Sponsored Link

大ヒットした暗くて悲しい曲

ヒット曲は明るい曲ばかりではない

 

時代年代、老若男女問わず支持されてヒットした曲は多くの場合、「明るく希望を持てる曲」、「心に染み入る歌詞」などであり、歌手そのものの人気でヒットするとは限らないのです。

だから無名の歌手がたった1曲だけ大ヒットを飛ばし、その次の曲からは鳴かず飛ばずとなり、後年口の悪い人から「偉大な一発屋」とか言われてしまう事もあります。

しかし大ヒットした曲の中には【とても暗い歌詞とメロディー】、【聞いていて絶望を感じる】、【メロディーは良いが歌詞は相反して暗い】など本来であればヒット要因にならない曲が多く含まれています。

それらを本記事ではご紹介したいと思います。
かなり前の曲も含まれていますが、現在10~20代の方も「聞いたことがある」など感じてくださる曲もあるはずです。

主な暗くて悲しいヒット曲

具体的な曲をご紹介しますが、年代順や暗さのランク付けなどはしておりません。
私の頭の中で浮かんだ順に適当に書いておりますのでご了承下さい。また本記事はそれらの曲を貶すつもりは毛頭ございません。立派な時代を作った作品としてむしろ尊敬しておりますし、今後も受け継がれていくことを私は強く希望いたします。


注意:歌詞をそのまま載せるのは著作権法に抵触する可能性がありますので、本記事では歌詞を一曲分、または1番だけの歌詞を載せるという行為は一切致しません。

また歌詞のフレーズをご紹介する部分も、本来の歌詞そのものではなくて、その部分の意味をかいつまんで表現している個所もございます。ご了承くださいませ。

どうしても曲の全歌詞を知りたい方は検索すれば正規の音楽情報サイトが載せていますので、そちらをご参照下さい。


神田川:南こうせつとかぐや姫
1973年(昭和48年)に発売されて空前の大ヒットとなった曲です。
アーチストは「南こうせつとかぐや姫」(後に「かぐや姫」に改名)で、現在でも様々なTV番組などで使われていたり、FMで流れることもありますのでお若い方もご存知の方が多いのでは、と思います。

歌詞はどうやら「三畳一間の下宿」に同棲している二人が、風呂が無いらしく横丁の風呂屋によく行っていた。
でもいつも女性が外で待たされて、せっかく洗った髪が芯まで冷えてしまった、など暗さ満載です。

そして彼氏は彼女の指先を見つめて「寂しいかい?」と聞く。そこまで言うか、やるか、と思いますが、このお二人は3畳一間の下宿生活以上の何か悲しく苦しいことを抱えていたのではと思われます。

そしてこれらの暗い歌詞がまた泣きたくなるような暗いメロディーとピッタリなのです。
本来であれば暗く悲しく聞きたくないような曲に仕上がったとも言えますが、逆にとことん暗く仕上げた事が人々の心に突き刺さり、一度聴いたら忘れられなくなってしまうという独特な魅力になっていたのかもしれません。

 

さて結婚前の男女が共に暮らす、つまり同棲ですが、実は1970年代前半は社会的に同棲が流行った時代だったのです。
実際に一緒に住んだカップルがどのくらいいたかは全く分かりませんが、少なくても「同棲」という言葉は一種の社会現象でもありました。

今の時代は同棲という言葉は殆ど使われないようですが、現在の同棲カップルは暗いイメージは殆ど感じないと思います。
それどころか結婚という2文字に縛られずに気楽に二人の生活を楽しんでいる、若しくは近い将来結婚をするので、その前段階として一緒に暮らしていて、毎日がとても楽しい、というカップルが殆どでしょう。

しかし1970年代(1960年代からかもしれないが)の同棲の2文字は【暗く、貧しく、悲しく、将来も絶望的】でないといけなかったのです!

決して「・・・でなければならない」なんていう決まりはありませんが、メディアがそのように仕向けて商業価値として高めて行ったのは事実です。もちろん当時だって同棲生活はとても明るく楽しく、そして希望に満ちたものであるカップルもたくさんいたはずです。そういう当時のカップルにとってメディアが作り上げた同棲は迷惑だったかもしれません。

同棲時代:大信田礼子
この曲は神田川以上に直球ストレートに「同棲」を歌った曲でした。
神田川と同じ1973年発売でしたが神田川は9月20日発売、こちらの同棲時代は2月21日発売でしたから、同棲に関して歌った曲としては7か月も早かったのです。
(それ以前にも同棲をテーマにした曲もあったかもしれませんが私の知識範囲外となります。ご容赦下さい。)

歌詞もメロディーも歌い方も全てがお先真っ暗状態でした。

私に言わせれば今日に至るまでこの曲は、

キング オブ 暗くて悲しい曲

と言えます。

歌った大信田礼子さんは、当時のお姿の写真を拝見しても大変な美人で、アメリカのシカゴで開催されたミスコンテスト「第1回ティーン・プリンセス」に日本代表として参加され、この世界大会で優勝されたというほどの美形でした。

にもかかわらず、暗く泣きたくなるように歌いなさい、とでも言われたのでしょうか。
聞いているとじわじわと歌詞が心に沁み込んできます。

同棲生活は若い二人にはきっと楽しく幸せなはずなのに「二人はいつも傷つけあって暮らした」、でも「それが愛のかたちだと信じた」そうです。

普通だったらすぐに同棲解消になると思います。当時でも。そして歌詞の中には「子どもがいるので我慢した」なんて部分は無いので、無理に我慢して一緒に暮らすことも無いと思います。でもこれが愛のかたちなので耐え忍んで暮らしたのです。

でも結末は「泣いて狂った私を抱いて、あなたも静かに泣いてた。」そうです。
ここまで落ちるところまで落ちてもやはりこれも「これが愛することだと信じ、喜びに震えた」そうです。
私には全く理解出来ません。多分妻だったら無言で家を出て行くことになるでしょう。

この奈落の底に突き落とされるような結末の前にもすさまじい段階が実はあるのです。

出来ることならばあなたを殺〇て、私も死〇うと思った」とか、「寒い部屋でまぼろしを見て暮らした」とか人間の精神と肉体の崩壊寸前の極限状態と言えます。

まぼろしを見るほどの寒い部屋、というのは恐らく低体温症を発症しており、脳への深刻なダメージそして全身の代謝システムの崩壊など人体にとっては非常に危険な状態だと思われます。

恐らく外が連日氷点下の北国、そして暖房もなく布団なども満足に無かったのでしょう。

「これが愛のかたちだと信じて喜びに震えた」なんて言っている余裕はありません。即刻救急車を呼ぶべきでした。
診療費が払えないなどの極貧でも日本の社会制度は申告すれば何とかしてくれます。
彼氏への愛よりもまずは自分の体を労わる愛の方が100万倍も重要です!

 

赤ちょうちん:かぐや姫
この曲は先述の2曲の翌年、つまり1974年1月に発売になっています。
そしてこの曲もかぐや姫の前作、「神田川」に負けず劣らずの凄まじいほどの暗く悲しい曲に仕上がっています。
(でも同棲時代の暗さ悲しさには到底及びませんが。)

今もTVやFMでも使われることがあり、志村けんさんのコントでもよく使われたので聞いた事がある、という方はとても多いはずです。

その有名なフレーズは「雨が続くと仕事もせずにキャベツばかりをかじってた」の部分です。
時代背景があるので断言して良いか分かりませんが、野菜は気象などで思わぬ高騰することがありますし、ましてや葉物ですので大雨の年とかだったら値段はかなり高くなるかもしれません。
だから「キャベツばかりをかじる」というのは、ある程度の個数のキャベツを買い込んでいるはずなので、かなりの出費になっていた可能性があります。

この2人の生活は貧しい部屋に住んでいてもお金は持っていたのかもしれません。

寒い夜は赤ちょうちんに誘われておでんをたくさん買ったそうです。
赤ちょうちんを出しているお店でも通常店舗と屋台がありますが、その部分は言及されていません。

たくさん買った、という表現から推察すると持ち帰りだと思うのですが、おでんってあれもこれもって買うと結構な値段になりますよね。

庶民的な食べ物の代表の一つではありますが、決して安価な食べ物とは言えないと思います。
特に絶品の餅巾着なんて単価が高いです。牛筋も旨いけど高いですね。

そしてお酒もちょっぴり飲んだわね、とのことですが、おでんをたくさん買ってさらに少しでもお酒を飲むとなるとかなりの出費ですよね。

共稼ぎだった可能性が高いと思いますが・・・

メロディも落ち込む一方というほどの絶望感と単調なリズム、人生建て直しなんて夢のまた夢、と言いたくなるような曲でした。ぜひ検索して全歌詞をチェックしてみてください。

 

ぼくたちの失敗:森田童子
1993年(平成5年)1月から2か月間だけ放送されたテレビドラマ「高校教師」のテーマソングです。
しかしこの曲が発表されたのはドラマより17年も前の1976年(昭和51年)となります。

このドラマは短い期間での放送、その後再放送が何度も繰り返されるなどはあまりなかったので覚えていない方も多いかもしれませんが、非常にインパクトの強いドラマで当時は社会問題の一つとして注目を浴びる存在でもありました。
まずドラマとテーマソングを歌った森田童子さんと曲に分けてご紹介します。

・ドラマ 高校教師
なんと高校の先生(演者:真田広之)と教え子である女学生(演者:桜井幸子)が恋に落ちてしまうという内容です。
この手のものは相当昔から小説なども含めて数多くあるとは思いますが、この作品はテレビでドラマ化し、しかもかなりインパクトの強い場面、事項を盛り込んだものとなっています。

内容のことを詳細に書くのも著作権法に抵触の可能性もありますが、それ以前に露骨で嫌悪感を感じる事柄がふんだんに盛り込まれていますので、具体的な詳細は書かない事にします。本ドラマをご存知ない方で知りたい方は無責任な言い方で恐縮ですが、別サイトでお調べ下さい。

かなりタブーの内容で、禁断の恋というレベルにとどまっておらず、知り合いも放送当時は「相当な変態ドラマ。興味津々で見始めたけど途中から嫌悪感を感じ見なくなった」という人もいました。

私は毎回見ていたわけではないのですが、今から30年前という時代を考慮しても視聴者として受け入れられない感じがし、製作者の自己満足作品にしか感じませんでした。

でもドラマ中で扱われる事項は強烈な物ばかりでしたが、実際にそれを具現化する場面は極めて少なく(ラブシーンなど)、全国ネットで放映するにあたり、その辺は考慮されたと思います。

たまにテレビドラマや深夜バラエティーでは世間から非難されて、BPO(放送倫理・番組向上機構)の審議にかけられるような番組が出現します。番組名は挙げませんが、まるで成人映画や暴力を肯定するようなものさえ放送されることもありました。

しかし放送開始時の注目度は非常に大きいので視聴率が稼げます。製作者としては思い切ったことをやって後で「ごめんなさい」と言えばよいだろう、くらいにしか思っていないのかもしれません。

「高校教師」に対して高い評価をする人もいるわけですが、ここまで露骨なタブーを盛り込んだ内容だと受け入れられない人の方が多かったと思います。結果としてこのドラマが良いか悪いかは私は判断付きかねます。

・森田童子さんの「ぼくたちの失敗」
森田童子さんは女性ですが、いつもサングラスをかけてカーリーヘアで、性的には中性を感じさせる個性の強い人でした。
先述したように1976年発表の曲で、作詞作曲も森田童子さんご本人です。

興味深いのは森田童子さんは1983年に引退されたのですが、その10年後の1993年に放送された「高校教師」に使われて大ヒットしたのです。CDを90万枚を売り上げたという大ヒット曲でした。

でも森田さんご本人はこれを機に復活などはされなかったようですが、CDは再販されたり他の歌手がカバーしたりして歌い継がれて行っています。

さて歌詞ですが、本記事でご紹介しているような「暗くて悲しい」が前面に出ている部分はあまりありません。
ただ「とても寂しい」と感じるフレーズが散りばめられています。
例えば・・

君のやさしさに埋もれて行くぼくは弱虫だった・・・」、「ストーブ代わりの電熱器」、「地下のジャズ喫茶に変われない僕たちがいた」などかな、と勝手に思っています。

なんか寂しい、でも懐かしい感じもします。たった二人の世界、そしてこの二人だけの世界から抜け出ることの出来ない二人。悪い言い方をすれば「弱いものどおしが傷をなめ合って慰め合っているだけ」とも言えます。

でもこの曲がヒットした、人の心に突き刺さったのは歌詞自体はそれほどのインパクトはないのですが、森田さんの歌い方、声、聴いているだけで本人の歌唱を見ていないのにその場の雰囲気が目に浮かんで来る、という部分なのではと思うのです。

本記事に沿った言い方をすれば「暗くて社会的に目を背けられるようなドラマに彼女の歌唱が合わさって、物凄く暗く、しかし人の心に突き刺さる秘めたるパワーを持っている」からヒットしたのかな?と思ってしまいました。

そしてその後の再販やカバーなどで歌の歴史に刻まれた名曲の一つになることが出来たのですね。

なお森田童子さんは2018年4月24日に心不全のため66歳という若さで逝去されています。
大分前に歌手を引退されたとは言え、まだまだやることやりたい事がたくさんあるお年ですからさぞかし無念だったと思います。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

あの素晴らしい愛をもう一度:加藤和彦と北山修
言わずと知れた超名曲。お若い方も聞いたことがあるのではと勝手に思っています。
1971年(昭和46年)4月に発売されました。

軽快な目の間がぱっと広がるようなメロディーが印象的な完成度の非常に高い名曲と言えます。

イントロからいきなり猛烈に明るいアルペジオ&ストロークコードの進行で始まり、「命かけてと、誓った日から~」と直球的なラブソングを連想させる歌詞がスタートします。

しかし「・・・二人の心と心が今はもう通わない。あの素晴らしい愛をもう一度・・」と続きます。

「え?命かけてと誓ったのに別れちゃったの?なんで?」と聞きたくなるような掌返しの歌詞になっています。

トドメは「広い荒野にポツンといるようで、涙が知らずに溢れて来る・・」、そしてまた「・・・二人の心と心が今はもう通わない。あの素晴らしい愛をもう一度・・」となります。

あれほど心が通い合った挙句の恋人との別れ、本当に悲しくて悲しくてたまらないです。

しかし何度も何度も「あの素晴らしい愛をもう一度」なんて未練がましい事を言っているからフラれたとも言えますね。

男女ともに潔さは時代を問わず必要なのです。

それにしてもこの曲がこれほどの大ヒットになり、時を越えて歌い継がれるのは何故なのか?ととても疑問に思います。

メロディーや全体の完成度の素晴らしさは認めますが、悲しい失恋ソングであり、かつ未練がましく「もう一度」を連発する曲です。でも言葉で言い表すことが難しい人々の心に突き刺さったのですね。

そして最も滑稽だと思うのがユースホステルのかつてのミーティングで、夕食後に宿泊者でこの歌をしょっちゅう歌っていたという事ですね。

旅の宿、若者が集う宿であるユースホステルで失恋ソングを大合唱なんて滑稽以外の言葉がありません。
まあ若かりし頃の私もその一員なのですが。思い出すと懐かしいと同時に顔が真っ赤になります。

かもねぎ音頭:中川レオ
隠れた名曲・ヒット曲と言える「知る人ぞ知る」曲です。
1972年(昭和47年)に中川レオさんが歌われました。驚きなのは現在料理研究家として有名な平野レミさんとの競作だそうです。

1972年頃の女性歌手は大ヒットを連発する大物の歌手が多かったので、強烈な内容のこの曲も埋もれてしまったのかもしれません。
当時の大物女性歌手と言えば、天地真理さん、南沙織さん、麻丘めぐみさんなど今でも伝説的と言われる人ばかりでした。

この曲は実は暗い、悲しいかと言われるとかなり微妙で、曲の中の立場によって悲しく暗く感じる人もいれば、明るく笑いが止まらないと感じる人もいます。

そして一言で言えば「ぼったくりバー」を歌った曲です。

ジャンジャン飲ませて酔わせて追い出せ!なんて今ではこんな曲を作ることは到底許されないでしょう。
飲ませて儲ける店側は明るく楽しい、客は暗く悲しい思いをして身ぐるみ剥がされて店を出て行くのです。

こちらの記事にこの曲について詳しく書いていますのでぜひお読み下さい。

お金をちょうだい:美川憲一
美川憲一さんの曲と言うとどうしても「さそり座の女」が頭に浮かびますが、この「お金をちょうだい」も隠れたヒット曲、そして歌謡曲史上稀にみる内容の歌詞発売当初はNHKからは歌唱禁止となった迷曲でもあります。

発売は1971年、先述の「あの素晴らしい愛をもう一度」と同じ年の11月です。
この曲も今は歌うことは出来ても、似たような内容の歌詞の曲は作れないと思います。

強烈なフレーズをいくつか抜き取ってご紹介します。

・別れる前にお金をちょうだい
→ここまで直球勝負に出られる人は相当な神経の太さですね。私はずる賢いとは決して思いません。当然の権利だと思います。でもその当然を言う度胸ってなかなかないですよね。

・あなたの暮らしに困らない程度のお金でいいわ
→当たり前のように聞こえますが、こんな謙虚な人は少ないでしょうか?取れるだけ取る、という人の方が多いのかな?

・そのお金でアパートを借りるのよ
→それは良いとしても今まで男に頼っていたようなので、アパートを借りることが出来るのでしょうか?
大家さんから「入居後毎月きちんと払えますか?」とか言われそうです。でも市営や県営住宅ならば一定期間その地域に住んでいたならば入居は可能と思います。
でも同じ公営でもURは厳しいです。収入(雇用)証明書の提出または家賃の100倍以上の貯金があることを証明する必要があります。しかし礼金不要、入居後は一切更新料は不要ですし住居内の設備更新や修理も無料でやってくれます。

もしかしたら入居時のみ男からのカネで支払い、後は生活保護かもしれませんし、直ぐに定職に付けるほどのスキルもあるのかもしれません。しかも高収入につながるスキルや資格を持っているとか・・・

・女一人ならばなんとかなるわ
→お気持ちはとってもよくわかります。
時代を問わず女性は本来強く自立心もお強い方が多いと思います。昨日までを振り返らずに前だけ向いて頑張ってほしいです。でも時々ふと寂しさを感じるかもしれません。でも「明日は明るいことがある」と毎日思い続けると本当にそうなります。応援しますよ!

・がまんすれば生きていけるわ 一人だって生きていけるわ
→我慢は人生に必要ですが、人間が出来そうで一番で出来ない行動、それが我慢でもあるのです。
我慢我慢、戦中皆口癖のように言っていたともいわれる「欲しがりません、勝つまでは」なんて土台無理なんです。
ほどほどに我慢して生きて行って欲しいです。我慢というトンネルから抜け出れる日は必ず来ます!

・昔のあなたは貧乏でお金なんかなかった・・・
→この歌詞の後に「清らかな愛情に満ちてたは」と過去形の文節が続きます。
つまり「今のお前(男)はカネを手にして愛情を注ぐ相手はカネのみ」に男が変貌してしまったということを表しているとしか思えません。

これは酷い、酷すぎます。お金はあった方が良いに決まっていますが、愛情をお金によって変えてはいけません。
こんなひどい男ときれいさっぱり分かれた方が正解です。
それなのに「彼女」は「過ぎた日のことは感謝すれ、怨む気持ちなんてないのよ」ととても心の広い素敵な女性に思えて聞いていると涙が出て来ます。

そして最後に「お金をちょうだい・・・その方があなただってさっぱりするでしょう」とほんのちょとだけ恨み節を残しています。

 

これらのフレーズをお聞きになっていかが思われたでしょうか?
今じゃ絶対あり得ない、作れない歌詞ですね。

でも私が一番感じたのは分かれる原因がはっきり見えてこないのですが、恐らく「男が何らかの理由で大金を掴んだので、この彼女は捨てることにした」という人間として最低男だったという事です。こんなに心が広く優しい彼女なのに・・・

何らかの理由は分かりませんが、歌謡曲の歌詞ですからまさか触法行為で手に入れたカネとは思えず、恐らく株で儲けた、宝くじが当たった、競輪競馬などでドカンと当てたとかなのかもしれません。

もし株や競輪競馬だったとすると、このような最低男はこの儲けた金が課税対象だとは知らずに思い切り散在し、後々必ず来る税務署からの連絡に震えあがって頭を抱えていると思われます。
この手のもので非課税なのは宝くじ(ロト、ビッグ等含む)だけです。皆さんも気を付けましょう。


いかがでしたか?

この他にももちろん令和の時代になっても暗く悲しい曲はあります。
しかし昭和の曲は悲壮感が半端じゃありません。絶望這いあがる事さえ許されない今日は泣いて明日は笑おうという事も見通せないほどの永遠に続くような大不幸涙を流すだけではなく人体のシステムが崩壊するほどの過酷な生活環境など今では信じられない程の内容の曲が作られてレコード(当時)として売られ、多く放送されていた歌番組で歌われていたのです。

暗い、悲しい、いずれかだけの曲であればもっとたくさんあります。
幾つか上げると以下のようなものかな?なんて勝手に思ったりしますが、評価は本日記のご訪問者様に委ねます。

・なごり雪:イルカ

・学生街の喫茶店:ガロ

・水色の手紙:あべ静江

・また逢う日まで:尾崎紀世彦

・雨の慕情:八代亜紀

などなど・・・
キリがありません。

 

最後に一つこれだけははっきり言えることがあります。
それは本日記で述べたようなどん底に突き落とされるような暗い曲が大ヒットした時代は、世の中は明るく希望に満ちてイケイケ状態だったのです。

高度経済成長期で給料は上がるし、どんどん新しいビルや住宅は建つ、国際的な紛争・対立もさほどなく対外関係も安定していました。一億総中流とかも言われていて、今の日本のように貧困は極めて少なかったのです。

だからこそ受け入れられたのかもしれません。他のアイドル歌手はとても明るくポップな曲を歌っていましたが、その真逆の暗く悲しい曲たちも時代を支えていたのです。

だからこれらの暗く悲しい曲も力強い日本を作った一助だったのでしょう。

 

 

 

スポンサーリンク


8 Responses to “大ヒットした暗くて悲しい曲”

  1. anna より:

    寒くて低体温症を発症してたのですね!! 悲惨すぎて笑えてきますね。

    キャベツ・・・大学の先生が、留学中だかにお金がなくて毎日キャベツかじって、と言ってたのを思い出しました。もしかして、この歌のことも織り込んで「キャベツ」ってことだったのかも?

    • kaikoshumi より:

      anna様
      こんにちは。再訪とコメントありがとうございます。
      記事中に取り上げた曲たちは当時は私もお子様だったので「そういうものなのか!」と驚くまたは「へえー」くらいだったのですが、大人になってから歌詞を改めて読んでみると「現実にはあり得ない」とか「笑っちゃう」とかに気づきます。
      いずれの歌詞も飛躍がしすぎ、なのかなと思いますが当時はとにかくインパクトを狙っていたのでしょう。

  2. キュア梅盛 より:

    昭和45年位からでしょうか?日本の歌謡曲から「戦前の歌謡曲の様なメロディーラインの曲」が消えたのは・・・自分が生まれた昭和43年頃の歌謡曲って「邪道」と呼ばれたGS以外は皆戦前と変わらぬ感じの曲ばかり(舟木一夫の歌とビートルズのレットイットビーやイーグルスのホテルカリフォルニアが「同じ年の曲」というのがいまだに理解できない程です)だったのが、郷さんがデビューの頃には今と同じになっていました・・・いわゆる「暗い曲」というのは戦前からの「暗い感じのメロディーライン」を引き継いだ最後の系統だったのかもしれませんね。

    • kaikoshumi より:

      キュア梅盛様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      戦前の歌謡曲のような・・・ → 私はもちろん戦後生まれですが、何となく仰ることが分かる感じがします。
      またGSが邪道と言われていたのは知りませんでした。まだガキンチョだったので好きな曲、そうでない曲くらいの考えしかありませんでした。

      戦前からの・・引き継いだ最後の系統、→確かにそうかもしれません。その後も暗い曲はたくさん出ていますが、しかし最盛期のような強烈な曲は無くなって行きました。
      明るくポップ、または静かでも心に染み入る歌詞の曲に移行して行ったのですね。
      この話題は非常に深いものがあると思います。
      またの再訪をお待ち申し上げております。

  3. 4あほ より:

    ラジオ深夜便(17日 01:05~)で、大分に豪邸を立てた「南こうせつ」が出てたもんで…。
    (今、鴨長明に触発されて、トシとってから身の丈に合った小さい住居に改築中…おカネあるなぁ…)
    あったなぁ、「志村けんと石野陽子」のコントで、「♪キャベツばかりをカジぃってたぁ~♬」ってのが…。
    何年か続けて新冠町のキャンプ場に来ていて、野外コンサート観に行ってたのを思い出しました。
    もちろん、こんな暗い曲はチョイスせず、タヌキ踊りみたいなの歌ってましたが…。
    ・・・「神田川」は歌ってたけど…はじめっちアリス死んじゃったので喪に服してます意味不明…

    イルカの「いつか雨の中で…」とかいう曲だったかな?、なしてか自然とぼっろぼろナミダ出てくるんす。
    あと、中島みゆきさんの「うらみ~まぁすぅ」は暗いのかなと思うけど、コワくはなかったっす。
    逆に「ふぁいとぉ~」は明るい勇気がもらえそうな曲のはずなのに、
    うちらは暗くて、悲しくって、やっぱぼろぼろとナミダが出るって、つるみんが言ってるっす。
    ・・・感じ方ってば不思議なものっすゆたか

    「お金をちょうだい」はベストチョイスですぅ~…。ユースホステルのミーティングで合唱したらば、あたいは常連になりますぅ~…。
    ・・・心にストンと落ちましたぁ!みならいかのん

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、「高校教師」ってのは知らないけど、
    たぶん同じTBS?のドラマで、常盤貴子と寺脇康文がプライムタイム(夜更かしな子どもも見てる時間帯だったのだ)に✖✖✖しちゃった番組は、おぼろげながら覚えているのだ。
    ・・・タイトル忘れちゃったのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      4あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      札幌は急激に秋めいて来ましたが今年は不思議な事にトンボを殆ど見かけずに秋になってしまいました。
      酷暑のせいでしょう。

      志村けんのコントでは様々な女優・アイドルが共演しましたね。優香もキャベツ食べてました。
      彼は独身でしたが物凄くモテたとか。

      イルカ、中島みゆきも暗い歌が多かったですね。
      イルカと伊勢正三の名曲「雨の物語」なんかも暗いけど素晴らしい名曲でした。

      しかしイルカ、中島みゆき、演歌だけど八代亜紀なんかの暗い方の曲は、暗いけどほんの僅かな光が見える、
      つまり同棲時代やお金をちょうだいみたいにどうしようもない絶望は無かったと思います。

      音楽は人に希望や幸せを与えるものです。現実的に考えれば暗い内容でも「明日は光が見える、何とかなる」
      みたいに纏められますが、同棲時代などはそんなものは微塵もなく絶望の蟻地獄へ突き落される曲でした。
      ここまでの曲はちょっと考えられないですね。

      「お金をちょうだい、をユースのミーティングでみんなで歌う」
      →それってアリだと思います。今のこの年齢でも参加してみたいです。
      遠い世界にを全員で絶叫するように、みんなで円陣を組んで肩を組んで左右に体を揺らしながら「お金をちょうだい~」と歌うのです。

      • 調子乗っちゃったぁ2あほ より:

        でしょぉ~!だども、桃〇荘で合唱しちゃったらばぁなんか苦情とか抗議が来そうだからぁ、
        「小清水はなことり」(現民宿)のPさんなら要求に応えてノリノリでやって…
        怒られるかな?「いい大人なんだから、もうやめな」って諫められそうなぁ…。
        高知大豊の定福寺の住職(自称「生臭坊主」や「破戒坊主」太っ腹な人?だったみたいですぅ…)さんだったら、「タイムリーだねぇ、仏の道に通じそうだねぇ!」とか許してくれるかもしれないでっすぅ…。
        ・・・やっぱ現役YHじゃムリですよぉ…みならいかのん「お金を頂戴」合唱しようYH募集かけてもおもしろいかもぉ…

        あたいはむずかしいこちょはよくわかんないけんども、CD盤壊れちゃったけど、
        「愛の戦士レインボーマン」「ヤマトタケシの唄」「★ね死☆団のテーマ」っていうのを、
        よく車運転しながら聞いていたのだ。
        「ヤマトタケシ」はものすごーく暗くって、「♪お金も欲しいさぁ~…」って聞いてたら、
        救いようもなくって気が滅入っちゃうから、あまし聞かなくなったけど、
        「死★☆ね団」はなんちゅうか、テンポのノリもよくって、つい口ずさんじゃうのだ。
        「愛の戦士」はよくもまぁ、児童合唱団に歌わせたなぁ…って今の時代には思うのだ。
        そっかぁ、考えてみれば再放送しないもんなぁ、「バロム1」同様、TVKとか地上波で流してほしいのだ。
        ・・・作ったの「♫おふくろさんよぉ~」の人なのだつるみんYHじゃもちろん合唱できないのだ

        • kaikoshumi より:

          調子乗っちゃったぁ2あほ様
          コメントありがとうございます。皆様も当記事を気に入って下さったようでとても嬉しいです。
          何処かのYHでミーティング時に渡された歌集が「お金をちょうだい」、「同棲時代」、「かもねぎ音頭」とかの
          類の曲しか無かったら、なんて考えてニヤニヤしていました。実際にあったら狂気の沙汰ですね。
          でも「かもねぎ音頭」はみんなで楽しく踊れそうです。

          レインボーマンで覚えているのは気を失ったある若い女性を助ける時に、寝転がっているその女性の口に自分の口を当てて(つまりキス)、
          悪者から注入された?ガスか毒とかをレインボーマンが吸い出して助けるという場面があったのです。
          私はガキンチョでしたし、夕食時に親も見ていたので恥ずかしくて困ってしまいました。
          子ども心に「ヒーローもので、しかもこんな時間にこんなことするなよ」と心中で叫びました。

          バロム1大好きでした。そうですね、おふくろさんを作ったあの恐いおじさんですね。
          バロム1はもっともっとヒットしても良かったと思います。でもほぼ同時期に仮面ライダーをやっていて
          結局人気はそちらに取られてしまった感じがします。

          ヒーローもののなかでもバロム1は異色だったとも言えます。
          男の子が友情のバロメーターのエネルギーで変身するのは良いにしても、怪人が滑稽過ぎました。
          恐くて気持ちが悪いものも多かったのですが、今思うとお笑いでしたね。

          バロム1はこちらに記事で書いていますのでよろしければご覧下さい。

          なお同じカテゴリの「懐かしいテレビ番組」には「美少女仮面ポワトリン」もございます。
          こちらも「お笑い番組」でした。私は主役の可愛い優子ちゃんが見たくて見ていたのではなくて、
          余りの面白さ、お笑いが目的で見ていました。これは本音です。

          またお越しくださいね。

コメントを残す

サブコンテンツ

管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

スポンサーリンク





写真素材無料【写真AC】


無料動画素材なら【動画AC】

このページの先頭へ