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心に染みる曲たち

誰にでもある心に染みる曲

 

心に染みる曲、想い出の曲というのは誰にでも必ずあるはずです。

多くは青春期、20代前半などに聞いた曲だと思いますが、歌詞の意味もまるで分からない幼少期や、大人になり家庭を持って仕事に追われ「全てに疲れた・・」という年齢になってふとテレビや街角で聞いた曲に大きく心を揺さぶられた、ということもありますね。

本記事ではこれらについて【私の独断の曲】を中心に書いてみたいと思います。
とりあえず以下を事前にご了承下さい。

●「曲」というのは歌謡曲・J-Popを中心にしていますが、一部洋楽も含まれています。

●音楽芸能関係は著作権関連が厳しいので、本記事では曲及びアーティストに関する写真はございません。
また歌詞を載せることは著作権違反になりますので、ごく一部のフレーズを除き歌詞の全体などは載せておりません。

 

本記事に出てくる曲はかなり私の偏った思い出から書いていますので見て「な~んだ。知らない(興味がない)曲ばかりじゃん!」とお感じになる方が多いと思います。

しかしその時代の事も多少あわせて書いておりますので、ご覧になった方がその時代と共に、この記事に書かれていないご自分の思い出の曲を思い出して頂けるきっかけになれば幸いです。

以下は本当に私の個人的独断の羅列ですので、どうかその点はお許しを・・・。

■目 次

私の独断の染みた曲(1960年代)
私の独断の染みた曲(1971~1972年)
1971年~1972年という時代
私の独断の染みた曲(1973年以降)
まとめ

私の独断の染みた曲(1960年代)

■エッソ・スタンダード石油のCM曲
 
エッソ社(石油会社)のTV-CMに流れていた曲です。
今となっては大変に古い1960年代前半となりますが、私が生まれて初めて(多分)夢中になった曲だと思います。
TVでよく流れていて、当時の私にはやけに耳につくCM、そして曲でした。

そしてある日、石油会社(エッソではないライバル会社)に勤める親戚のおじさんからこの曲のソノシート(レコード)をもらったのです。

そのうれしさに私は狂ったように聞きまくり、なぜか今でも覚えていますが、「その場で立ち止まりながらも両足をバタバタ駆け足するような仕草のダンス」を生み出し?曲を聴きながらずっとその変化のないダンスを家で踊っていました。(親に見られないように、多分見られている)

幼稚園入園前~入園直後の4~5歳くらいでしたが、これだけは恐いほど鮮明な記憶です。
詳しくは以下の記事もご覧下さい。

エッソのマークはESエッソ・・(テレビCM)

■どこまでも行こう
小林亜星さんの作詞作曲、最初に流れたのは1966年(昭和41年)で山崎唯さんが歌ったのですが、その後1967年(昭和42年)5月にダークダックスが歌いました。

ブリヂストンのCM曲として非常に有名です。
今もTV-CMでたまに聞くことがありますね。(懐かしの・・ではなくて)

この曲はCMに限らずサビのフレーズ(どこまーでも行こう・・・)があちこちで使われているので、曲名を知らない若い方でも聞いた事があるはずです。

非常にシンプルな詩、メッセージ性は強くないけど聞くだけで元気をもらえる永遠の名曲だと思います。

この曲が世に流れ始めた時、私は小学校入学前でしたが、「なんて素敵な歌なんだろう・・・」と心を動かされたのでした。
意味はほとんど理解していなかったと思いますが、ある意味【生まれて初めて心に染みた曲】だったかもしれません。

■ブルーシャトウ
1967年(昭和42年)3月発売、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」が歌う大ヒット&今も歌い継がれる永遠の名曲です。

私の小学校入学年でしたが、この曲は当時のTV、商店街、ラジオなどあらゆる「音が出る媒体」から連日のように流れ続け、日本全国民・老若男女問わずこの曲が頭に刷り込まれたのです。決して大げさな話しではありませんよ。

子供心にもどんどん引き込まれる歌詞とメロディで、「森と泉に囲まれた・・・静かに眠る・・」の部分はとてもワクワクドキドキさせられました。

そのように思った理由は「森の中にある静かな湖に何かが眠っていて・・・」と勝手に想像していたのですが、当時流行っていたTVはウルトラQウルトラマンなど怪獣怪人ものが最全盛期と言える時代でしたので、「きっと静かな森の中の湖から怪獣や宇宙船がいきなり出て来て大変なことになる!」と思ったのです。

↓ここから宇宙人が出てくる!!

もちろんこの曲はそんな意味ではありません。(当たり前)
今考えてもみても「よく意味のわからない曲」だったと思いますし、作者には恐縮ですがメッセージ性/ストーリー性が強い曲ではないと思います。

でも本当にこの曲は日本列島を席巻したと言える曲で、今でも「懐かしの・・」番組ではしょっちゅう出てきますし、既に発表から52年も経過しているのに(2019年基準)全国各地で替え歌が歌われていたりするのです。

もっとも今の子供の多くは歌わないと思いますが、30代くらいの方でも小学校の時に替え歌を歌った、聞いた事があるという人は多いと思います。

この歌の替え歌は地域によってまったく異なるようですが、私が覚えている替え歌は以下でした。
特に著作権等問題ないと思いますので記憶の範囲で載せます。(東京都練馬区で歌われていた歌詞です)


もりとんかつ、いずみにんにく、かーこんにゃく、まれてんどん、しずかに(←ここは覚えていない)、ねむる○*ペン、ブルーブルーブルーシャトウ・・・

(*の部分は現在では差別用語と考えられるので省略しました。)


 

■帰って来たヨッパライ
1967年(昭和42年)、ザ・フォーク・クルセダーズの超大ヒット曲です。
当時はTVでもラジオでも街頭でもこの曲を聴かない日はなかったと思います。

歌詞のバカバカしさはもちろん、今で言うコンピュータで音声を加工したような歌声?がよりいっそう低俗さを強調していました。

しかし驚くのは発表後52年(2019年基準)経った今日でもTVで使われることがあるのです。
フルコーラスとかはほぼありませんが、何かの場面の短いBGMとして流れることがあります。
それほど時を越えてもインパクトが強く、他にこのような歌詞の曲が出てこなかったということでしょう。

本曲は以下の記事に詳細を書いていますのでよろしければご覧下さい。

帰って来たヨッパライ(初めて買ったレコード)

■でっかい青春
1967年11月、布施明さん歌唱です。
当時大ヒットした青春ドラマ「でっかい青春」のテーマソングです。

作詞は岩谷時子さん、作曲はいずみたくさんと名コンビの力の入った作品です。

布施明さんの一文字一文字噛み締めながら発生するような非常に力強い歌に子供なのに魅了されてしまいました。
本ドラマの詳細は以下の記事でも書いておりますのでご覧下さい。

でっかい青春

■白いブランコ
1969年(昭和44年)1月、ビリーバンバンの歌唱。しっとりとした大変に美しい曲です。
今でも取り上げられることもありますし、懐かし番組以外にも一部のフレーズがドラマに使われたりもします。

ビリーバンバンのお二人(ご兄弟)は他にもヒット曲がたくさんありますが、やはり私としてはこの曲が心に突き刺さりました。
当時はフォークソングが流行り始めた時期ですが、フォークソングもメッセージ性と曲のインパクトの強い曲、インパクトは薄いけど優しい心に染みる曲に分かれていたと思いますが、白いブランコは後者の曲でした。

男性デュオでこれほど美しい歌声、優しい曲は今に至るまでちょっと知りません。




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私の独断の染みた曲(1971~1972年)

■戦争を知らない子供たち
1971年(昭和46年)2月、ジローズの歌唱で今も歌い継がれるあまりにも有名すぎる曲。

作詞は北山修さん、作曲は杉田二郎さんです。
北山修さんは精神科医でも有名です。

当時は1960年代から続く学生運動もまだ残っていたりして、国の経済や社会的秩序は十分に先進国レベルでしたが、学生運動やメッセージを街頭で叫んだりする人が多かったので、個人の成熟度は今一歩だったのかもしれません。

第二次世界大戦が終わって既に26年経過していましたし、GDP世界第2位にまで日本は成長していましたが、フォークソングが流行っていたこと、メッセージ性が好かれていたこと相まってこの曲が生まれたのかな?と勝手に思っています。

私は小学生だったので、曲の意味を深く考えたことはありません。でも自然と口ずさんでいるという曲で、周りの皆もそうだったと思います。
メッセージ性が強い題名ですが、歌詞や曲調はもっと気軽に音楽を楽しめる、という作品に仕上げられていると思います。

■虹と雪のバラード
1971年8月発売。 トワ・エ・モアの二人が歌う大変に美しい名曲。

1972年開催の札幌オリンピックのテーマソングで、オリコンチャート7位、レコード売上げ枚数60万枚という大ヒット曲でした。

この曲は本当に歌詞もメロディもジーンと来るほど美しく、小学生の胸を思い切り熱くしてくれました。

当時新宿に住んでいた私も、「生まれ変わるサッポロの地に・・・」の部分はまだ行ったことのない札幌を思うと「すぐにでも行ってみたい!」と真剣に思ったものでした。

私は今は札幌市に住んでいるとはいえ、当時は東京都新宿区在住でしたし、もともと東京の人間ですのでこの曲はTV以外では知りません。

でも札幌市民である年齢以上の方は「知らない人はいない」とも聞いています。

↓札幌オリンピックで金銀銅3冠を日本勢が独占した
 宮の森ジャンプ台(2010年撮影)

今年の年明けからは札幌市営地下鉄の半数以上の駅で、列車到着メロディに「虹と雪のバラード」をアレンジしたものが使われるようになりました。

これは2030年の冬季オリンピックを再び札幌に、という市の意気込みからこのメロディが選ばれたそうです。
もし2030年札幌大会が決まったら、白鳥さんのあの美しい歌声を再び聞かせて欲しいと切望します。

私が小学生時代に聞いて心に染みた歌の中で「虹と雪のバラード」がもっとも美しい曲だと今も思います。
だからカラオケに行っても歌っていますよ。(メロディは原曲のままでアレンジされていないのがうれしいです。)

■さらば涙と言おう
1971年3月、森田健作さんの歌唱です。
彼は歌手、俳優、司会など多彩なジャンルで活躍されて来ていますが、今は(2019年5月現在)千葉県知事で、東京湾アクアラインの通行料を片道800円にしてくれた方です。
(このおかげで数え切れないほどアクアラインを利用しました。)

TVドラマ「俺は男だ!」の主題歌ですが、曲だけ聞いていても非常に爽やかな青春を感じさせる歌です。
小学生だった私も「高校ってこんなに楽しいところなのか!」とワクワクしながら見ていました。
(私は実は男子校に行って、楽しかったけどまた別の意味でした。)

参考記事: 男子校の実態

■あの素晴らしい愛をもう一度
1971年4月、「加藤和彦と北山修」のペアでしたね。

この曲も今も歌い継がれていますが、たま~に勘違いして結婚式で歌っちゃう人もいるそうです。
でも「過去の愛」に拘ったしみったれた歌詞、曲ではないと思います。

確かに「心と心が今はもう通わない」というフレーズはありますが、暗い失恋ソングというイメージがなぜかありません。
激しいギターのストローク&アルペジオを使って高揚感を感じさせる曲で、個人的感想で言えば「昨日までは悲しいこともあったけど、前を向いて強く生きよう!」みたいに感じます。

つまり私の中では失恋、失った悲しさ感じない曲です。
人により感じ方が違うのは当然ですが、でもこの曲を聴いて悲壮感を感じる人は少ないのではないでしょうか?

だからこそ48年も経った現在でも多くの人に歌い継がれているのではと思います。

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■さらば恋人
1971年5月、堺正章さんの代表曲の一つです。
作詞は前述の精神科医でもある北山修さん、オリコンチャート最高2位という大ヒット曲です。

この曲の歌詞も失恋ではありますが、悲壮感はなく「君とはさよならだけど、がんばって生きていこう!今まではありがとう!」みたいな気持ちを感じさせる明るい曲です。

後述する「街の灯り」と共に、堺正章さんの曲は本当にしみじみと心に染み渡ってきます。(あくまでも個人的感想ですが)

当時小学生のガキンチョの私も「何ていい曲なんだ・・・」と惚れ惚れしながら聞いていました。

嫌な事があっても明るく生きていける、そんな勇気を与えてくれたと思います。

■出発の歌(たびだちのうた)
1971年11月、今も俳優として大活躍されている上條恒彦さんの代表曲です。

恋愛、失恋、メッセージソングのいずれにも当てはまりません。
聞けば聞くほど不思議な曲です。(歌詞はネットに上がっていますので検索してご覧下さい。)

48年経って聞いてもこの曲はメロディの美しさが群を抜いています。
静かなバラードかと思いきや、フォルテシモの高揚感、澄み切った青空や海の青さが目に浮かぶような透明感など本当に素晴らしい「作品」です。

上条恒彦さんの他の有名な曲として「だれかが風の中で」(木枯し紋次郎の主題歌)、「珊瑚礁に何を見た」(1975年沖縄海洋博テーマソング)などもありますね。

特に「珊瑚礁に何を見た」は「出発の歌」に通じる透明感があり、とても好きな曲の一つです。

■友達よ泣くんじゃない
1972年(昭和47年)1月、森田健作さん最大のヒット曲でオリコンチャート最高2位という輝かしい記録を持っています。

この曲は本当に勇気付けられる素晴らしい曲です。
何度聞いても飽きない、いつまでも聞いていたいと思います。

「泣くんじゃない」なんて悲しい曲?つらい曲?何て思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ぜんぜん違います。

老若男女問わず爽やかな友情を歌った曲、青春ソングと言った方があっているかもしれません。
それでいて「臭い」、「わざとらしい」が皆無の本当に素敵な曲です。

今もたまにTVで使われることもあります。

この曲は知らない若い世代にも聞いて欲しいです。
もちろんCDなどでは無いかもしれませんが、YouTubeなどでは聞くことが出来ます。
本当に素直な気持ちになれて、ちょっと胸が熱くなる素敵な曲です。

ただ一つ非常に残念なこともあります。

私はこの曲が本当に大好きなので、カラオケに行っても必ず歌いますが、今のカラオケの音源はかなりアレンジされていて、テンポがややアダージョなんです。

つまりオリジナルよりもややゆっくりな感じがします。
途中の部分もオリジナルにあった非常に力強い曲調が抑えられています。

音源が古すぎてカラオケに使えるものがないにせよ、やはりあくまでもオリジナルに忠実、を貫いて欲しいと思います。
でも贅沢かな?曲が出た時には一斉風靡するほど大ヒットした曲も古すぎるとカラオケには無い、または無くなってしまった曲もありますからね。




■夜明けの停車場(よあけのていしゃば)
1972年1月、俳優としても大活躍されている石橋 正次さんの代表曲です。

曲調はやや暗めで、バックの女性コーラスなども今聞くと「時代を感じる」曲なのですが、小学生の私の心に訴えてくるものがありました。
また違う言い方をすると「昭和歌謡」とも言えるかもしれませんが、なぜか心の中にグイグイ入ってくる曲です。

■さよならをするために
1972年2月、ビリーバンバンの代表曲の1つです。

TVドラマ「3丁目4番地」の主題歌で、作詞は石坂浩二さん、作曲は坂田晃一さんです。

暗いイメージのあるちょっと沈んだ感じの曲なのですが、なぜか1度聴いたら頭から離れません。

「3丁目4番地」は当時視聴率が良いドラマだったと思いますが、やはりドラマ自体も下宿屋を舞台とした暗めの設定だったのですがキャストは浅丘ルリ子さん、森光子さん、石坂浩二さん、大原麗子さん、寺尾聡さんなど超豪華ぞろいでした。

当時の時代を代表するドラマであったことに間違いはありません。

■太陽がくれた季節
1972年2月、青い三角定規という3名のグループが歌っていました。
まさに青春ソングの王道、今もなお歌い継がれていて小学校、中学校の音楽教科書にも掲載されているそうです。

メンバーは西口久美子さん、岩久茂さん、高田真理さんの3名ですが、高田さんは2006年に逝去されていて残念に思います。

最初から最後まですべてがサビと言えるほど力強く盛り上がりのある曲で、やや暗めの感じもあるのですが、その暗めの印象を力強さ=若さ・青春で跳ね飛ばしてしまうようなパワー溢れる曲です。

お若い方も聞いた事が必ずあると思います。
なお以下の事を最近知ってびっくりしました。(Wikipediaよりの引用)

「くれた」が、ひらがな表記のため、「太陽が暮れた季節」と誤った解釈をされる事も多いようだが、正しくは「太陽が呉れた季節」の意味である。

■ひまわりの小径(こみち)
1972年5月、チェリッシュの歌唱。
チェリッシュと言えばやはり「てんとう虫のサンバ」があまりにも有名すぎて、今でもTVに使われる、結婚式で歌われるなど永遠の名曲とも言えます。

またチェリッシュお二人のお姿も今でもTVでよく見かけますね。

「てんとう虫のサンバ」以外にも代表曲として、「なのにあなたは京都へゆくの」、「若草の髪かざり」などもありますが、私はこの「ひまわりの小径」が一番好きです。

この曲もやや暗めの印象なのですが、それでも何か訴えてくるものがあり、聴き終わると決して暗い曲ではないと言うことが分かると思います。

なお以下もWikipediaから引用させて頂いた情報です。5人グループのことは知りませんでした、小学生だったし。

5人グループとしてスタートしたチェリッシュが、デュオになってリリースした最初のシングル。
但し、レコードジャケットには5人のイラストが描いてある。累計売上は55万枚。

■バス・ストップ
1972年9月、平浩二さんの名曲・大ヒット曲です。
バラード調の落ち着いた美しい曲で、生意気盛りの小学生の私のハートを見事に掴んでくれました。

歌詞に出てくる場面をまったく経験していない人が聞いてもなぜか自分の毎日や人生に当てはめて目頭が熱くなる、そんな気持ちに誘ってくれる曲です。

本当に感動させてくれる素晴らしく美しい曲です。私はカラオケに行くと必ず歌う1曲です。
カラオケの映像では若かりし頃のご本人が美しい女性と遊園地でデートする場面が流れます。
(この遊園地は今は無き川崎市の向ヶ丘遊園です。私が小学校1年生の遠足で行きました。)

平浩二さんは落ち着いた大人の雰囲気があるイケメンで、子供心に「かっこいいお兄さんだな」と思っていましたが、最近ネットでお顔を拝見したのですが、昔と大きくは変わっておらず相変わらずとても素敵なお兄さんでした。

個人的には平浩二さんはヒーローものの主人公が合うフェイスではないかと勝手に思っています。

なお以下のWikipediaの引用情報もどうぞ。

オリコン最高11位、1972~1973年有線リクエスト1位。
楽曲中のバス・ストップの舞台となったのは渋谷駅東口のバスターミナルだった。





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1971年~1972年という時代

これらの時代の曲を多く取り上げてしまいましたが、単に私の好みにあった曲が多かっただけの話しです。
(この2年間はまだ私は小学生でした)

でも時代背景を考えると私がそのように感じた曲が多かった、実際に大ヒットして今でも歌い継がれる曲が多い理由と結び付けられる部分もあります。


この時代は高度経済成長がまだ続いていて「イケイケ!」状態が残っていた。
たとえば新宿西口、港区などに多くの高層ビルがたくさん建設されたのもこの時期だった。

時代の前後を考えると1964年の東京オリンピック、この年の東海道新幹線開通、多くの高速道路建設開始と開通、建設ラッシュ、1970年の大阪での万国博覧会、1972年の札幌冬季オリンピックなど大イベントが目白押しだった。

(Following are reference from Wikipedia.)

いつの時代もこのような大イベントが続き景気が良い時代は音楽や芸術、スポーツも優秀な作品や選手が多く現れる傾向がある。

(関連記事)
日本最初の万博は東京(のはずだった)

だから多くの歌、ドラマ、映画が作られ、作者や出演者も豪華絢爛でお金もたくさんかけることが出来たということもあった。

それらの景気のせいか、この時代から数年間(10年弱)はラジカセやステレオブームが巻き起こり、特にラジカセ関連は殆どのラジオ/オーディオメーカ、そして家電メーカさえも多くのラジカセを発売し、3バンドラジオラジカセ(FM/SW/MW)→大出力アンプ&大口径スピーカー搭載→マイクミキシング/ワイヤレスマイク付きラジカセ→大口径スピーカー&ステレオラジカセなどどんどん製品がエスカレートして行った。

それらをどんどん発売してもどのメーカも売れに売れた。
つまり一般庶民が音楽に気軽に触れる機会が増える→アーティストの作曲意欲も高まる、という循環はあったはずである。

家庭のステレオも今のように棚や机上のちょっとした隙間に置けるようなミニコンポではなくて、大型スピーカー付きのセパレートコンポが当たり前であり、30cmウーファーの3ウェイスピーカーも一般家庭でも珍しくなかった。

設置型ステレオもどんどんエスカレートして4チャンネルステレオ、4チャンネル対応レコード、究極の音質を目指したダイレクトカッティングレコード、2トラサンパチオープンリールデッキなど今じゃ考えられない豪華絢爛商品が溢れていた。

これらも音楽産業にお金をかけることが出来る理由付けとなった。


などなどまだたくさんの理由はあると思いますが、好景気&高度経済成長の時代が多くの名曲を生み出した原因になっているのは事実だと思います。

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私の独断の染みた曲(1973年以降)

■早春の港
1973年1月、南沙織さんの名曲です。
波の音とともに大変に美しく優しいあまり歌謡曲っぽくないメロディです。

子供の私も南沙織さんの美しさ、この曲の優しいメロディにまさにイチコロでした。
TVかラジオで初めて曲を聞いた翌日にはレコードを買っていたほどです。

この曲には波の音が入っていて、通常は(当時は?)大きな籠に砂利や小豆などを入れて籠をゆっくりと揺すった時の音を使っていたと聞いたことがありますが、実はこの曲の波の音は「本物の海の波打ち際の音」だそうです。

昔の会社の先輩で、大学時代にレコード関連会社でアルバイトをしていた人がいたのですが、その人が以下のように教えてくれました。

「こういう効果音はスタジオで籠に小豆または似たようなものを入れて揺すって録音するが、当時のプロデューサーは全てに本物志向の人で、『本当の波の音を採りに行く!』と行ってみんなで三浦半島の突端の方まで録音しに行った。僕は言われたとおりにマイクを波打ち際で構えていた。」

と結構衝撃的な話しをしてくれました。
レコードが発売になって相当な年数が経ってからだったので、この曲の大ファンの私にはものすごく衝撃的でした。

■シング
1973年1月、カーペンターズのあまりにも有名すぎる名曲ですね。
私が生まれて初めて心を奪われた洋楽でした。
詳細は以下の記事をご覧下さい。

カーペンターズ

■街の灯り
1973年6月、堺正章さんの名曲です。
TBSドラマ 「時間ですよ」劇中歌としても大変有名でした。

男性歌手一人で歌う歌としては当時も今も珍しいほど優しさあふれる美しいメロディーです。
「優しい」というとデレデレの恋愛ソングみたいに思ってしまいますが、この曲はそうではありません。

ストーリー性、聞いただけで情景が目の前に浮かぶような臨場感、大変に完成度の高いメロディなどあらゆる面から評価しても今なお最高峰の音楽性を持った名曲だと思います。

この詩の内容のような経験はいまだに私は皆無ですが、聞くとなぜか胸と目頭が熱くなり体が震えだす感覚があります。
何度聞いても本当に心から素敵な曲と思えます。

■心を開いて
1996年5月、ZARDの代表作のひとつですね。
ZARDと言えば「負けないで」が真っ先に頭に浮かぶ人が多いでしょうが、私は「心を開いて」の方が好きかな?と。

ZARDのCDは何枚も持っていて、どの曲も極めて完成度が高いと思います。
ほとんどがメッセージソングですが、私はメッセージソングでも「好きなものと嫌いなもの」がすごくはっきり分かれているのですが、ZARDの場合はもちろん「好きなもの」のほうです。

さりげなく青春、そして人生の1ページを歌っているのが好きなのです。
だから強烈なメッセージ性やインパクトは弱いかもしれませんが、それらを超越して訴えてくるものがあります。

でもボーカルの坂井泉水さんの実に早すぎる逝去には今でも残念でなりません。

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まとめ

ざっと書いてみる、つもりがかなり長くなってしまいました。

でもまだまだ「心に染みた」、「ついつい口ずさんでしまう。」、「カラオケに行くと毎回歌う」という曲は他にもたくさんあります。

本サイトで書いていたらキリがないほどで、それは皆さんも同様に多くの大好きな曲があることでしょう。

 

私の年代、好きなジャンルなど本記事のご訪問者様の嗜好とはまったく異なるかもしれません。

でもそれらを超えて音楽は人を幸せにして感動と勇気を与えるものであることに今後も永遠に変わりはないのです。

また「心に染み入る曲」について機会があれば書きたいと思います。

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2 Responses to “心に染みる曲たち”

  1. 4あほ より:

    千葉県知事の人が歌ってた「さらば涙と言おう」で、
    知事がブタを追っかけるシーンを見たことがあります。
    女の人のスカートの丈がすんごく短かったような気がしました。
    ・・・あれじゃ見えちゃうじゃんみならいかのん

    自分はつい最近まで、「石橋正次=石橋蓮司」と勘違いをしてて、
    「ずいぶん薄くなったんだなぁ」って思ってました。
    よく覚えてないんですが、石橋正次といえば、「アイアンキング」で、
    「ミラーマン」とかに押されちゃってたけど、おもしろい役者さんが出てたから、
    こっちのほうを見ていたような気がします。
    ・・・そういえば「ミラーマン」の人、数字る前に亡くなられたとか…はじめっち

    ブルーシャトウの替え歌は知らなかったっすが、
    うちらん時は「せとワンタン ひぐれ天丼 ゆうな~みこなみそラーメン」
    ってのが校内でものすごく流行ったのっす。
    ・・・ぜねれ~しょんぎゃっぷっすねゆたか

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
    「青い三角定規」ってば、知事から村野武範経由で
    中村雅俊に移行する時に流行ったような気がするのだ。
    ・・・生まれてないけどなのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      4あほ様
      コメントありがとうございます。

      >千葉県知事の人が歌ってた・・・
      →豚を追いかけるは何となく覚えています。
       でもミニスカートのことは覚えていないし、小学生で全然興味なかったのだとも思います。
       あの時代TVに限らず街はミニスカートの女性があふれていたと思います。

      >石橋正次/ミラーマン
      →石橋正次さんは本当にかっこ良いお兄さんでした。
       ミラーマンのあの方が亡くなったのは私もびっくりです。思ったよりも若かったので残念に思います。

      >ブルーシャトウの替え歌
      →これは地域によって今でも歌う小学生がいるそうです。でも本人たちは替え歌の元歌は当然知らないのですが。不思議な文化の継承ですね。

      >青い三角定規
      →村野武範さん、彼もかっこ良かったですね。
       それと確か青い三角定規の一人は自殺されましたね。残念です。

      ご訪問ありがとうございました。
      またおいでくださいね。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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