくり返して、床がびしょ濡れになったり、唯一の女性ホステラーはかなり酒が好きな人のようで、飲むペースも早い、声もどんどん大きくなるでYHらしからぬすごい状態になっていきました。

 

↓ネクタイはしていなかったけどほぼこんな状態↓

宴会もピークという頃にいきなりドアが開いておばさんが入ってきました。

ペアレントではなかったと思いますが、

 「まあ!あんたたち!YHで何やってるの!お酒飲んじゃダメでしょう!ましてや女の子が男性の部屋に入るなんて!」

と散々文句を言ってくれたのですが、一通り説教したら部屋を出て行き、その後は全く来ませんでした。

私達は、「声のトーンを下げようね」と話して、ちょっと静かになったのですがその後も宴会はしばらく続きました。

思い出すと「一体何本のビール、チューハイを買ったのか?」と思うほど潤沢に飲み物はあったのです。

朝起きたら部屋中が酒臭く、頭も痛いしで最悪でした。でもとても楽しい一夜でしたが結局誰一人の名前さえ分からずじまいでした。

塩狩温泉ユースホステル(北海道上川郡。既閉館)
 初めて泊まったのは1977年8月ですが、飲み会をやったりしたのは1984年ころからの約9年間でした。

参考記事: 塩狩温泉ユースホステル(北海道)

最初の頃は私はごく真面目な普通のホステラーでした。

でもある時期から連泊していたらヘルパーらと仲良くなり、「飲みましょう」ということになり、そのままズルズルと・・・。
ホステラーの部屋では飲まずにヘルパー用に使っていた部屋やミーティングや多すぎて泊まりきれない時に使う数十畳敷きの和室などで毎晩飲んでいました。

ヘルパーはお金が無いし、ホステラーだってお金が無いからYHに泊まっているわけですから飲み会のたびに缶ビールを買うなんて贅沢なことは出来ず、いつも焼酎ストレート若しくはウーロン茶割りばかりでした。

北海道をたくさん旅した人や道民の方はご存知でしょうが、北海道民のソウルドリンクの焼酎部門と言える、「ビッ○マン」とか「サッポ○ソフト」などは3~4Lの超大型ペットボトルでも激安(現在の価格でも4Lで3000円を切るくらい。)なので、ひたすら毎晩これを飲むのです
(でもお酒というよりも「消毒液」っぽいんですよね。)

連泊していると私のように一般ホステラーもヘルパー側に引きずり込まれて、一緒に飲んだり、いつの間にか連泊中の昼間はエプロンをしてヘルパーの仕事をしていたりします。

私もシーツのプレスがけ(業務用アイロン)や受付を何時の間にかやらされていました。
「やらされて」とは言っても実はとても楽しかったんですけど・・・。

このように「ホステラーでありながらヘルパーの仕事を手伝う人」をホスパーと言ったりもします。
(全国のYHで通じる用語ではありません!)

彼ら一部の元ヘルパーとは今でも親交がありますよ。新宿でも大勢で集まって終電まで大騒ぎしましたしね。(塩狩in新宿というイベント)

 

その他
大々的にやった思い出は大体上記なのですが、同室者が私以外に2~3人しかいない時に静かに部屋で飲んだことはありました。
でも300泊のうち片手で数えるくらいでしょうか?

同室の人に誘われて実は夕食後に外に飲みに行った事も2度ほどありました。
消灯が22時だったので21時には戻ったと記憶しますが、そこはペアレントもいるかいないか判らない状態、ヘルパーらしき人はいなくて公営YHだったので食事や清掃、受付などは市の職員だったと思います。(実際は市から委託された業者でしょう。)

だから消灯までに戻れば何も問題なかったのです。

YHには公営、直営、民営など複数の運営形態があるのですが、全部とは言わないけれど公営YHはすべてが事務的で、YHのルールを知らない人がペアレントになっていたりする事も多いので、結構でたらめな事もあるのです。

でも自分の宿泊経験数からすれば飲酒の回数は極めて少なく、やはり自分もYHは酒を飲むところではないし、という思いが強かったのでしょう。

純粋にYHが好きでしたからね。

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4 Responses to “禁断のユースホステルでの飲酒・・・”

  1. みならいかのん&ゆたか&はじめっち&つるみん より:

    お酒にまつわる話は、閉館したYHが多いですね。
    ・・・時効…ってのもあるのかも…みならいかのん…あはは

    宿泊者とはあまし飲む機会はなくて、あちこちでペアさんと飲んだほうが多かったのっす。
    たくさんでもむと、後で収拾がつかなくなるっすから。
    もちろん少人数でこん人となら大丈夫だという人たちとは
    手加減ないく、トコトン飲んだのっす。
    もう時効で閉館したところだけど、〇青年と飲酒したり、お互い飲みすぎて
    朝食が「作れませんでしたぁ」ってことになったり、
    「知床に人が住むんじゃねぇ」って暴言を吐いた、
    元レッ〇ウォー〇アーズのドラマー?と口論になって
    ペアさんの奥さんに「いつまで飲んでんのぉー!」
    って…(そのあと自主的にしばらく出入り禁止す)
    ・・・だってその時羅臼に住んでたもんすからゆたか

    小清水から美幌に転勤になった菊〇ペアさんにはとてもお世話になって、
    職員を定年退職する数日前に泊まった時に、ほかの宿泊者と一緒に
    ペアさんの居住スペースに招待され、そこで初めて
    菊〇ペアさんと飲酒と喫煙(奥さんが喫煙するのを初めて見た)ありの送別会?みたくなったのっす。
    自分も含め常連ではなかったので驚いたっすが、
    最後くらいはこういうのもいいんでないか…と。
    最後に一人ずつほしいものがあったらもらってくれと
    言われ、自分は昔から仕込んでいたというコクワや山ブドウの果実酒をボトル10本ほどもらったのっす。
    (運搬の関係上、自分らだけが車だったもんで…)
    バカなことを聞いたもので「どうして今まで宿泊者に果実酒出さなかったっすか?」と尋ねると、
    (YHの直営職員の身分だった)「量も少ないし、公には出せないし、自分ら用だったし…」
    (でもペアさんは奥さん以外飲まない人だった)
    でも、本当は最後くらいそうしたかったのかな…って思うことがあるっす。
    ・・・ある意味信念ば貫いた方だったっすゆたか

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
    その果実酒は、10年後、小清水はなことりYHで
    消費されることになったのだ。
    「これ、きっついわぁー」って言いながら、焼酎漬け・ブランデー漬け
    荒〇Pと宿泊者とでひたすら飲んだ記憶があるのだ(あたいはちょっぴりだけなのだ)。
    ちなみに現在の小清水はなことりは現役YHだども、
    テレ東の「出川哲郎の電動バイクの旅」に大宴会してるところを放送されているので、
    酒飲みYH(もちろん宿泊者了解のもと)として認知されても何ら問題なさそうなのだ。
    ・・・出川哲郎も宴会楽しんだらしいのだつるみん

    だいぶ話がそれたのです。ながながとすんません。

    • kaikoshumi より:

      みならいかのん&ゆたか&はじめっち&つるみん様

      皆様コメントありがとうございます。
      多かれ少なかれある程度YH宿泊経験があれば飲み会はありますね。

      Pと飲んだ、そういえば私も複数回あります。
      飲み会、宴会と言うほどではないけど「ちょっと飲もうよ」くらいでしたけど。楽しかったです。

      文中の○が付いているお名前は全員存じています。向こうは私を覚えていないだろうけど。

      YHの思い出はお酒ネタも懐かしい・・・。

      (おまけの豆知識)
      ご存知かも知れませんが(昔は?)YH協会や運営の自治体からある以上の借金がある民営YHは、借金が一定額に減るまでハンドブックには「公営または直営」と表示されるのですよ。
      私が一時期激しく通っていた民営YHもそうでした。

      またお出で下さいね。

  2. 広島育ちです より:

    私がユース会員になったのは1986年ですが、1泊してから更新せず、再び会員になったのは1992年です。この頃には酒が解禁なっているユースホステルの方が多かったです。

    1992年に宿泊した松山ユースホステルでは館内にビールの自販機がありましたし、2000年頃から行き始めた別府ユースホステルでは経営を息子に任せた時期と重なって、むしろ生ビールのサーバーを食堂に置き、安い宿泊料売上をカバーしているのか?と言うぐらい生ビールが出ていった感じです。

    2000年頃には飲酒禁止のユースの方が珍しく、またペアレントをマネージャーと呼んだり、教育的な側面からサービス的な側面にユースが転換していた時期だったと思います。

    酒を飲めないストレスは無くてもこっそり感は確かになかったですね。

    それと名前も知らない、或いはホステラーネームなどがせいぜいでユースの事とかで良く盛り上がりました。また、ちょっと評判がよくないホステラーの名前(それもホステラーネーム)が一致するとそれでまた盛り上がったりと今思えば本当に不思議な空間でしたね。

    • kaikoshumi より:

      広島育ちです様
      コメントありがとうございます。

      1992年頃からは飲酒OKのYHが増加・・・、
      なるほど。いつの間にかOKのところが増えたなと思っていたらこの時期だったんですね。
      私も1990年頃からかな?とは感じていました。

      松山YHは30年くらい前に泊まったことがあります。
      松山市内のYHで「松山YH」という名称はここだけでしたっけ?

      記憶では食事が良かった、夕食はワンプレートだったと記憶します。
      そして当時のペアレントさんの顔もはっきり覚えていてメガネをかけて髭を生やした方でした。

      昨年秋ごろにTVで松山YHの取材があったんです。
      YH自体というよりもペアレントさんにインタビューが目的だったようですが、30年前の方と同じようでびっくりしました!

      容姿があまり変わっておらず私の記憶の方でした。
      ずいぶん長くやっているんだなと。

      別府YHは私の知っているYHなのかな?
      住宅街をやや登った途中に合って、入口は狭く建物もかなり古い「昔ながらの民間YH」でした。
      今は無くなってしまいちょっと悲しいですが、ビールサーバーとはびっくり仰天です。

      余談ですが、居酒屋などでもビールサーバーでの販売は儲けが少ないそうです。
      理由は、

      ・ビールの樽ごとに値段が決まっている。
      ・泡だらけにならないように販売前/中にテストしたりがあるのでその分廃棄分のビールが多少出る。
      ・サーバーのメンテナンス、清掃に無駄な作業が必要。

      だそうです。

      儲かるのは瓶ビールや酎ハイだそうです。
      特に酎ハイは気分で?薄めにしたりも出来るので、最初は普通の濃さで出して、客がベロンベロンに酔っ払って来たら薄く作って出すなどするそうです。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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