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ユースホステルは嫌い!

ユースホステルが好きか嫌いか?

 

ユースホステル(以下YH)は元来「若者が低予算で健全な旅行が出来て、様々な体験を通じて人間としての成長も促す」などが目的の宿泊施設です。

(上記文はYH協会などが正式に発表している文言ではありません。)

実際には宿泊の年齢制限は一切ありません。もちろん国籍も関係ありません。元々はドイツで始まった運動です。

YHの事をご存知ない方はまずこちらの記事をお読み頂ければ幸いです。

しかし上記のような目的で開始されたYHの運動ですが、近年の日本のYHは大きく変わってきているのが事実です。
私は海外のYHは全く知らないのですが、少なくとも日本はYH全盛時代に比べると相当様変わりしてます。

もちろん今でも(日本でも)YH協会が言っているYHの目的は変わっていません。

でも今の日本のYHは単なる安宿、民宿みたいになって来ています。
「安いならば良いじゃないか!」という意見は、提供されるサービスが極端に悪くなければ多くの人が賛同する事でしょう。

しかしYHは嫌われ者になって来ているのが事実なのです。

YH全盛時代(~1980年代後半までくらい)は全国的に多くの若者でYHが賑わっていました。
私もそのうちの一人ですが、YHの良さ、泊って楽しかった事は、

●非常に値段が安く、その時代の1泊2食付きの民宿よりも安いもしくはほぼ同等。

●宿泊者の9割は30歳以下くらいの人ばかりなので、世代が近く同じような話題、旅行の情報交換が気楽に行うことが出来て、名前も知らない1夜の友であっても、とても楽しい会話が直ぐに出来た。
しかもYHは男女別相部屋なので、余計親近感が湧くなど青春の旅に相応しい旅の経験が出来る。

→しかしこれは昔から今に至るまで、このような事が嫌でYHが嫌い、泊らなくなったという人が多いのも事実です。

●夕食後に行われるミーティング(皆で歌ったり、静かにお茶を飲んで旅の情報交換をしたりする)が楽しみの一つでもあった。

などがありました。

しかしいつの間にかYHはこれらを否定されて嫌う人が増えて行ってしまったのです。

 

今は無き北海道・支笏湖YH(極めて古いYHらしい建物。2010年撮影)

ユースホステルが嫌われる・・・

最初にお断りしておきますが、この記事を作成するにあたり私の考えを以下に述べさせて頂きます。
以下本文を続けて読む方は主旨をご理解されたと当方では判断致しますのでご了承ください。

◆私は10~20代中心に(一部30代も)北海道を中心にほぼ全国のYHを泊りました。
ざっと数えて300泊以上泊っています。つまりそれだけYHが好きだったのです。
YHに泊るのが目的での旅もありました。
従って本記事は「途中から嫌いになったなどYHを批判する内容のものではございません。

また昔のYHの素晴らしさを強調し、現在のYHを否定非難するものでもございません。

妻子を持ち今は泊まらなくなりましたが、YH時代の思い出はかけがえのない宝物だと思っています。

◆ずいぶん泊まっていないと言っても、知り合いでYHに泊った方からの情報、そして近年のYHの様子の調査などから昔から今に至るYHの変化を主に書いています。
生意気な言い方で恐縮ですが、YHを骨の髄まで知ったからこそ書ける記事にしたいという思いがあります。

◆私は本格的なヘルパー(YHに住み込んで食事の提供や清掃などを行う人。どちらかと言うとボランティア)はやったことがないのですが、通称”ホスパー”は何度もやっています。
ホスパーというのは宿泊客(YHではホステラーと呼ぶ→今はゲストという)がヘルパーなどと一緒に寝泊まりして、ヘルパーのサポートをしたりする人です。

ホスパーという呼び方は昔でもごく一部のYHでしか通用せず、恐らく現在では通用するYHは皆無と思います。
しかしホスパーをやると極めて短期間であってもヘルパーやYHの裏側を骨の髄まで知ることが出来るのです。
その経験も本記事には生きていると思います。


 

さてYH全盛時代、特に夏や年末年始など各地のYHが連日満員だった頃は、YHに悪い印象を持った人は少なかったのか?と言うと決してそんなことは無いと思います。つまり毛嫌いしていた人も割といたんです。

嫌いなものは嫌い!

YHが嫌い、嫌いになった、泊る前から避けていたという人に言わせれば概ね以下のような理由です。

▼知らない人との相部屋がイヤ。ましてや貴重品ロッカーさえないなんて・・・
当然の気持ちだと思います。1970年代とかYHに人が溢れていた時代でさえそう思う人は非常に多かったはずです。
貴重品はどう管理するかと言うと、カバンに入れたままだと危険なので「枕の下に入れて寝る」、「お札だけ取り出して靴下の中に入れて靴下ごと履いて寝る。(私がよくやった方法)」、「フロントに預ける」などでした。

また相部屋ですが、いくら年齢が近い人が多いと言ってもその日に初めて顔を合わせた人ばかり。
年や趣味が同じだろうが、合わない人は合わない、嫌なものはイヤだと思います。
真夜中の歯ぎしり、いびき、寝言などにも耐える必要があります。

▼金を払って食器を洗え!掃除をしろ! バカにしている!
今のYHは殆どこれらを強要するところは無いようですが、全盛時代の1980年代くらいまではどこのYHでも同じでした。
掃除に関しては乗る列車やバスの時刻などがあるので強く「やれ!」というYHは少なかったのですが(ヘルパーや連泊者が掃除していた)、食器を洗うに関しては何処に行っても当たり前の状況でした。

「このYHは食器は返却口に返すだけで洗わなくて良い」と言われたりすると「へぇ~!」と驚いたもんです。

▼消灯/起床時間がある
考えようによっては他人と相部屋なので仕方ないと考えることも出来ますが、多くのYHの消灯時間は22時、起床時間は6~6時半くらいが多かったです。

放送でこれらの時刻を伝えるだけでなく、YHによってはヘルパーが各部屋を回って来て「おやすみなさい」という一言の直後に電気を消されるなんてよくありました。

また更に強烈なところだと、冬以外は6時半から毎朝ラジオ体操なんてところもあって、「小学校の林間学校かよ!」とYHに染まっていた私でさえそう思いましたね。
でも今は懐かしい思い出?と聞かれると今でもそうは思いません。まあ「ふざけるな!」と思います。

▼酒は厳禁
最近のYHは殆ど全てで飲酒はOK、ビールの自販機も設置されたところが多いようです。
しかし全盛時代のYHは一切の飲酒は厳禁でした。タバコは灰皿のある場所はOK。但し部屋は殆どが禁煙。
未成年でなければ、そして飲み過ぎて具合が悪くなったり暴れたりしなければとも当時でさえ思っていましたが、YHは安宿ではなくて、旅を通して青少年の育成をする場所ですから、飲酒などもってのほか、という考えだったのです。
今でも飲酒厳禁というYHもごく一部に残っているようですが、本当にごく一部のみのようです。

▼飛び込み宿泊厳禁
これは一般のホテルや旅館でも(原則)厳禁の所が多く、宿泊施設側に対して失礼な行為だと思います。
食事の用意の関係もありますが、いきなり「部屋空いてる?」なんてちょっとどうかな?と。

このようなスタイルが「カッコ良い」という風潮が昔も今もあります。

それはテレビの旅番組のせいです。比較的上位のホテルに泊まる番組が多いですが、中には「気まぐれ各駅停車の旅」みたいな企画ほど飛び込みで泊まるという演出が目立ちます。

これらは演出であって実際には事前予約済みで、ホテルのフロントの方には「空き室があるかどうか調べるしぐさをしてもらう」などしているはずです。

上記に「ホテルの飛び込みは原則厳禁」と書いたのは、一般のホテルや旅館では法律により原則宿泊希望客は断れない事になっているので露骨に断られる事があまりないのです。せいぜいやんわりと「本日満室でございます」で終わりです。

しかし昔のYHは露骨に「飛び込みダメ!YHの前や駅前に公衆電話があるからそれで予約電話入れて!」という冷酷な対応をするYHも多々ありました。そしてYHの目の前から電話かけたら「今日は満室です」と言われたとかも聞いたことがあります。

これで相当ブチ切れた人もいたと思います。YHがどういうものか熟知していない人ほどこういう事をしますし、余計頭に来ると思います。そして「2度とYHは泊まらない」と心に誓うのです。

▼設備、寝具が不潔なところがある
これは建物が新しくても不潔なYHは多かったです。
それは「ちゃんと掃除していない」からに他なりません。YHの掃除は殆どがヘルパーや連泊者などがするのですが、少ない学生アルバイト(実際はボランティア)で「館内全て掃除する」、「布団を干す」、「食事を作る」、「買い出しに行く」など熟すのは最初から不可能です。

だから特に布団なんて(ベッドも含め)何ヵ月どころか何年も干していないので湿った感じがする、カビ臭い、敷布団をめくったら虫の死骸があった、なんて所が多かったのも事実です。

 

そしてYHは就寝時にスリーピングシーツという特殊なシーツを使う必要があります。(今は無いのか?或いは一部などかも?)

これは封筒状になっていて、その中に体を入れて寝ます。枕を入れる小さめの袋も一体化しています。
これにより布団や枕を汚さず、一体化したシーツだけを取り換えればよいわけですし、敷布団用のシーツと掛け布団の布団カバー、枕カバーという3点セットが不要なので実に合理的と言えます。
(但し夏は暑くて無意識に暴れて破いたりすることもあった。)

YHでは1回(宿泊している期間が1回と数える。3泊しても1回借りるの意味)に付き100円で貸してくれますが、YH協会で売っているシーツを購入するか、或いは手製のマイシーツを持参して使っても構いません。
条件は「必ずスリーピングシーツを使うこと」だけです。

 

そして借りるシーツはホテルのシーツや枕カバーと同じく、YHに返却後に洗濯をしてまた貸出品として利用されます。
当然の流れですが、実はこの当然が行われていない事例がいくつもあったそうです。

それは宿泊者には分からないのですが、ちょっと親しくなったヘルパーなどから聞いたことがあるのですが、一部のYHで

スリーピングシーツの洗濯はせずに、アイロンのプレスだけで再貸与する。

ということでした。

借りるスリーピングシーツはYHにもよりますが、異常なほど糊が効いていてパリパリのシーツがよくあります。
剥がそうとするとべりッという音がするほどです。

このようなシーツも洗濯してあるかしてないかは利用者にはほぼ分かりません。

プレスと言っても家庭用の小さなアイロンではなくて、業務用のズボンプレッサーみたいなものでアイロンをかけているYHも多くあります。

また糊を使わなくても、霧吹きで水を吹いて業務用の強力なアイロンでジュ、とプレスするだけでパリパリに仕上がるそうです。

もちろん毎回きちんと洗濯しているYHの方が多いとは思います。
しかしこのようにして手抜きしている所も多々あったそうです。
理由はもちろん「手間とお金の節約」です。

よほどの汚染でなければ高温のプレスだけでもある程度の衛生は保たれると思いますが、でもこのような裏話を聞くとシーツを持参するしないに関係なくYHに行きたくなくなりますよね。

でも普通に泊っていればこんな情報を耳にする事はまずありません。

 

それに何度も見ましたが、学生アルバイトのヘルパー連中はすごく真面目に黙々と仕事をする人もいれば、ヘルパー同士でヘラヘラして殆ど手を動かさない、なんていう人たちもたくさん見ました。
唯一きちんとやっていたのは食事の準備くらいでした。これだけはやらないわけには行きませんからね。

YHの経営者/管理者はペアレントというのですが(今はマネージャーというらしい)、ペアレント自ら掃除もするとかのYHだとわりとヘルパーはきちんとやっていて、徹底的に掃除もします。

だからYH全てが不潔とかという事はないのですが、少なくても昔はそういうところが多かったのは事実なのです。

ミーティングがイヤ
夕食後に「ミーティング」というものをやるYHが多かったです。
今も一部のYHはやっているようですが基本は夕食後に「お茶を用意したのでご自由にどうぞ」というものです。
しかし全盛時代のYHのミーティングは「お茶を飲んでご自由に」もありましたが、以下のような凄まじいイベントが連日繰り返されたのでした。

・宿泊者全員が食堂などに集まり、ヘルパーがギターを弾いて全員で歌う。
歌う曲の殆どはフォークソングが多く、手作りの歌詞集を用意しているYHも多かったし、壁に模造紙に歌詞を書いて貼っていたりもした。

・全員でゲームをやったり、バカげた踊りを踊ったりする。
これも色々、無数にあったのですが、踊りと言ってもそのYHが独自に作ったもの(多くはヘルパーが考えたもの)で、やっていて恥ずかしくなるようなものばかりでした。でも今でいう下ネタ系は一度も見聞きしたことはありません。
よくもまあ、こんな馬鹿げた下らない事をするのかと、当時ミーティングが好きだった私でさえ呆れ、恥ずかしくなったものでした。

 

様々な形態のミーティングがあり、全く行わないYHもありましたが、個人的にはYHのミーティングは好きでした。
しかし同時に「嫌いな人も多いよな・・・」とも思っていました。事実同室の人で「俺はミーティングは嫌いだから出ない。お茶を出してあとはご自由に、という場合だけ明日の旅程を立てたりするために出るが。」と言っていた人もいました。

その気持ちはよく分かります。いくら若いからと言っても18~30歳くらいの人がデカい声で歌って、バカげた踊りを踊るなんてアホらしくてやってられないと普通は思います。

当時でさえこのような絶叫の歌唱、バカ騒ぎなどをYHでやるのは日本だけだったそうです。
海外からのホステラーも多く見ましたが、バカ騒ぎミーティングのYHではとりあえず顔は出すけれど明らかに呆れているという表情の人もいましたね。

 

今考えると昔のバカ騒ぎミーティングは実に滑稽で恥ずかしく、それを楽しんでやっていた自分自身を今思い出しても恥ずかしくなったりします。(自分自身のことは年を取ったからというのも理由ですが)

そして大騒ぎの〆は大抵全員で円陣、肩を組んで体を左右に揺らしながら「*遠い世界に」を絶叫して終り、というパターンが多くのYHで行われていました。

*遠い世界に:1968年にリリースされた「五つの赤い風船」というフォークグループが歌った曲。大変な大ヒットになり、中学の音楽の教科書にも使用された。詳細を知りたい方はこちらをどうぞ。YouTubeにも上がっているようです。

近年のYHと今後の予想

私が一番多く泊った地域は北海道で非常に多くのYHがありました。
しかしYH協会のサイトを見ると驚くほど数が少なくなってしまい、特に1970年代後半~1980年代前半に話題になったYHは礼文島の桃岩荘摩周湖YH室蘭YHを除き全て無くなってしまったという感じです。(2023年9月確認時。他にもあるかな?)

建物が昔のまま残っていてもYH協会から離脱して独自に民宿などに形態変化した元YHがいくつもあるようです。
例えば札幌駅北口直ぐの「旧札幌ハウス」なども一例ですね。

 

以下は2023年8月撮影の旧札幌ハウスYHを写したGoogleストリートビューからの切出しです。
建物名の「北海道青年会館」は変わっていませんが、現在の施設名は「札幌ハウスセミナーセンター」になっています。
(現在は当面休館だそうです。)

サイト様はこちらですが、サイト名に「yh」が入っている事に驚くと同時に文を読むと「昭和27年(1952年)7月」開設という古さに圧倒されます!

つまり2023年基準で築71年という事になります!
途中で建直したとかの情報は無いようですし、1980年頃に私が初めて泊まった時もこの建物でした。
ふつう鉄筋コンクリートのある程度の規模の建物は築50数年超は当たり前なので、この札幌ハウスも恐らく昭和27年築のものを使っていると思います。

よくもっているなと思いますし、私が若かりし頃に泊った姿と外観は全く変わっておらず嬉しいやら驚くやら、という感じです。

場所はこちらで札幌駅から本当に目と鼻の先の場所です。

 

【2023年10月1日加筆】

弊サイトのご訪問者様から次の情報を頂きましたので記しておきます。
ありがとうございました。

現在の建物は1974年7月完成。2023年基準で築49年。
その前は別の場所にあったとかの記録もあるそうです。


↓クリックで別タブで開き拡大表示されます。

 

近年は各地に新しいYHが建設され、一見するとペンションかプチホテル、というほど綺麗で立派な建物が多くなりました。

そしてかなり古い建物を流用しているところもありますが、今でも通用するように内外共に綺麗になり、設備も現代風になっています。

しかも昔のような古いしきたりのYHは絶滅危惧種状態にまで激減してしまったので、泊る方としてはとても気持ちよく利用出来ることでしょう。

 

さて今後私が独断と偏見で予想するYHの将来?ですが、非常に偏った見方をすると以下のようになって行くのかな?と思います。

あくまでも根拠がなく自分の経験や世の中の状況などから勝手に想像しただけの話しです。もちろん日本国内のYHに限った想像です。

*築年数が浅い新しいYHは建物の次の大きな修理までは存続する。但し途中からYH協会を離脱して独自経営または他人に譲渡する可能性が高い。

*築年数が古く、大修理が迫っているYHはそのまま閉館。

*建物の状況に関係なく、宿泊者数の更なる減少と運転資金の枯渇などで悩むYHは閉鎖そして譲渡の可能性大。
YHにより建物や土地のいずれか、若しくは両方が貸与のYHは契約期限またはその前に閉鎖となると思う。
なお更地にして返却とかの条件の場合、資金が厳しいYHは建物付きの譲渡が出来なければ、廃墟のように放置されてしまうかもしれない。

*10~20年後でも一部を除きYHは存続して行くと思うが、その前途は大変に厳しいと思われるので、更なる営業形態の変更や、YH協会としても様々な規約を変えなければならないと思う。

例えば、

・家族扱いとして、夫婦でない男女カップルも同室に出来るようにする。
トランスジェンダーの対応も時代に合わせていく必要がある。
・周辺に飲食店街がある場所のYHでは門限時間等を緩和する。
・メディアを利用してある程度の広告宣伝費を使う必要に迫られる。
・古い建物でも清掃はビジネスホテル並みにする必要が生じて来るはずなので、その費用の捻出が必要となる。
場合により宿泊費以外に副収入が得られる手立てを考えなくてはいけないかもしれない。
・食事提供が出来ないYHも存在するが、そういうところは更なる料金の引き下げが必要かもしれない。

など他にも色々と考えられるとは思います。

となると本来のYHとは全く異なったものになってしまい、それこそ単なる安宿になってしまいます。
しかし青少年の健全な育成とか言っても、資金が無ければ運営の継続は出来ませんので、今まで各YHがあまり力を注いでこなかった経営を前面に出さなくては行けなくなると思います。

今のYHは2食付きの料金でも民宿や安いペンションなどと殆ど変わらず、それでいて知らない人からは「何となく面倒くさそう。一般の民宿かビジネスホテルにしておこう・・・」というパターンが多いはずです。

 

また時代と共に人の考え方も大きく変わって来ていて、「知らない人に話しかけられたくない」、「お金を払っているのだからは話しかけず自由にしてほしい」というのが多くの考えでしょう。

例えば服を買いに行ったり、家電を買いに行って売り場であれこれ品定めしている時に店員がしつこく言い寄ってくる、ずっと付いてくるなどは誰でも非常に不愉快に思い、お店側が意図的に「こちらからはお声をおかけいたしません」と張り紙を出している店さえあります。

私でさえ20代まではあんなにYHが好きだったのに、今では年齢や家族のこともありますが、ビジネスホテル一択という感じです。

ペンションは泊った事はありませんが、色々とオーナーが話しかけて来るのは億劫ですし、お店で店員が話しかけて来るのも非常に不快に思います。

もちろんご年配になってもそういうコミュニケーションを希望される人もいらっしゃいますが、大多数は「一人にしておいて」という人の方が多いはずです。

 

ですから宿側、お店側が「フレンドリーを心がけています」というのはウリにはならない時代だと思います。
将来的に話しかけて馴れ馴れしいのが好き!という人が増えるとも思えません。

となると接客のみならず、利用料金、清潔さ含めてYHは非常に大きな方向転換をしなければならないのは間違いないはずです。

ただ個人的には形態が変わっても自分の青春をより充実するものにしてくれ、人生も変えてくれたYHが無くなる事だけは勘弁願いたいと思っています。

唯一変わらないもの、それは旅をする喜び、楽しさだと思うのです。

 

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12 Responses to “ユースホステルは嫌い!”

  1. んにゃ より:

    今建ってる札幌ハウスは1974年7月に建て替えたものです。なので築で言うと今49年超・・・それでもまぁ結構な経年数だけど。それ以前は現在位置とは別の場所に建っていたとの記録があるようですよ。
    今、宿泊やっていないとなると近いうちに閉鎖しちゃうのかも?。

    • kaikoshumi より:

      んにゃ様
      コメントありがとうございます。
      1974年建替えですか。さすがに71年はどうかなと思っていましたが内外装を工事すれば十分にあり得る年数だと思っていました。
      それでも約50年ですし、建物の規模そして場所を考えた固定資産税などからすると今後の維持はかなり難しく感じます。
      この施設に限らず休館中という建物は非常に多く、閉鎖の前兆の可能性は高いと思います。
      YH、そして研修施設などは衰退が止まらないようなので仕方ないとは思います。
      札幌の宿泊施設ではホテルの部屋数が足りなくて困っているのに皮肉なもんです。

      (記事に加筆しておきます。)

  2. キュア梅盛 より:

    札幌ハウスは2回泊りましたが、駅から近く(ビックカメラもヨドバシも近いし、すすき野に行くにも便利)非常に使い勝手の良い、但し駐車場(目の前の民営)がメチャ高いのと飯がまずい事を除けば自分的にはOKな所でしたが、何故かYH全盛期の頃「ミーティングが無い」というだけで不人気ワースト1でした。

    まあ、ミーティングも出たくない人に対して強制する様なバカげた所(以前にも書きましたが、「横浜線の小机と中山の間の駅と同じ名称のYH」)があったり、団塊世代の常連が飛行機や特急(新幹線を含む)出来た人を「総括する」(「急行八甲田の自由席で何故来ない?」などと吊し上げる)など皆から嫌われる要因をかなり持っていたというマイナス面が現在の「崩壊寸前までの衰退」に至った原因だったかと。

    • kaikoshumi より:

      キュア梅盛様
      コメントありがとうございます。おっしゃること、まさにその通りと思います。
      昔は好き嫌いの激しいミーティングについて、「無いYHは行きたくない」という人は多く聞きましたが、「ミーティングが無いから行きたい」という話しは聞いた記憶がありません。
      それでいて実際ミーティングに出ると「最悪だった。ここは2度と泊まらない」という人はいました。

      「総括」、「吊し上げ」、そうですねこのような言い方もあっていたかもしれません。
      しかもミーティングで大勢の前でヘルパーにそんなこと言われれば腹が立ちます。
      ヘルパーは笑いながら「特急乗っちゃった人、手を上げて!」なんて言いますが、渋々手を上げると笑いながらでも「根性ない」とか「ホステラーらしくない」なんていうヘルパーもいました。
      こういう積み重ねが衰退の一因でもありますね。

      今はそんなことないでしょうが、でも現在のYH数や利用率などからもう手の施しようがない、という感じもします。
      でも今の形式のYHが完全に姿を消したら自分の青春の思い出も消えるようで悲しいです。

  3. 3あほ より:

    うちらは最盛期?を過ぎた86年初登録で、バカ騒ぎも変なミーティングもなかったですし、
    どちらかというと、お茶・コーヒー・酒飲みながら話をするってのがミーティングの主流でした。
    つまり「骨の髄までYHを知り」ませんから、悪い思い出は…っていうと、
    あまりないかなぁ、うちらんイビキがうるさくて、同室者に頭から布団ありったけかぶせられてとか、
    酔っぱらって、「もう二度と来ないでください」と言われたことや、
    よくわからない(周りに聞いてもわからない」琴線に触れたらしくってPさんに
    ものすごい怒鳴られまくられたこと以外…あっ、うちらが半分以上悪いことばっかだぁ、あはは。
    ・・・お聞き苦しい点が多々ありましたはじめっち

    消灯時間なんかは、あらかじめ承知しておけば、全く問題なかったっすね。
    ミーティングがあってもなくても、自分たちにあった「ミーティング」を部屋でやったり、
    気の合った宿泊者とコーヒーカップ持って玄関で話したり、
    そんなミニ集会?にあろうことかPさんが入ってきたりと、自由だったと思うっすよ。
    ・・・ミーティングでバカ騒ぎしてたらお話とかできないじゃんっすゆたかダカラ自分らで作るんす

    しっつもんですぅ~…。ミーティングに出ないで老化とかで話してたりしたらばぁ、
    「村八分の刑」とかに処されるんですかぁ?そういうのはなかったですぅ…。
    ・・・でもそういうことしてても「女の子」だけは盛んに誘いに来てたって2じじぃは言ってますぅ…みならいかのん

    • kaikoshumi より:

      3あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      86年ですか、となるとYH人気が下降し始めていますね。一部では絶望的まで落ちていたと思います。
      ミーティングはもちろん、たった1夜であっても様々な事を経験しました。非常に大雑把に言って私の場合は「8割楽しかった」、「残りは1割は不愉快、もう1割は特に感想無し」かなと思います。

      思い出すとお茶とコーヒーを出すからご自由にというのと、静かにヘルパーがギターを弾いて静かに歌うくらいが丁度良かったと。
      とんでもなく声が枯れるほどのバカ騒ぎは私もある意味ガキンチョだったから楽しかったんですね。体力もあったし。今じゃ始まって3分でゼーゼー言いそうです。

      ミーティングに出ないと・・・ 
      村八分というYH(その時のヘルパーによりますが)もあったと思います。でも自分は率先して出ていたので記憶にありません。
      でも食堂の端の方でミーティングに参加せず数人で集まって話しをしていた人たちは何度も見ています。
      「女の子への誘い」、これはもううんざりというほどでしたね。ミーティングに関係なく、目を付けた女子がいると食事の時にわざと対面に座る、食事やミーティングの時にカメラを持参して無理やり笑わせて写真を撮って「送るから住所教えてよ~」攻撃はしょっちゅう見ました。

      あの頃の独特なYHの雰囲気とかもあって住所教える女の子が殆どだったと思います。「イヤです」と言われた人は滅多にいないんじゃないかな・・・
      そして帰宅後写真送って、「今度会おうよ」と言って全て無視されるか「彼と一緒ならば」とか言われて深い海底に撃沈されるのでした。(私ではありません)

  4. 浜のヨースケ より:

    管理人様

    こんばんは!
    久しぶりにユースホステルの話題が載り、いろいろな感想や指摘を拝読し、元ヘルパーの端くれとして、くすぐったい気持ちです。
    先日には、NHKで礼文島の桃岩荘が放映されましたね。
    相変わらずの賑やかさに僕は付いていけませんが、現役ユースとして頑張っている姿には脱帽です。
    今後も、ユースホステルの追記事をよろしくお願いします!

    • kaikoshumi より:

      浜のヨースケ様
      コメントありがとうございます。
      本文でも書いたように今やYHは風前の灯火、過去から現在もTVはもちろんネットでさえ広告をして来なったのも理由の一つでしょう。
      もちろんYH個別広告なんて無理ですがせめてJYHが全体の広告をしてくれればと思います。
      桃岩は例外中の例外ですね。なんかYH全体が静かに終息して行くように思えて寂しくなります。

  5. もうひとつの2あほ より:

    「総括」「つるし上げ」「粛清」とか、なんか赤軍派みたいな感じですぅ…知らないけど。
    ・・・「総括」って「ソースかつ重」のことだと思ってましたぁ…みならいかのん

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、むかしはバスを使って集団で北海道とかを回る、
    「ホステリングバス」とかいうのがあったらしくって(「青春の落葉」さんというブログさんにたくさん書いてあったのだ)、
    泊まる宿泊施設の「ヤングセンター」?とか「ユースセンター」とかには、
    ゲームコーナーとか卓球台とか娯楽施設もなかっただろうし、友好を深める模様氏として、
    歌・ゲームを取り入れた「ミーティング」が導入されて、それ等を経験してノウハウを持ち帰った方々が、ヘルパーさんとかになって、そのやり方が全国に広まったんかなぁ…とか思うのだ。
    1950年ごろから始まったユースの中には、もしかしたらミーティングはそれぞれいろんな形式があったのかも…とか想像するのだ。
    ・・・あくまで想像なのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      もうひとつの2あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      そういえばバスツアー、思い出しました。ありましたね。私は参加はしませんが広告を数度見ました。

      でもこれは無理があるかな?と当時も思っていました。
      だってユースですからね。

      きっとユース人気が下降して来て始めたのかな?とも思うし、ユース全盛期にイケイケでやっていた可能性もあります。

      恐らくこのツアーに参加する人の殆どはユース未経験者のはずなので、きっと「ユースって面倒くさい。二度と泊まりたくない」と思ったと思いました。

      当時旅館やホテルよりも安かったとはいえ、一般の方からはなかなかユースは理解してもらえないと思うのです。

      まあ協会も色々宿泊者を増やすことを考えてはいたと思いますが。

  6. コ・ニャンコ博士 より:

    こんにちは。
    「夢舎」に続いて2回目のコメントになります。
    あまり「旅人宿」を考察するブログ自体少ない中で、過去の経験を踏まえた記事の内容は、今後の宿選びや旅人宿文化の考察のためにとても参考になっています。本当にありがとうございます。

    【お店側が「フレンドリーを心がけています」というのはウリにはならない時代だと思います。
    将来的に話しかけて馴れ馴れしいのが好き!という人が増えるとも思えません。
    となると接客のみならず、利用料金、清潔さ含めてYHは非常に大きな方向転換をしなければならないのは間違いないはずです。】

    至極真っ当な意見であり、自分も100%同意します。
    旧態依然が抜けられなくなっていることがYH衰退の最大の理由ではないでしょうか。
    特に自分は、新しい旅人をターゲットとするために、接客部分の改善が必要だと強く考えております。
    そのように思うきっかけとなった出来事が今年の夏にありました。

    新婚旅行で北海道の道の駅のスタンプを全駅集めるために、約2週間の北海道旅行の旅程を組みました。
    自分と出会うまではあまり旅をした経験のない妻の意見も聞きつつ、ちょっと高めの旅館・ペンション・温泉ホテルからYH・とほ宿・民宿まで、飽きないように色々な形態の宿を予約しました。
    その中で、道内のとあるYHを予約しました。そこは自分も訪れるのは初めてでしたが、オーナーの趣味が自分と共通する部分もあり前々から泊まってみたかったこと、宿のホームページやレビューから個室があり夫婦で訪れても問題なさそうなこと、コスト的にも周辺地域の他の宿より安かったことが予約の決め手で、予約も問題なく受け入れられました。
    実際、ある程度の規模の地方都市周辺であればビジネス向けのホテルや民宿の方が安い例が多いですが、そうした街から離れた地域で費用比較するとまだまだYHが勝っているところも多い印象です。

    しかし当日、道中で2回の突発的なトラブルに見舞われました。
    1回目のトラブルの際、もしかすると夕食の時間までにチェックインできない可能性もあったことから、早めに伝えた方が良いと思いその時点で1度YHに連絡を入れました。その際に「今電話されても当日キャンセル扱いになるので、頑張って来れたら来て」という風に言われましたが、30分くらいでトラブルが解決しほぼ当初の予定通り宿には着けそうな見込みになったのでまた連絡を入れました。
    ただ夕方、更に別なトラブルがありました。これは車に起因するもので、解決に2時間程度要するものでした。
    その時点で夕食の時間までには間に合わないと確定したことから改めて宿にその旨を伝え、当初の予定から3時間ほど遅れた20時半頃に到着しました。

    宿に入り開口一番、2人のPAから挨拶もなく、
    「当然この時間からの夕食は提供できない」
    「うちは14時から夕食を仕込んでいる」
    「もう夕食が出来かけている夕方に電話されても遅い、おいおいとしか言えない」
    と告げられました。
    ここまでは至極最もな意見であり、こちらも謝罪しつつ2食分の宿代を支払いましたが、まるでこちらが時間を守れない迷惑なホステラーと思ったのか、話の最後に「朝ごはんは7時からなので」と嫌味のように3回も繰り返し伝えられた他、着替えを取りに1度車へ戻った時にちょうどPAが外で煙草を吸っていたところに出くわし、改めて謝罪したかったのと、それとは別に聞きたいことがあったので話しかけたのですが、しつこく「遅れた理由はなんだったのか」と問いただし、確か電話口で話したような気はしつつも改めて説明すると「違うんじゃないか」「貴方が電話してきたとき、気が動転してるように見えて…」と一方的に宿側の思いを伝えられこちらを信用していただけなかったので、さすがに我慢ならず話の途中で部屋に戻ってしまいました。
    朝の見送りは当然かもしれませんがありませんでした。まあ今ではやってないところも多いのかもしれませんが…。

    確かに、悪いのは全て自分たちです。
    間に合わないのが確定した訳ではないのに1回目のトラブルの際に先走って電話し、最終的に3回も電話して宿を混乱させたことも悪手でした。それは屋外の場面でもハッキリ言われました。
    とはいえ、17時半に着くはずの客が20時半に到着していることからも、こちらの疲労をもう少し鑑みていただけても良かったのではないかと思うのは甘えでしょうか。ましてやお金を払いたくないとか、この時間から食べられないのか、などこちらから苦情を付けているのなら言い返されて当然と思いますが、サービスへの対価は支払っているので、宿側に相対的な損害はなく、それ以上の苦情を受け付ける責務はないはずです。

    食品衛生法など各種法令も昔より厳しくなり、また多くのYHが少人数で運営している以上、こうしたホステラーとのやり取りに臨機応変に対応していたいただくことはYHの基本理念から逸脱したホステラー側の単なるわがままであり、自分自身もそれは望みません。
    コストも、都心部の安価なビジホなどと比べると劣るかもしれませんが、そういう場所には場所なりのリスク、例えば清潔度が低かったり、日本なのに日本語が通じないなどの問題があります。昨今、Googlemapなどで様々な宿を見るとそうした点に劣る宿も散見されることから、仰るように改善すべき点はあるのかもしれませんが、自分としてはこれまで利用してきた中でそのような面では不快に思うことはなかったので、北海道の多くのYH・とほ宿はある程度の水準までは頑張っているとも感じています。

    しかし、接客、とどのつまりホステラーを迎え入れるためのホスピタリティは変える余地があるとこの件から強く思いました。
    またこの宿に泊まりたいと思うのは、そう思うだけのホスピタリティを受けたからではないでしょうか。
    それがこれまでのYHでは、PAの力だけでなくホステラー同士の交流により生み出されてきましたが、仰る通り交流を生み出すことが困難になってきた昨今では、PAのホスピタリティが試される時代になってきたのではないかと考えます。
    特に、ある程度のホスピタリティは「お金」と「人員」と「設備」を使えば生み出せるものです。
    少し前にリッツカールトンの広告動画が炎上したことが話題となっており、少し本筋から逸れた引用にはなりますが、リッツカールトンが謳ったあのようなサービスも「お金」とそれを生み出すだけの「人員」、そしてそれを演出ための「設備」が揃ってこそのものであり、残念ながらYHには、ホスピタリティを生み出せるだけの材料を集める余力はありません。
    それなら何を以てホスピタリティを生み出すのか考えてみると、それはPAの「言葉のチカラ」ではないでしょうか。

    「言葉のチカラ」というのものは目に見えずとも大きく、言った方は何気なく発した言葉も、言われた方は意外と記憶しているものです。
    例えば「お疲れ様でした」「おかえりなさい」などのホスピタリティに富んだ言葉を以て受け入れられるのなら、たとえトラブルを背負った身でこのYHを利用しても、印象は全く違ったものになっていたことでしょう。
    自分自身、この世界にハマるきっかけになったのはあるとほ宿での宿泊者同士や宿主との交流であり、「言葉のチカラ」によるものであったと考えています。
    幸い、そのあとに宿泊した塩狩ヒュッテYH、道東のとほ宿はそうした「言葉のチカラ」によるホスピタリティ溢れた宿で安心して過ごすことができ、最終的には妻も「またYHやとほ宿に泊まってもいい」と言ってくれたので安心しましたが、自分自身独身時代から40泊以上YHやとほ宿に泊まり、ブログ主様も苦言を呈されるような一部常連の悪行に少しうんざりしたことはあったけれども宿自体に嫌悪感を抱いたことはなかったのに、せっかく初めて夫婦で宿泊したYHが「言葉のチカラ」により嫌悪感を抱くものとなってしまったことは残念極まりありません。

    自分が冒頭で「旧態依然が抜けられなくなっている」と書いたのは、ホスピタリティの部分が各ホステラーに依存してきたこれまでのYH全体の経営方針を未だに引きずっているからこそ、ホステラーに寄り添ったホスピタリティを与えられていないと思ったことが1番の理由です。

    こうして思うことを誰かに話しても自分たちの世代はそもそもほとんどYHなどの旅人宿に宿泊した経験がなく、「夕食を食べられるように交渉すべきだったのでは」などと的はずれな意見ばかりで自分の思いを完全に吐露できる機会がなくモヤモヤしていましたが、こうしてYHの今後を見据えるような意見を書いていただいたことで、自分もその思いからは少し逸脱しているかもしれませんが、今のYHに思うことを120%書くことができました。
    長々と大変失礼しました。ありがとうございました。

    • kaikoshumi より:

      コ・ニャンコ博士様
      コメントありがとうございます。そしてご結婚おめでとうございます。
      YHっぽい変な宿、に泊った経験は私は実は夢舎しかないのですが、そこで知り合った連中とは今でも一部繋がっていますし、当時知り合った方の家に泊めてもらったこともありました。
      そして彼らからも大変多くの貴重な話しを聞くことが出来て、今の私の感じ方や情報源になっています。

      本記事に関しては実はかなりオブラートに包んだ柔らかい表現を多用しています。
      YHに泊らなくなった私には今更あーだこーだ言う資格も無いとは思うんですが、今の考えをズバッというと、

      ・昔のYHを懐かしんでも意味がないし、今の時代に昔の全盛期のYHを取り入れても100%受け入れられない。

      ・現在運営しているYHが頑張って既存のホテルや旅館に対抗しようとしても価格以外に対抗出来る内容は皆無。
       但しYHが安いと言っても今の人は様々な中身を知れば安いホテルを選択するはず。

      ・今のYHのPさん、ヘルパーなどのスタッフは本来のYHを知らない。(昔のバカ騒ぎを知らないという意味ではありません)
       だからYH側も「この値段でメシも出して泊めてやっているんだ。」という気持ちがあるのではないか?
       その結果一部のYHで問題になる「横柄であった」、「不快であった」などの意見が出て来るのだろうと思う。

      ・YHも時代と共に改革・変革が必要であるが、IYHの精神、つまり「旅を通して青少年の健全な育成」という呪縛から逃れることは出来ず、逃れたらIYH/JYHを脱退して単なる安宿に成り下がるしか道は無くなる。

       → 改革と言ってもYH運動から外れることは出来ないので、結局利用者を増やす方策はYHを止めて安宿にするしか方法は無いと考えます。
        YHは私の青春そのものであり、大好きでしたが非常に残念と思いつつそう遠くない将来(少なくても日本からは)YHは消え去る気がします。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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