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北海道・野中温泉ユースホステルの1976年の写真

北海道・野中温泉ユースホステル

 

北海道の道東の山奥の雌阿寒岳麓に「野中温泉ユースホステル(以下、YH)」がありました。

残念ながら2011年3月31日に閉館してその後は足湯設備になったようです。

野中温泉ユースホステルの詳細はこちらをご覧下さい。

大変に交通が不便な場所にも関わらず、1970年~1980年代半ば頃までの夏は大変な数の宿泊者がいて、食堂や大広間に布団を敷いたりしていたのです。

何度も繰り返し訪れる人もいて(私もです。)本当に愛されるYHでした。

1976年の北海道

私が初めて野中温泉YHを訪れたのは生まれて初めての北海道旅行をした1976年(昭和51年) 8月12日でした。

たった1泊でしたが今でも鮮明に覚えています。

そして当サイトの野中温泉YHの記事にご訪問頂いたHORI様から私にとって思い出深い1976年の写真を送って頂けるという大変うれしい出来事がありました!

これはもう感激以外の言葉がありません。
生まれて初めて北海道に行った1976年の写真を見れるなんて!と天にも昇る気持ちです。

私も持っていたその日の野中温泉YHの写真は幾度となる引っ越しなどで紛失してしまい、頭の中にその情景が浮かぶだけという状況でした。

しかもご提供者のHORI様は当時ヘルパーをされていたとの事で、これも驚くほどのご縁だと思います。

つまり私は確実にHORI様にお会いしているのです。

ただ当日の野中温泉YHはものすごい人が泊っていて、多分通常の部屋だけではさばき切れず、大広間なども使っていたはずです。

事実私も通常のYHの部屋ではなくて風呂に行く廊下途中にある和室に泊まったことは覚えています。
確か私含めて4人で私が最年少でした。部屋名(番号)は覚えていませんが。

とにかく人が多い、というのが一番強烈な思い出なので、HORI様とお会いして、もしお話ししていても記憶から飛んでいるのはやむ負えないと思います。

またHORI様からは1973年の北海道周遊券のお写真もご提供して頂いております。
こちらの「1973年の北海道周遊券の写真」の記事もご覧頂ければ幸いです。

1976年の北海道は何処に行っても人が多く、列車も自由席だとだいぶ前から並ばないと絶対に座れないという状況で今のJRの赤字が嘘みたいな時代でした。

世に活気があったとも言えるのでしょうね。

そんな当時の野中温泉の写真を以下にご紹介いたしましょう。



1976年の野中温泉YHの写真

写真をご覧になる上で以下をご了解下さい。

写真は全て当サイトご訪問者様のHORI様からのご厚意によるご提供です。
従って当サイトに無断での転用は一切禁止とさせて頂きます。
何かのサイト等でご利用の場合は以下のお問合せから必ず事前にご連絡下さい。

各写真は撮影時から既に39~45年(2021年基準)という長い年月が経過しております。
画質の補正は可能な限り行っておりますが傷や被写体ブレなどは補正できておりませんがご了承下さい。

各個人のお顔について
当サイトにアップする写真は著作権フリー素材のモデル以外は基本的にお顔にモザイクまたはぼかしを入れております。
しかしながら他の記事でも「撮影から極めて長い年月が経過しており、現在再会しても当該人物を特定不可能。」というものについては事前検討の上お顔にあえてモザイク等は入れておりません。

本記事にアップする野中温泉YHの写真も「極めて長い年月の経過」がありますのでお顔は処理せずにそのままアップします。

懐かしいお顔を見ることが出来ると思いますが、もし問題視される場合は「その詳細の理由」、「関連する法律でのご説明」等と共に「どの写真が」または「XXの写真の左端の人物の顔は出して欲しくない。」などをご記載の上、当サイトの「お問合せ」からメールで連絡をお願いします。

お問合せは以下の場所にあります(今後サイトのデザインを変更する可能性もあり得ます。)

それでは懐かしいあの日をご覧下さい。生まれていないお若い方も服装などから時代背景を知ることが出来ると思います。
すべてクリックで拡大します。


↓これだけは1975年(昭和50年)7月末のようです。御来光登山ですね。

↓1976年7月
右端の北の誉のエプロンはこの年以降も何度も見た記憶があります。

↓以下4枚は1976年8月
もしかしたら写真のフレーム外に私がいたかも・・・?
母さんもお若い。息子さんも・・・。

当時はオーバーオールが流行った時代でもありました。
上の写真( 3枚目)では着衣されているのはお一人だけですが、私が泊まった時にも数人いたのを記憶しています。

またジーンズ全盛でしたね。ベルボトムも流行った時代でした。
今の若い方は「ジーンズなんて年寄臭い」という人もいるそうです。

 

↓多分これも1976年だと思います。
フロント横にあった民芸品店「ウタリ」との事ですが
私は全く覚えていません。人が多すぎて記憶に残っていないのかも?
ウタリとはアイヌ語で仲間、友達という意味だそうです。

↓以下の2枚は1976年9月。オンネトーの湖面が美しい。

↓1977年1月の様子。冬は行くのが本当に大変でしたね。

↓1982年(昭和57年)5月だそうです。
すごく昔なのに、今でも青春を感じるなぁ~。


いかがでしたでしょうか?

当時を知る人から見れば昨日の事のような感覚にもなり、青春の1ページが蘇ってくるはずです。

そして生まれていなかった、幼少過ぎたという方が見れば「こんな時代があったんだ」、「こんな服装だったんだ」とか新鮮味を感じるかもしれません。

写真に写っているほぼすべての方は恐らく現在50代後半以上、人によっては70歳に達していらっしゃるかもしれませんし、他界された方もいるかもしれません。

でも今後も何十年、そして何百年経とうが、記録が消え去ろうが「あの日みんなで北海道野中温泉で過ごした」という事実は永遠に塗り替えられる事はないのです。

私も機会を見つけて野中温泉跡地やオンネトーに出かけてみたいと思います。

最後に改めてHORI様には感謝申し上げます。ありがとうございました。

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2 Responses to “北海道・野中温泉ユースホステルの1976年の写真”

  1. 4あほ より:

    野中温泉には日帰りは四季を通じてときどき行ったことはあるんですが、泊ったのは2回くらいで、
    そのうち一回は「ねこおじさん」(子育てに失敗したというウチの親)と行きまして、
    2階はじっこの「十和田」(だっけ?)の相部屋に泊まって、前日がウトロの「日の当たる家」(ゲストハウスというホテル)だったんで、
    古くって相部屋で大食堂でみんなで夕食に(高齢者なんで)ショックを受けて、
    「こんな山小屋みたいなトコに泊まるなんて…」と(ぶつぶつ)言ってたんですが、
    「ばか!観光地のホテルなんかすぐ飽きるよ!人のいかない観光地じゃないとこが北海道はおもしれぇんだよ」って説教してやった。らば、
    「ここの風呂はキツイけどすごくいい」って何回も入って、若い宿泊客と話し(説教し?)たり…。
    羅臼に帰ってからは、人が仕事行ってる間の一週間、人の車使って、
    日帰りで、山奥の「養老牛からまつ」「川北温泉」「相泊温泉」とかの無料露天はしごしたり、
    どっかの直線道路を法定速度ぶっこえて走ったり、「飲酒3時間ルール」(ってのがむかしはあったらしい:私ルールの可能性も)を適用?して、
    地ビール・地酒(釧路?)飲んだりけっこうウサはらして帰りました。
    ・・・野中温泉で旅行の概念を根底から覆された人間の話ですはじめっち(すべて時効です本人すでに死んでるし)

    むかしの時刻表見るとぉ、(夏場で)阿寒湖から「阿寒バス」4往復、
    足寄から十勝バス2往復(歩くけど)でぇ、すんごく行きにくかったみたいなのですぅ…。
    たぶんみんな車ですぅ…。下手すっと「ヒッチハイク」もバンバンだったかもしれないですぅ…。
    そんな中でも人が住んでて、「上足寄小学校(伊奈にも分校あったとか…僻地4~5級とかいう)とかいう学校があって、
    うちらと文化・生活違うんだなぁと、町とか遊びに行けないなぁってびっくりしましたぁ。
    ・・・冬に阿寒湖から20㎞はたぶん歩かないと思いますぅ…みならいかのん

    オンネトーから先、上螺湾を抜けて螺湾に抜ける道を通るために泊まったことがあるっすが、
    通行止であえなく断念っす。湖の先の露天も目指したんすが、とうとう行けず仕舞いだったっす。
    ・・・今でも通行止かな?っすゆたか

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、
    うちらは写真機を持ったり撮ったりすることが少なくって、
    それは「(在道だから)またいつでも来れる」からって思いもあったのだ。
    記録に残すってのもいいことなのかも…と最近思ったりもするのだ。
    ・・・だども自分の写真は「魂がとられる」からあまし残さないのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      4あほ様
      コメントありがとうございます。北海道をユースで旅したことのある人は殆ど野中の話しが出てきますね。昔の話しですが。

      昔といってもユースを知らない方が泊まると年配の方はびっくり仰天だったと思います。

      若い人でもホテルに慣れていると顔をしかめるかも?

      3時間ルール、名前だけは聞いた事がありますが大変危険ですね。
      今は8時間前に飲んで酒気帯びで事故る輩もいますね。

      昔は色々ありましたよね。
      今では信じられない出来事が特に北海道の旅関連ではありましたね。

      でも札幌に住んでみて驚くのは数は少ないけど若い人のヒッチハイクを何度か見ています。

      うちの車は未だに首都圏ナンバーですが、市内のコンビニで「函館方面」と書かれた紙を持った兄ちゃんが寄ってきて「今からどちらへ?」と言うので「ここから10分の家に帰る」と言ったら「すみません」と言って去って行きました。

      今から首都圏まで帰ると思ったらしく、もし東京に帰る、と言ったら東京まで乗せてくれ!と言われたかも?

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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